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生誕70年。天国の“タックルマン”石塚武生さんからの熱いメッセージ

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)

  かつて日本ラグビーには、小さな体をものともせず、果敢なタックルで大男たちをなぎ倒したラガーマンがいた。タックル、タックル、またタックル。存命ならば、その”タックルマン”こと、石塚武生さんは今日18日で70歳となる。

 石塚さんは僕ら世代のヒーローだった。早稲田大学ラグビー部の精神的支柱、“荒ぶる”魂の権化。東京・国学院久我山高から早大に進学、2年生からレギュラーとなり、4年生で主将を務めて大学日本一となった。その年、日本代表に初めて選ばれた。

 フランカーとして、早大、日本代表で背番号7を背負っていた。早大卒業後はリコーに入社。1975(昭和50)年9月24日の日本代表対ウェールズ代表(●6-82)では、スピードスターのウイング、J・J・ウィリアムズを一発でぶっ倒した。そのシーンを見て、筆者は高校ではラグビー部に入ることを決めたのだった。

 僥倖である。筆者は早大時代、全早大の英仏遠征で石塚さんと一緒に試合に出場した。筆者は右プロップの3番、石塚さんはスクラムでは筆者の斜め後ろにつく7番だった。170センチ、75キロ。小柄ながら、石塚さんはスクラムでは一生懸命にウエートをかけ続けてくれたのだった。

 石塚さんは2009(平成21)年8月6日、帰らぬ人となった。享年57。昨年8月、13回忌のあと、ある人を介し、ご遺族が持っていた石塚さんの遺した日記やラグビーノートを預かることになった。目を通し、石塚さんのまっすぐな生き様にココロを打たれた。その言霊を、ひとりでも多くの人に伝えたい、そう思った。

 石塚さんの言葉には魂がこもっていた。壁にぶつかった若いラガーマンにはこう言って、励ました。<目は空高く見上げ、地べたを這う努力を>と。

 石塚さんのラグビーノートの欄外には、こういった言葉も書かれていた。

 <コツコツ>

 <信頼>

 <努力は必ず報われる>

 <我 青春 完全燃焼>

 石塚さんは独自の「タックル論」も書き残していた。読んで、剣豪・宮本武蔵の『五輪書』を思い出した。タックルには「筋力」と「姿勢」が大事であるとし、タックルの極意としてこう、記されていた。

 <タックルに行く際は「獲物を狙う目」にならなければいけない>

 <自分の殺気は消す>

 <先に間を詰める、自ら仕掛ける>

 <相手にプレッシャーをかける、目に見えないタックルこそ肝要>

 タックルマンの生き様や言葉を通して、相手に挑みかかる<気概>、己の限界に挑戦する<勇気>、仲間のためにからだを張る<犠牲的精神>の大事さが見えてくる。

 生誕70年に合わせて発刊された一冊には、石塚さんと一緒に戦った試合メンバーたちの証言を盛り込んだ。坂田好弘さん、森重隆さん、植山信幸さん、藤原優さん、本城和彦さん…。多くの人がタックルマンをこう、表現した。「ストイック」「孤高」「ラグビーの虫」、あるいは「職人」―。

 混沌とした今の時代だからこそ、“ラグビー道”に生きた石塚さんの珠玉の言葉を通し、生きる上で大切な真摯さ、ひたむきさの貴さを知ってほしいのだった。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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