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敗戦ショックにも感謝のお辞儀ー誇り高きウェールズのレジェンド

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
南アフリカに敗戦後、ぼう然と立ち尽くすアラン・ウィン・ジョーンズ主将(写真:ロイター/アフロ)

 ああ、またしても…。“レッドドラゴン”の異名をとるウェールズ代表が、南アフリカ代表に16-19で競り負け、初の決勝進出を逃した。ノーサイドの瞬間、ウェールズのレジェンド、アラン・ウィン・ジョーンズ主将は両腰に手をあて、ぼう然と立ち尽くした。

 キャップ(国別対抗出場数)が、ロックとして世界最多の「133」を数えた。34歳は言った。

 「非常に悔しい…。がっかりしている。逆転できなかった。でも、終盤に追いついたことを誇りに思う」

 27日夜の横浜国際総合競技場。ラグビーワールドカップ(W杯)準決勝は、激しいフォワード戦となった。フィジカルのつよい南アに対し、闘将は一歩もひけをとらなかった。いつものごとく、からだを張った。でも、16-16の後半36分、ラインアウトからのFW勝負でPKをとられ、決勝PGを蹴り込まれた。

 最後の反撃。マイボールのラインアウトでジョーンズ主将はキャッチがうまくいかず、ノックオンをとられた。相手ボールのスクラム。ここで痛恨のコラプシング(故意に崩す行為)の反則をとられた。終わった。

 ショックを引きずりながらも、ジョーンズ主将はメンバーをピッチのど真ん中に一列にならべた。ほぼ満員の6万8千の観衆でうまったスタンドから降り注ぐ温かい拍手の中、深紅のジャージのウェールズはバックスタンドに向かって深々と頭を下げた。

 恒例の、お辞儀だった。196センチ、118キロ。とくに背番号5のジョーンズ主将の深紅のジャージはなかなか頭を上げなかった。終わると、くるりとメインスタンドの方に全員で向き直り、また一列で頭を下げた。そのあとは、南側のゴールポスト裏のスタンドに向かって、さらには北側のスタンドに向かって。計4度、お辞儀をした。

 試合後の記者会見、お辞儀のことを聞かれると、ジョーンズ主将は「北九州が最初だったんですけど」と漏らした。

 W杯開幕前の9月16日の「ミクスタの奇跡」のことだ。福岡・小倉のミクニワールドスタジアム北九州での最初の公開練習の時、約1万5千人もの市民が押し掛け、拍手を送り、ウェールズの歌『ランド・オブ・マイ・ファーザーズ』まで歌ってくれた。

 ジョーンズ主将はこう、つづけた。

 「大勢の人たちが、私たちの練習をみてくれたことに対する感謝の気持ちから、(お辞儀を)始めた。わかったことは、日本の人たちがこんなにも私たちを歓迎してくれていることだった。感謝の気持ちをカタチに表したい。そう思って、試合のあとも、練習のあとも、できるだけお辞儀をしている」

 会見中、ジョーンズ主将は試合中、カリフラワー(ギョウザ耳)の右耳につけている白いテーピングテープを目をつむってはぎ取った。少し声を落とした。

 「台風のあと、大変な状況になりながらも、日本の人々は我々に試合をやらせようという気持ちをもってくれた。それに対しても、お礼の気持ちを示したい」

 ジョーンズ主将は、2006年6月に20歳でテストマッチデビューし、ラグビーW杯出場は4度目となった。一時的ながら、W杯前には世界ランキング1位ともなり、優勝候補として大会に乗り込んでいた。

 「この大会に出場したいと思っていたラグビー選手たちが日本に来て、それを日本のみなさんが歓迎してくれている。非常にうれしく思っている」

 ウェールズのラグビー担当記者によると、ジョーンズ主将は素朴で謙虚、典型的なウェールズ人だという。南ウェールズの海沿いの小さなまちに自分の家を持ち、医者である妻とふたりの娘との静かな暮らしを好む。プロラグビー選手としてのキャリアを送りながらも、ウェールズのスウォンジー大学の定時制で法律を学んだ。

 次の3位決定戦の相手は王者ニュージーランドである。ともに決勝進出を逃したあと、メンタル面をどう奮い起こすことができるのかが、ポイントとなろう。

 闘将ジョーンズは静かな口調で言った。

 「まだ、がっかりすることはできない。このレッドジャージを着て、誇りを持って戦いたい」

 11月1日の金曜日夜に、1987年の第一回W杯以来の3位をかける。感謝とプライドを胸に抱きて。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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