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「ラグビー人生とは縁なり」日本代表最多キャップ・大野均さん、3年遅れの引退パーティー

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
3年遅れの引退パーティーで笑顔を見せるレジェンド、大野均さん(22日)=筆者撮影

 ラグビー仲間は最高だ。日本代表の歴代最多の98キャップ(国代表戦出場数)を誇るレジェンド、大野均さんが22日、ラグビー関係者から感謝と称賛を浴びた。「ラグビー人生とは?」と聞かれると、44歳の鉄人ロックは「縁ですね」としみじみと漏らした。

 「やっぱり、とても多くの方々に出逢えたのは、ラグビーをやっていたからです。その縁で、自分は成長させてもらいました」

 大野さんは3年前の2020年5月、ラグビーの現役を引退した。『灰になっても、まだ燃える』を座右の銘とする大野さんだが、「私のひざがボロボロになり、もう走ることができなくなったからでした」と述懐する。

 自他チームのラグビー選手からは信頼され、ファンからも愛された好漢。新型コロナウィルス禍の影響で、引退パーティーは開くことができなかった。だが、コロナ禍が収束傾向になったことで、大野さんが実行委員長を務める『ヒーローズカップ』の主催団体、NPO法人ヒーローズが3年遅れの引退パーティーを横浜のホテルで開くことになったのだった。

 題して、『ヒーローズカップ15回記念パーティー“大野均実行委員長の現役引退慰労とキャップ98を讃える会”』。約100人の愉快なラグビー仲間が集まった。ヒーローズの林敏之会長、ヒーローズカップの菊谷崇副実行委員長ほか、藤田剛さん、宮本勝文さん、伊藤剛臣さんら歴代のラグビー日本代表も出席した。かつて名ロックとして鳴らした林会長は、「キンちゃん(大野さん)はエエやつです。日本の誇る、日本を代表するラガーです」と紹介した。

 冒頭、ラグビージャーナリストの村上晃一さんが、大野さんの実積、人柄を説明し、「ラグビー憲章の5つの価値、品位、情熱、結束、規律、尊重をすべて体現しているからこそ、キンちゃんはみんなに愛されたのです」と強調した。

 村上さんはこんな、エピソードを披露した。大野さんと現日本代表の主軸、リーチマイケル選手の会話。大野さんがクラブハウスで「マイケル、背中が大きくなったんじゃない」と聞けば、リーチ選手はこう、答えたそうだ。「キンさんの背中を見てきたからです」と。

 大野さんは日本代表の低迷時代の2004年5月の韓国戦で初キャップを獲得し、上昇気流に乗る日本代表のロックとして活躍、2016年6月のスコットランド戦まで13年間で歴代最多の98キャップを積み上げた。ラグビーW杯には3回出場。とくに2015年9月のW杯初戦、強豪南アフリカ(〇34-32)に番狂わせを演じる『ブライトンの奇跡』にも貢献した。

 宮本さんの述懐。

 「あの試合、タックルしてすぐに起き上がるスピードには驚きました。キンちゃんは献身的なプレーで人々に感動を与えた。日本が(南アに)勝った時、私は初めて泣きました」

 大野さんは酒豪で通る。伊藤さんは現役時代、大野さんと一緒によく酒を飲んだ。世界的名将、エディー・ジョーンズ氏が指導したチームの合宿で酒を飲んでもいいと公認した選手は世界に3人だったと打ち明けた。南アフリカ代表ロックのヴィクター・マットフィールド、豪州代表フランカーのジョージ・スミス、そして大野さん。

 伊藤さんはこう、語気を強めた。「キンちゃん、本当に尊敬しています。私にとっては、神様です。ありがとう」と。

 さて、大野さんがステージに上がった。これも縁だろう、日大工学部に入学した時、ラグビーと出逢った。「初めて楕円球にさわった時、日本代表に選ばれるとは思っていませんでした」。大学卒業後、東芝に入社、不断の努力を続け、日本代表ロックとしてキャップを積み重ねることになった。不器用でも頑張る選手は必ず、何とかなる、ということを僕らに教えてくれた。

 「98キャップを獲得できたのは、ひとえに…」と話した後、大野さんはひと呼吸置き、冗談口調で続けた。「私の努力のたまものだと思っています」。笑いの渦が巻き起こった。

 「いま、日本代表は世界の強豪と肩を並べる存在になっています。日本代表の後輩たちの活躍から、たくさんの勇気と感動をもらえることを期待し、私自身も、ラグビーの魅力、素晴らしさを多くの方に伝えることができるよう頑張っていきたいと考えています」

 大野さんは2021年に小学生のラグビースクールの全国大会、『ヒーローズカップ』の実行委員長に就任した。本年度の記念の第15回大会を終えたばかりだ。大野さんはある時は小学生ラガーの奮闘に感激し、ある時はその悔し涙にもらい泣きする。優しいのだ。こう、続けた。

 「日本全国の小学生ラガーたちのプレー、そしてグラウンド外での立ち振る舞いから、大きな感動をいただいています。ラグビースクール関係者には深く感謝を申し上げたい。これから、まだまだ続く大野均としての人生で、情熱を燃やせるものを見つけて、自分自身を燃やしていきたいと思っています」

 繰り返すけれど、大野さんの座右の銘は『灰になっても、まだ燃える』である。パーティーの締めくくりは、出席者全員による、ラグビーならではのノーサイド後に行うエール交換、「スリーチアーズ・フォー」の熱い3連発だった。最後、大野さんへの応援の掛け声が宴会場に響きわたった。

 「フレ!フレ!大野! フレ!フレ!大野! がんばれ!がんばれ!キンちゃん! がんばれ!がんばれ!キンちゃん!」 

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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