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日本ラグビーのホープ下川甲嗣、先輩リーチ相手に「燃えるもがあった」―東京SGが競り勝つ

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
からだを張る東京SGのFL下川甲嗣(5日・秩父宮ラグビー場)=撮影・長尾亜紀

 いぶし銀というか、仕事人というか、ラグビーのリーグワン、東京サントリーサンゴリアス(東京SG=旧サントリー)の24歳フランカー、下川甲嗣がひたむきなプレーで勝利に貢献。今秋のワールドカップ(W杯)に向けて日本代表入りをアピールした。

 5日、晴天下の東京・秩父宮ラグビー場。府中市を拠点とするチーム同士の「府中ダービー」。1万人強のファンで埋まったスタンドには、日本代表のジェイミー・ジョセフヘッドコーチが視察で訪れていた。ついでにいえば、故郷福岡から駆け付けた下川の両親の姿も。

 試合は、東京SGが取られたら取り返す熱戦の末、40-34でライバルの東芝ブレイブルーパス東京(BL東京=旧東芝)に競り勝った。記者と交わるミックスゾーン。最後にロッカー室から出てきた下川は、自己評価を聞かれ、百点満点で「80点」と苦笑した。

 「まだまだ、できるところがあるからです。今日はオフ・ザ・ボールのところで、まあ、チームに貢献できたのかなと思います。勝ったので、80点ですね」

 チームの試合テーマが『ドミネイト・ゲインライン』だった。どうしてもフィジカルバトルとなる試合。だから、接点を制圧しようとの狙いである。下川も前に出て、からだを張った。

 この日、3トライをマークしたWTB尾崎晟也のような華やかさはなかったが、地味ながらも、よく走っていた。ラインアウトで相手ボールをスティールし、ディフェンスでも相手にプレッシャーをかけ続けた。よくタックルした。

 下川は、福岡・修猷館高から早大に進学し、2021年、サントリーに入社。昨年秋には日本代表候補として豪州A戦に出場し、10月のニュージーランド代表戦(●31-38)に途中出場で初キャップを獲得した。持ち味がワークレート(運動量)の多さと接点の強さ。日本代表でプレーし、「自分の強みとしてこれからもやっていこうという自信になった」と胸を張る。

 代表候補の合宿の宿舎では、BL東京の大黒柱、リーチ・マイケルと同部屋となり、いろいろとラグビーのアドバイスをもらった。その34歳の先輩がこの日は相手チームのナンバー8。

 下川は言葉に力をこめた。

 「燃えるものがありましたね」

 前半20分頃だった。BL東京陣ゴール前、相手ボールのスクラムだった。東京SGがボールインの瞬間、ぐいと押し込む。下川の述懐。

 「スクラムでプレッシャーをかけていたので、ブレイクのところは、絶対、早くしようと考えていました。顔を上げたら、相手はすぐに蹴るのではなく、持ち込んできたので、チャンスだと思って、プレーを続けたんです」

 187センチの下川は両手を高々とあげ、相手FBの松永拓朗のキックを猛チャージした。ナイスチャージ! なおも転がるボールを追いかけ、ボールを拾ったSOトム・テイラーにタックルした。このしつこさ。

 東京SGボールの敵陣ゴール前5メートルのスクラムとなり、このスクラムを押し込んで、初トライにつながった。どんな気分?

 「プレーが切れた時には、うまくいったなと思いました」

 この日のブレイクダウンは見応えがあった。両チームの意地とプライドがぶつかった。東京SGはこの1週間、練習ではアタックでもディフェンスでも「2対1」の場面をつくろうと話し合ってきた。つまり、アタックでは2人目の寄りをはやく、ディフェンスでは2人がかりでヒットしようということだろう。

 相手得意のオフロードパスを封じるためには、何より接点で勝つことが大事になる。特にボールキャリアーを封じ込むわけだ。

 下川は満足そうに漏らした。

 「接点でしっかり前に上がる。そこをリードしようと意識していました。ドミネイト(圧倒的優位)までにはいかなかったけれど、相手にドミネイトはさせなかったと思います」

 真面目な選手である。日々の努力を怠らない。今季になって、接点の力強さが増した。ボールを持たないところでの動きがよくなった。よく走るので、「体力オバケだね」と言えば、下川は「実は自分では体力はそんなにあるとは思っていないんです」と少し笑った。

 「ただ、いい感じのところにいることが多いみたいな。ここが伸びたというより、最近、自分の思っているプレーができるようになってきた感じがあるんです」

 おそらく、ラグビーセンス、瞬時の判断のはやさ、ボールを持たないところでの動きがよくなっているということだろう。とくにピンチの時、どれだけチームを救えるのかの危機管理能力も。

 目標はもちろん、秋のラグビーW杯フランス大会である。「でも」と、下川は語気をつよめた。東京SGのポジション争いも厳しい。

 「まずは目の前のリーグの優勝です。試合に出ること、チームが勝つことです。このチームでスタメン(先発出場)をはり続けて優勝することが、ワールドカップへの一番の近道だと思っています」

 迷いなく走る。自身の境遇に最善を尽くすラグビー人生。24歳ホープのラグビーにおける充実と挑戦は続くのだった。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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