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ラグビー女子日本代表キャップ授与式にNZからも往年の名選手が参加「大感激です!」

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
キャップ姿の歴代の女子日本代表の選手たち。左端がレアリー恵美子さん=筆者撮影

 女子ラグビーにとって、記念すべき一日となった。27日夜、“ラグビーの聖地”、東京・秩父宮ラグビー場で開かれた初めての「キャップ授与式」。ニュージーランドから駆け付けたレアリー恵美子(旧姓・塩崎)さんは赤色のしゃれたキャップ(帽子)をかぶると、「大感激です」と声を震わせた。

 「泣いていました。ほんとですよ。私たちの時は、女子はラグビーをやってはいけないという時代だったので。生きている間にこんなことが起きるなんて思ってもいなかった」

 女子15人制日本代表「サクラフィフティーン」が強豪のアイルランドに快勝する試合前のセレモニーだった。日本ラグビー協会は過去のテストマッチ(国別代表戦)に出場した15人制と7人制の女子日本代表の歴代キャップ保持者に、キャップを初めて授与した。対象者は、15人制が197人、7人制は112人。キャップ数とはすなわち、日本代表の栄誉を証明するものだ。

 15人制日本代表戦の最初の対象試合は1991年4月に英国ウェールズで開催された女子ラグビーワールドカップ(W杯)。レアリーさんはその大会の初戦のフランス代表戦にセンターで出場した。0-62で大敗。

 62歳のレアリーさんは、「(フランスが)すごくこわかった」と思い出す。その試合、開始3分でスクラムハーフが相手FWに骨折させられて退場。プロップも故障退場。世界のレベルの高さを痛感した。

 当時の日本女子ラグビーの環境は劣悪だった。「ラグビーは男子のスポーツ」といった風潮があり、日本ラグビー協会もまだ、女子ラグビーを認めてはいなかった。専用グランドもコーチも資金もなかった。レアリーさんは「(第1回)ワールドカップの随分前ですけど、実はラグビー協会から女子は危ないからラグビーをやってはいけないという通達が出たこともあったのです」と打ち明ける。

 第1回W杯も、1994年の第2回W杯スコットランド大会も、女子日本代表選手は自費で参加した。「ひとり40~50万円かかりました」。日本は第2回W杯のスウェーデン戦で記念すべきW杯初勝利(10-5)を挙げる。レアリーさんは歴史に残る日本トライ第1号をマークした。

 「たまたま、私がトライしたというだけで。みんなでとったトライでした」

 レアリーさんは日本体育大学では陸上部で跳躍競技に打ち込んでいた。当時は日体大ラグビー部の黄金時代。大学ラグビーは人気があり、社会人の新日鉄釜石も日本選手権連覇を続けていた。「ラグビーがカッコよくみえて」と、大学卒業後、世田谷レディース・クラブでラグビーを始めた。

 「とにかく楽しかった。年齢も職業も関係なく、いろんな人と一緒にラグビーができたのです」

 やはりラグビーの最大の魅力は、「仲間」なのだ。何年経ってもワイワイガヤガヤ、その友情は変わらない。今回のキャップ授与式には、ざっと百人ほどが出席したが、スタンドのいたるところで肩を抱き合い、旧交をあたため、昔話に花を咲かせていた。にぎやかだった。

 レアリーさんはニュージーランド人の夫とニュージーランドの南島の海沿いの街、カイコウラに住んでいる。新型コロナウイルス感染予防のため、PCR検査を受けて来日した。「陰性が分かるまで、ドキドキでした」。現役時代、秩父宮ラグビー場でプレーをしたことは一度もない。

 「だって、こんな素晴らしいことを、あこがれの秩父宮でやっていただけるなんて…。女子ラグビーを認めてくれなかった時代にまでさかのぼって、私たちのキャップも認めてくださるなんて…」

 女子ラグビーは1988年に連盟を発足させ、2002年にやっとで日本ラグビー協会の傘下に入った。2004年に男子と同じ赤白の代表ジャージを着られるようになった。歴代のキャップ保持者たちの地道な活動、奮闘があったからこそ、今の女子ラグビーの日本代表の躍進がある。

 レアリーさんは言葉に力をこめた。

 「いまの代表選手たちはすごい。レベルが上がっている。でも、底辺の拡大も大事です。エンジョイラグビーを楽しむ女性たちも増やさないといけないですよね」

 ナイター照明のもと、キャップ授与式での歴代代表者の笑顔は、キラキラと光り輝いていた。「温故知新」だろう。この日はいわば、女子ラグビーの新たな歴史のスタートの日となった。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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