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サヨナラ、124キャップのベスト主将ーアイルランド、NZに完敗

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
大歓声の中、子どもとピッチを歩く涙のベスト主将(写真:ロイター/アフロ)

 こころ震えるラストシーンだった。アイルランド代表が、ニュージーランド代表に完敗した。124キャップのレジェンド、フッカーのロリー・ベスト主将は試合後、沸き上がる感情を抑えきれず、涙を流した。

 「もう…、ほんとうに…。これからグリーンのジャージはサポーターとしてしか着ることがないと思うと悲しい」

 2005年に23歳でアイルランド代表になって14年の歳月が経った。10月19日。東京スタジアム。37歳はこの日もチームの先頭に立って、からだを張り続けた。スクラムで、ラインアウトで、ブレイクダウンで。そり上げた頭にかぶせた白いヘッドキャップがピッチを動き回った。

 だが、オールブラックスの猛攻に点差をつけられていく。後半20分過ぎ、メンバー交代だった。満員の4万9千の大観衆から大歓声と拍手が沸き起こった。珍しいことだ。グリーンのレプリカジャージのアイルランドファンにいたっては総立ちであたたかい拍手を送りつづけた。“長い間、お疲れ様”と。

 試合は14-46だった。またも準々決勝の壁を突き破ることができなかった。ベスト主将はピッチ上のインタビュー・エリアに連れてこられた。またも大歓声。5秒、10秒…。鳴りやまぬ大歓声と拍手の渦に、ベストはしゃべることができなかった。

 頭を右手で何度もたたき、つぶれた耳をひねった。苦笑しながら、やっとで口をひらいた。

 「観衆がほんと、素晴らしかった。チームメイト、コーチングスタッフに感謝したい。とくにジョー(シュミット・ヘッドコーチ)はアイルランドのレベルを引き上げてくれた。オールブラックスの幸運を祈りたい」

 人柄がにじみ出るインタビューが終わると、すぐそばで漆黒ジャージのオールブラックスと緑色ジャージのチームメイトが一緒に花道をつくって、ずっと待っていた。両軍の選手たちが拍手で世界的フッカーを迎え入れた。誰からもリスペクトされていた証である。スタンドの拍手もまた、鳴りやまなかった。

 終わると、ベストはバックスタンドに駆けていった。最前列まで駆け降りてきた3人の子どもを背伸びして、両手で大事そうに抱えながらピッチにおろした。背番号2のアイルランドジャージを着た長男は泣いていた。末っ子ははしゃぎまわって、うれしそうにベストのでかい右太ももに抱き付いた。

 子どもたちの大ヒーローのおとうさんは、3人の子どもに頭を突き合わせた。右手でそっと涙をぬぐった。子どもたちの手を引っ張りながら一緒にピッチを歩いた。

 僕は記者会見でストレートに聞いた。最後のテストマッチですね。今のお気持ちは。

 「悲しいです」

 泣いてきたのだろう、ベストの目は真っ赤だった。

 「ロッカールームはまったく音がないほど静かでした。そして、大きな男が涙を流していました。この身も心も捧げた大会でこのようなことが起こるとは…」

 ベストは努力の人だ。1982年、英国領の北アイルランドの人口数百人の小さな村で生まれた。地元のクラブチームでラグビーを始め、イングランド北部のニューカッスル大学に進学した。ユース世代の年代別の代表には選ばれず、2005年にアイルランド代表入りした。

 クラブと代表でプロラグビー選手としての生活を送りながらも、ベルファスト郊外にあるギルフォードに住み、妻と農場を経営している。納屋でラインアウトのスローイングの練習することもあったそうだ。

 2007年にキャプテンに就任した。ざっと12年。スクラムのカギ(フッカー)となり、チームを引っ張ってきた。欧州六カ国対抗でチームを優勝に導いたし、オールブラックスを2度、倒しもした。ことし4月、このW杯終了後に代表から引退することを表明した。

 アイルランドから遠く離れた日本でグリーンの代表ジャージを脱ぐことになった。日本でのラグビーW杯はどうでしたか、と聞いた。

 「日本でのワールドカップではいろんなことがあった。うれしいことも、悲しいこともあったし、素晴らしいパフォーマンスをすることもできた。私たちはスコットランド(〇27-9)に対して非常にいい試合をしたが、日本(●12-19)には負けた。日本はほんとうに強かった。素晴らしいチームだった。感情的には、ジェットコースターのようなアップ、ダウンがあった」

 もう涙声だった。ひと呼吸おき、ベストは言葉を足した。いい人だ。

 「日本のラグビーのみなさん、ワールドラグビーのみなさんに対して、やはり称賛を与えたいと思う」

 最後のW杯でも“ベスト”になれなかったベスト主将。ファンと家族に愛され、愛したレジェンドは最後、開催地の日本に感謝の言葉を送ったのだった。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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