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雨のラグビー早慶戦。復帰の早大SH小西泰聖「ただ、ただ楽しかった」

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
早慶戦後の早大SH小西泰聖(左)と慶大FLの今野勇久(23日・秩父宮)=筆者撮影

 ラグビー早慶戦とは、早大と慶大の「友情」と「魂」の継承なのだろう。その100周年。珍しく雨中戦となったが、早大が19-13で何とか逆転勝ちし、通算成績を72勝20敗7分けとした。安堵、悔しさ、喜び、感謝、敬意、ノスタルジー、様々な思いが交錯した。

 早慶戦は、1922(大正11)年11月23日に始まった。場所が、慶大の三田綱町運動場。結果は、1899(明治32)年にルーツ校としてラグビーを日本に導入した先輩格の慶大が14対0で創部5年目の早大を下した。観客が約3千人、入場は無料と記録されている。

 当時は野球の早慶戦によるトラブルから両校のスポーツによる交流が禁止されていた。だが交流復活としてラグビーの早慶戦が実施された。

 「当時の早慶断絶の壁を破ったものは、ぜひ慶大の胸を借りたいという早稲田ラグビー部員の情熱と、それに応えてくれた先輩校、慶応の友情であった。折衝の中心になったのが慶大主将の大市と早大マネジャーの中村だった。中村は、早慶戦の試合日を決めるため気象庁で調べ、1番雨が少ない11月23日に決めた」(早稲田大学出版部「早稲田ラグビー百年史」)

 さて、今年の11月23日、東京・秩父宮ラグビー場。これまではほとんどが好天に恵まれていたけれど、この日は冷たい雨が降った。それでも、1万人超の観客がマスクとカッパ姿で押し掛けた。

 「聞いた話だと、雨は100年で4回目とか」と、早大の大田尾竜彦監督は苦笑いした。「100周年への思いは“重い”ですね。伝統の早慶戦、やはり燃えるものがある。ライバルはほんと、ありがたい。100年、こういうものが続いてきたのだろうな、って。感謝と責任を持って、この一戦に臨みました」

 ともに1敗同士の対戦だった。既に帝京大が対抗戦Vを決めている。でも、早慶戦にかける両校の意気込みは特別だった。慶大の栗原徹監督は100周年について、こう話した。

 「伝統に身を置けるのは非常にありがたいことです。多くの方々の思いが詰まっていることを実感しています」

 こういう雨中戦は、基本プレーの確かさがものをいう。早大は前半、基本プレーがおろそかになり、ハイパントを軸とした相手プレッシャーにハンドリングミスを続発、二人目の寄りが遅くてブレイクダウンでも後手に回った。前半を0-10で折り返した。

 早大は後半、ラインアウトからのドライビングモールで主導権を握り、3トライで逆転した。ロスタイム。闘病から復帰したSH小西泰聖が交代でピッチに入った。

 試合後、記者と交わるミックスゾーンだった。小西は「早慶戦への思いは特別でした。もう少し出場したかったけれど、ただ、ただ楽しかった」と感慨深そうに漏らした。

 4年生の小西は、神奈川・桐蔭学園高では主将として全国高校大会で準優勝し、高校日本代表にも選ばれた逸材である。早大では1年時から公式戦に出場し、2年時にも活躍したが、体には異変が起きていた。昨年春、2カ月間の入院生活を送った。体重は入院時から10数キロ落ち、一度はラグビーをあきらめかけた。

 でも、結局、ラグビーへの情熱は消えなかった。リハビリ生活に取り組み、徐々に体力を戻した。昨季は一度も試合に出場できなかった。今季に入り、10月上旬の日体大戦でアカクロ(早大の公式ジャージ)を着て途中出場、11月上旬の帝京大戦では先発で出場した。

 振り返れば、昨年の早慶戦はスタンドの部員席から仲間を応援していた。小西の述懐。

 「グラウンドに立っている同期たちがカッコよかったんです。自分ももう一度、その場に立ちたいと思った。自分の闘争心に火がついたんです。その時から、です。アカクロを着て早慶戦に出るんだということをずっと、考えてきました。早慶戦に出ることが生きがいになったんです」

 昨年の早慶戦の夜、その心の在り様をラグビーノートに記した。今年の早慶戦の試合前日、小西はそのノートをひとり、読み返した。ひたむきな初心を思い出した。この日の試合前、真っ暗なロッカールームで部歌『北風』を歌った時、じつは感激で涙が出たそうだ。

 試合のロスタイムになって、メンバー交代が告げられた。「“よし、きた”というか、ワクワクというか。自分にとっては、今日が記念日みたいなものです。早慶戦をターゲットに生きてきたので、それを達成できて、うれしかったです」と22歳はしみじみと漏らした。

 わずか数分間の至福の時間だった。ラグビーが楽しい、そう心の底から思った。試合後、メインスタンド前に整列して観客にあいさつする際、ようやく両親の姿を見つけた。うれしかった。一番応援してくれた両親には感謝しかない。

 「早慶戦に出ることで、感謝をひとつ、示せたのかなと思います。僕としては、シンプルにホッとしています」

 そういえば、小西は早慶戦のリザーブに決まった日の夜、桐蔭学園高3年時に副将だった慶大のフランカー今野勇久主将にメッセージを送った。<早慶戦に出るよ。スタートではいけなかったワ>と。返信がきた。<待っているよ>

 再び、ミックスゾーン。記者が小西の話を聞いていたら、うしろを偶然、今野が通っていった。笑顔で少し言葉を交わした。小西が、行こうとする今野に言った。「待っててくんない」と。

 早慶戦とは? と聞けば、小西は少し考え、「特別な試合」と言った。

 「お互いが持っている以上のものをぶつけ合う試合で、持っている以上の力が出る試合でもあります。そして、お互いを心からリスペクトする試合です」

 二人とも一日一日を全力で生きる。大学選手権をめざす。慶大の今野は、大学卒業後は会社員として働き、ラグビーからは離れる。小西はリーグワンのチームに進む。道は違えど、早慶戦は若者の成長を促す「記念日」になったことだろう。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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