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元日本代表の冨田真紀子がフランス挑戦「ずっとラグビーの道はつづく」

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
フランスに挑戦する笑顔の冨田真紀子(静岡エコパスタジアムにて)=本人提供

 ラグビーの旅は終わらない。女子ラグビーの元日本代表、冨田真紀子(アザレア・セブン/フジテレビ)がこのほど、フランスの南西部、ポーのクラブチームに挑戦することになった。期間は約10カ月。「ワクワクしています」と、30歳は新たな旅発ちに胸を弾ませる。その目が、希望できらめいている。

 「ラグビー選手としても、人としても、ひと回りも、ふた回りも大きくなりたい。こころに余白ができる人になりたいのです。最終章というか、新たなチャプター(章)の、始まり、始まりです」

 13日の渡航を控えた9月某日。アザレアの練習直前。静岡からのオンライントークだった。小麦色に焼けた肌にいつもの笑顔。髪はサッと後ろで団子状に束ねられている。「これ、ダンゴヘアーです」と白い歯をのぞかせた。

 チャレンジングな人生を歩んでいる。熱血漢の父は関西学院大ラグビー部の元主将。中学3年の時、数少ない女子ラグビークラブ、世田谷レディースに入り、ラグビーを始めた。向上心と負けん気の強さゆえか、毎朝毎晩、屈強な父と個人練習に明け暮れた。

 跡見学園高校1年の時、豪州に1年間、ホームステイで“ラグビー留学”した。早稲田大学へ進学。15人制でも7人制(セブンズ)でも女子日本代表に選ばれた。早大卒業後はフジテレビに入社した。日本代表(サクラセブンズ)として2016年リオデジャネイロ五輪に出場した。

 “ドーベルマン”という物騒な異名を頂戴していた冨田は相手を追いかけまわし、猛タックルを連発した。2戦目の英国戦で脳震盪を起こし、大会途中で五輪登録から外れた。おそるおそる聞いた。どんな記憶ですか?

 「それはつらい記憶です、やっと明るく話せるようになりました。でも、オリンピックってキラキラしたものでした。金色、銀色の紙吹雪が舞っているような。こんなに多くの人に応援されるものだって」

 日本はリオ五輪で10位に終わった。セブンズから一時離れ、15人制日本代表に打ち込み、2017年のラグビーワールドカップを戦った。さらなる成長を目指し、環境を変えることにした。その年の11月、山口県長門市に発足したクラブチーム『ながとブルーエンジェルス』に移った。

 セブンズに戻り、当然のごとく、東京五輪でのメダル獲得を目指した。だが、2020年2月、日本代表に向けた選考合宿中のセレクションマッチでひざの前十字じん帯を断裂した。診断は全治10カ月。悲しすぎて、涙も出なかった。ふと、こう自問自答した。「自分からラグビーを引いたら何が残るのだろう」と。

 「仕事、結婚、家族との時間、いろんなものを犠牲にして、ラグビーにすべてを捧げてきたのです。“なんでだろう”と、自分の人生を否定してしまっていました」

 英語には自信があった。大学の卒論も英語で書きあげた。国際人の素養があるのだろう、「非英語圏の人ともコミュニケーションをとりたい」と思うようになった。多くの国際大会を経て、ある国への興味が募っていた。フランスだ。

 「因縁の相手というか、一度、ワールドシリーズの昇格大会で負けた後は、悔しかったから、フランス選手と交換した短パンをはいて練習をしていました」

 ことし4月、静岡に発足した女子ラグビーの『アザレア・セブン』に移籍した。ラグビーも生活も楽しかった。ツイッターのプロフィール。<魚ばっかり食べてますが、、、ほんとは鳥になりたい、、、フランス語勉強中のラグビー選手です>

 そもそも、なぜフランスへ。そうストレートに聞けば、冨田は即答した。

 「ラグビー人生の新しいチャプターを考えた時、いちばん思い入れのある国でラグビーをしたいなと考えたからです」

 強い意志と笑顔があると、おのずと縁と運が向いてくる。アザレア・セブンもフジテレビも海外挑戦を理解してくれた。家族も応援してくれている。フランスでは2024年にパリ五輪が開催される。オリンピックは?

 「日本代表は頑張っていて選ばれたら名誉なことだけど、それ以外も大事にしたいんです。選手としては、女子ラグビーの価値を上げたいなと思っています」

 海外から日本を見れば、ものの考え方、目線が変わってくる。ポーという街はピレネー山脈の渓流ポー川沿いに位置する。ポー都市圏の人口が約22万人。ラグビーほか、サッカーやバスケットボールのクラブチームがある。ラグビーの女子チームには、トランスジェンダーの選手もいる。

 まだ新型コロナ禍の不安が残る中、いざダイバシティ(多様性)の地、ポーへ。最後に。「フランスの生活は何色に染めたいですか?」と聞けば、冨田はくすぐったい声で笑った。

 「現時点では透明です。これから何色になるんだろう。まあ、いろんな色で」

 そういえば、冨田が時々、口ずさむ歌がある。7人制ラグビーの五輪採用が決定した年の翌年の2010年広州アジア大会で5位に沈み、失意の中でチームメイトと聞いていた曲だ。シンガーソングライター清水翔太の『Journey(ジャーニー)』。こう、始まる。

 <そうさ、たぶん、ずっとこの道は続いているのさ♪>

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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