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あの日から10年 夢のつづきを 釜石を日本一のラグビーのまちに

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
家族の銘板がついた木製席そばに座る浜登寿雄さん(釜石鵜住居復興スタジアム)

  被災地の釜石には、穏やかな青い海と空、緑の山があった。陽射しに輝くラグビー場も。東日本大震災の発生から10年を迎えた11日。ラグビーワールドカップ(W杯)会場となった釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムで、ラグビー一筋の浜登寿雄さんは、「感謝、感謝の10年でした」と漏らした。

 「あっという間でした。つらい時もあったけれど、自分はラグビーに助けられ、ラグビーの仲間に助けられて、そして、今があるんです」

 昨日、大地震があった時と同時刻の午後2時46分、浜登さんは岩手県釜石市の北部、故郷の山田町の墓地にいた。青い山田湾がひろがる。津波で浜登さんの自宅は流され、母を亡くし、父と妻、三女の心海(ここみ)さんが行方不明になった。「ウゥゥゥ~」。サイレンが鳴ると、墓の前で目をつむり、手を合わせた。大粒の涙がぽろぽろっとこぼれた。

 52歳の浜登さんは、震災時、中学3年だった長女の夏海(なつみ)さん、中学1年だった次女・美海(みう)さんを苦労しながら育てた。ふたりとも大学を卒業し、それぞれ就職した。墓前で亡き妻に報告した。

 「娘たちのことを話しました。ふたりとも、元気でがんばっているよって」

 釜石市のラグビーチーム『釜石シーウェイブス』の理事を務める浜登さんは、釜石のラグビーW杯開催招致に尽力した。

 この10年、振り返れば、いろいろなことがあった。最初、多くの人が「夢物語」と思っていた招致運動が動き出し、2015年3月に開催地に決定した。2018年7月、津波に飲み込まれた鵜住居小学校、釜石東中学校の跡地には新スタジアムが総工費39億円をかけて完成した。その翌8月、こけら落としの試合があった。地元の釜石シーウェイブスがヤマハ発動機に挑んだ。

 2019年7月、このスタジアムで日本代表がフィジー代表と対戦した。9月25日、ラグビーW杯のウルグアイとフィジーの試合が行われ、スタンドを埋めた観客約1万4千人を沸かせた。浜登さんは、「あの感動はすごかった」と思い出す。

 「ワールドカップが自分の夢でしたから。ワールドカップを通して、この地域がにぎやかになり、豊かになり、子どもたちが成長してほしいと思っていたのです。自分の役割は、そこで終わったのかなって。これから先の海図は、それぞれが、つくっていけばいいんんじゃないでしょうか」

 もっとも、ラグビーW杯の釜石でのもう1試合、10月13日に予定されていたナミビア対カナダ戦は台風で中止となった。また、昨年、ラグビーW杯を契機とし、観光客やラグビー合宿の誘致を強化しようとしていた矢先、新型コロナウイルス禍の影響でダメージを受けた。浜登さんはこう、言葉を足した。

 「早く、コロナが終息して、ラグビーの素晴らしさとか、スポーツの持つ力とか、それによって、みんなが生き生きと生活できるようになればいいなと願っています」

 ラグビーW杯を通し、釜石の子どもたちは夢を抱く楽しさを知った。自信を持った。浜登さんは「ワールドカップの成功体験が大きい」という。昨年、釜石ラグビー応援団をつくった。釜石市では、カナダ対ナミビア戦の招待試合の構想も浮上している。

 そういえば、釜石鵜住居復興スタジアムのそばには朱色の『ラグビー神社』が昨年、建てられた。この日、浜登さんは金色のラグビーボールの鈴を鳴らし、「コロナ終息」を祈った。

 またスタジアムのメインスタンドの一角には寄付者の銘板が付けられている木製の席がある。浜登さんは、自分の家族の名前が付いた席をながめ、こうしみじみと言った。

 「ここには、山があって、川があって、海があって、空もあるじゃないですか。あと、夢もありますよ。そうそう、夢の続きが、カナダ対ナミビア戦です」

 もう一人、ラグビーW杯招致の中心として活動した日本代表のレジェンドが、釜石シーウェイブスの桜庭吉彦ゼネラルマネジャーである。W杯アンバサダーも務めた54歳。W杯の試合を振り返り、「たくさんの方々が笑顔になった、いい一日でした」と言った。

 桜庭さんにも、この10年の印象を聞けば、「一生懸命、早かったなという感じです」と返ってきた。相変わらずの朴訥とした語り。

 「地域のみなさんと一緒に、同じ目標に向かって、前に進んできた時間だったかなと思います。ラグビーの底力、プラス、ワンチームといった感じでしょうか」

 釜石の人々にとってより大事なことは、これからのまちづくりである。釜石シーウェイブスの前身、かつて日本選手権7連覇を果たした”北の鉄人”新日鉄釜石の本拠、『鉄と魚とラグビーの街』がこれからどう発展していくのか、である。震災から10年という日も、単なるひとつの節目に過ぎない。

 ラグビーW杯の準備を通して、釜石にとってのラグビーの存在価値を改めて知った人もいただろう。まちの誇りなのだ。大人だけでなく、子どもたちにも郷土愛が芽生えた。

 桜庭さんは、「そのラグビーの価値というものを、これからも継続して持ち続ける仕組みづくりが課題ですね」と口にした。釜石シーウェイブスは来年1月発足の新リーグ入りを目指し、奮闘している。このスタジアムがホームスタジアムとなるだろう。新たな夢は? と聞けば、こう短く言った。

 「夢は、日本一のラグビーのまちになることです」

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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