スポーツと五輪の在り方を考える「機」にー東京五輪、1年程度延期

東京五輪、1年程度延期。夕闇のお台場に浮かんだ五輪マーク。(写真:ロイター/アフロ)

 スポーツのない風景はどこか寂しい。新型コロナウイルスの感染拡大でスポーツイベントがことごとく中止となり、今夏開催予定だった東京オリンピック・パラリンピックも1年程度延期となった。もちろん人の命や安全が一番ながら、ここはスポーツの価値やオリンピック・パラリンピックの在り方を考え直す機会でもある。

 人が生きる生活において、スポーツは生きるヨロコビとなりうる。スポーツを「する」ことだけでなく、「見る」こと、「支える」ことも、時には人生を豊かにしてくれる。そりゃ、スポーツ否定派もいようが、スポーツは元来、「遊び」と似たようなものなのだ。

 自己目的行動のスポーツの価値とはなんだろう。からだを動かすこと自体のオモシロさや楽しさ、爽快感、できなかったことができるようになるヨロコビ、目的達成の到達感、他者を凌駕する優越感、自己への可能性の挑戦といったものがある。さらには感激や興奮の提供によって、人々を活性化したり、チームワークを醸成して組織機能を向上させたりすることもある。

 スポーツを見る者、支える者にしても、喜怒哀楽をおぼえ、満足感、失望感、ワクワク感を抱くこともある。時には、「ああ生きるっていいなあ」とひとりごちる時もあろう。

 ただ、今回の新型コロナウイルスの感染拡大で考えるのは、スポーツは世の中が泰平でないとおこなえないということである。戦争やもめごと、自然災害、疫病などが起これば、人々がスポーツをたのしむ余裕などなくなるのだった。

 今回の感染拡大で感じたのは、世界のつながりの密さである。活動自粛や制限のある中、家の近くをジョギングすれば、公園には親子でキャッチボールやサッカー、バスケットボール、ラグビーに興じる人々が増えていた。さらに事態が深刻になれば海外のように家の外にも出られなくなるかもしれないが…。今回、家族の大事さを改めて知った。

 そういえば、2011年東日本大震災の時、被災地の岩手県釜石市で、地域のラグビークラブの釜石シーウェイブスの練習再開を後押ししたのは市民の方々だった。2016年熊本地震の直後、甚大な被害を受けた益城町の避難所を訪ねた時、体育館前の壊れたアスファルトで子どもたちが三角野球を楽しんでいた。

 今回の自粛ムード、移動制限などは当然として、何かスポーツをする方法はないものか。家でひとりでもできる、ラジオ体操や体幹トレーニング、ボール遊びなどの動画配信サービスの活用もあり、かもしれない。

 また、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、在宅勤務、在宅学習も広まっている。テレワークやインターネットを利用したリモートワーク、eラーニングなども増加するだろう。必要に迫られれば、人々の生活習慣が変わることになる。

 スポーツイベントでいえば、オリンピック・パラリンピックは最大級である。改めてわかったことは、オリンピック・パラリンピックは政治や経済に取り込まれ過ぎているということだった。オリンピック反対派の人々の声にも耳を傾け、経費削減、コンパクト化を検討してもよかろう。延期に伴う費用負担の増大をいかに抑えるか、計画見直しの機会でもある。

 東京オリンピック・パラリンピックのテーマは「復興五輪」だった。新型コロナウイルスの収束からアスリートの安全確保、大会オペレーション、会場、宿舎、マーケティング、チケットの問題など、課題は山積している。代表選手の権利と選考会の公正、公平さをどう担保するかも大事だろう。

 大会としては、日本のおもてなしの質を高め、運営などの準備をするための時間が1年増えたととらえ、前向きにいくしかあるまい。五輪運動とは簡単に言えば、平和運動である。1年程度の延期が、日本の平和運動とその価値をさらにアップすることにつなげなければなるまい。

 余談ながら、1964年東京パラリンピックの開会式の選手入場の際、陸上自衛隊のバンドが演奏した曲は、故・坂本九さんの『上を向いて歩こう』だった。