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ラグビー東京ベイ初V。なぜ立川理道主将は頑張り続けてきたのか。

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
初の日本一に輝いた東京ベイの立川理道主将=20日・国立競技場(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

 これぞスポーツの真髄か。クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(東京ベイ=旧クボタ)の主将、立川理道(たてかわ・はるみち)がついにチームを初の日本一に導いた。苦節10年余。ここまで頑張り続けてこられた理由を聞けば、33歳のハルさんは少しはにかんだ。「ラグビーが好きだからじゃないですか、根本には」と。

 「ただ、あとはクボタスピアーズが好きだったこともあります。クボタの人が好きで、チームが好きですから。だから、日本一になって、恩返しをしたいと思ってきたのです」

 ◆勝利の瞬間は喜びも控えめ

 20日の土曜日。ラグビーリーグワンのプレーオフ決勝。相手が、昨年度の覇者、埼玉パナソニックワイルドナイツ(埼玉=旧パナソニック)だった。狙い通りのキッキングゲームに持ち込み、17―15で競り勝った。

 国立競技場の観客席は、東京ベイサポーターのオレンジアーミーのオレンジ色と埼玉ファンの青色に染まった。観客が4万1794人。試合終了の瞬間、フィールドの立川は喜びも控えめだった。そう見えた。なぜ。

 「言い方は悪いですけど、あっけなく優勝したなという感じでした。そりゃ感慨深いものがありましたけど、勝者がいれば、敗者もいますから、僕は(相手チームに対しての)リスペクトみたいなものが必要だと思っているんです」

 ◆言葉に宿る人間力

 日本一のチームには、日本一のキャプテンがいるものだ。その人間力は言葉にも宿る。2016年に就任したフラン・ルディケ・ヘッドコーチ(HC)はこう、共にチームを引っ張ってきた立川主将を評した。

 「ハル(立川)の強みは、リーダーとして、メッセージをチームに冷静に伝えられるところです。彼がしっかり実践してくれたから、勝利を手にすることができました」

 この日、東京ベイは準備されたキック戦術を駆使し、主導権を握った。ハイボールの高さも、距離も効果的で、味方がチェースできるところに落とし、埼玉に重圧をかけていった。加えて、元豪州代表SOのバーナード・フォーリーが確実にPGを蹴り込んでいく。

 だが後半中盤、2本の連続トライを奪われ、一時は12-15と逆転を許した。インゴールで東京ベイは円陣を組んだ。立川主将が述懐する。

 「ハドル(円陣)の中で、“まだ時間はある。ここで無理して戦術を変えると相手の思うつぼになる。このままキック主体の戦術でいこう”、そう言ったんです」

 ◆絶妙のキックからの逆転トライ

 その3分後だった。敵陣でラックの後方から、途中交代で入ったSH藤原忍が絶妙のボックスキックを蹴り上げた。落下地点でナンバー8のファウルア・マキシがコンテストする。WTB根塚洸雅がボールを確保し、ラックをつくって左オープンに展開。ここでCTB立川は左のタッチライン際に待ち構えていたWTB木田晴斗のコールを聞いた。「ハルさん!」と。

 立川が説明する。

 「正直、ヒラメキというか、最初のオプションではなかったんです。(ボールを)キャッチした瞬間は、誰かにパスするか、自分でキャリーするかの判断だったんですけど、横見た時に木田が手を挙げていたんです。しっかりオーラを出してくれたので。“俺にくれ”と」

 立川が右足で冷静に左のスペースに“どんぴしゃ”のキックパスを蹴った。後半29分。24歳WTBが捕球し、インゴールに駆け込んだ。

 そういえば、立川主将は試合前、ロッカー室でこう言っていた。「チームでコネクトして、とにかく楽しもう」と。まさに土壇場で“ア・ウン”の呼吸でつながり、値千金の再逆転トライが生まれたことになる。

 木田は立川のキャプテンシーをこう説明した。「一番はみんなの心の支えになってくれるんです。いつも安定したプレーをしてくれるし、言葉に重みがあるんです」と。

 ◆「弱小」時代から全力投球

 立川はスター選手とは趣を少し異にする。決して派手なプレーをするわけでも、いつも陽の当たる場所にいたわけでもない。天理大の主将の時、大学選手権では準優勝に終わった。東京ベイの前身のクボタに加入した2012年当時、チームはリーグワンの前身であるトップリーグの下部、トップイーストにいた。なぜトップイーストのチームにと疑問に思った人もいたに違いない。

 立川は所属チームを愛した。2015年ラグビーワールドカップ(W杯)では日本代表として南アフリカ戦に出場し、番狂わせを演出した。日本代表で活躍しても他チームに移籍することもなく、クボタへの献身ぶりは変わらなかった。いつしか、「チームで日本一」が宿願となった。

 その願いをかなえ、決勝戦の「プレーヤー・オブ・ザ・マッチ」にも選ばれた。試合後の記者会見。「きょうはどんな一日?」と聞かれると、立川は「恩返しができた一日だったかなと思います」としみじみ漏らした。

 「チームがトップイーストにいる時から、会社がトップレベルと変わらないサポートをしてくれました。そこにいる選手たちは少しでも順位を上げようと一生懸命やってきました。いろんな人たちの思いを背負ってグラウンドに立ったので、優勝できて、恩返しができたのかなと思います」

 ◆恩返しと感謝。リーグMVPも

 立川は心根がとても優しい。こんなことがあった。筆者が東日本大震災の被災地の釜石で出会ったラグビー少年は立川のファンだった。釜石シーウェイブスとクボタの入れ替え戦の後、立川から黒色のリストバンドをプレゼントされたからだった。少年は病魔に襲われ、入院治療を続けた。2017年2月、13歳で天国に召されたけれど、ずっと立川に感謝していたそうだ。

 好漢・立川はラグビー精神を尊ぶ。他者へのリスペクト、感謝をいつも忘れない。試合後、東京ベイのサポーターでオレンジ色に染まるスタンドに笑顔で手を振った。こう、漏らした。

 「チームの苦しい時代を知っているOBの人たちからもたくさんのメッセージをいただいて、それが力になりました。オレンジアーミーの方々も最後まで応援してくれました。だから、最後、僕らは勝ち切れたんだと思います」

 恩返し、そして感謝。リーグワンの最優秀選手賞(MVP)にも選ばれたハルさんは、ラグビーファンや取材者、それに相手チームの選手までも、ラグビーの美徳に触れさせてくれたのだった。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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