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37歳トモさん、衰えぬ闘志とハードワーク~サンウルブズ惜敗

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
グラウンドを走り回ったサンウルブズの37歳ロック、トンプソン(撮影:齋藤龍太郎)

 ラグビーのロックは実に頼もしい存在である。スーパーラグビーの日本チーム、サンウルブズでもそうだ。「トモさん」ことトンプソン・ルーク(近鉄)がからだを張る。チーム最年長の37歳、なのに衰えぬ闘志とハードワークでチームに貢献する。1点差で惜敗(30-31)した23日のワラタス(豪州)戦でも、いぶし銀の輝きをはなった。

 後半20分過ぎだった。再度のゴール前ピンチのラインアウト。ワラタスのボールだった。相手がバックスを加えて9人並んだのに、サンウルブズはフォワードの6人だけだった。対応が遅れた。頑丈なモールを組まれ、ずるずると押し込まれた。

 背番号4、196センチのトンプソンが強引にモールに割って入ろうとした。さがりながらモールが崩れた。レフリーにはトンプソンが引き倒したように映ったのか。笛が鳴った。

 度重なる反則の繰り返し、モールコラプシング(故意に崩す行為)で認定トライを奪われた。無情にも、トンプソンにはイエローカードが出された。シンビン(10分間の一時的出場停止)である。

 トンプソンはおおきなため息をつき、両手を腰にあて、タッチラインの外に歩いていく。ベンチコートを着て、うつむき加減でパイプ椅子に座った。またもため息。

 「めちゃ、残念」

 試合後のミックスゾーン。トンプソンは大阪弁で痛恨のシーンを振り返った。献身プレーヤーの証なのだろう、鼻筋には血の塊ができている。つぶれた両耳。長身を少しかがめ、首をかしげた。

 「イエローカードは厳しいけど、レフリーの判断ね。自分のイメージでは、(モールの)真ん中にはいった。(止める)チャンスあった。フィフティーフィフティーだった。難しい。残念だけど、しょうがない」

 トンプソンは前週のシャークス戦(シンガポール)で、スーパーラグビーデビューを果たした。苦戦したスクラム、ラインアウトはこの日、改善された。シャークス戦の後、試合を見たネリッサ夫人からメッセージが届いた。「(倒れた後に)もっと早く立って!」と。

 それもあってか、試合では、倒れてもすぐに立ち上がって、走った。シャニムニ走った。タックルされてもすぐに立ち上がる、タックルしても、チャージしても、すぐに立ち上がって、接点でファイトし続けた。37歳とは思えない運動量だった。

 冗談口調で言った。

 「奥さん言ったら、絶対でしょ。みんな一緒でしょ。違う? 奥さんに言われたら、やってない?」

 いつもトンプソンの囲みは笑いの渦ができる。独特の大阪弁のイントネーションが耳に心地いい。からだは大丈夫ですか?と聞かれれば、「今はおじいちゃんだから」と37歳はまたも周囲を笑わせた。

 「試合の後はおじいいちゃん。でも木曜からは、にじゅうななさい(27歳)、試合のスタートも、にじゅうなな。だけど、終わったら、よんじゅうななさい(47歳)」

 若さを保つヒケツを問われると、トンプソンは短く漏らした。

 「ナチュラル(自然体)」

 ひと呼吸おき、「ジャスト・ラッキー」と言葉を足した。

 「自分は運がいいと思う。大きなけがもなかった。あとはバランス。食事とライフスタイルはバランスを大事にしている」

 サンウルブズは、前週より、よくなった。オーストラリア代表をそろえたワラタス相手に一歩もひけをとらなかった。

 「今週、すごいレベルアップした。みんなパフォーマンスは悪くない。ディフェンスよくなった。ペナルティーをあまり、与えなかった。でも、レベルのキープがめちゃ大事。これからトラベルの後、国、天気がちがう。また、レベルアップしないといけない」

 ニュージーランド出身のトンプソンは2004年に三洋電機(現パナソニック)に加入し、06年から近鉄でプレーしている。10年、日本国籍取得。ラグビーワールドカップには3回、日本代表として出場した。とくに15年のイングランド大会では4試合ともフル出場を果たし、3勝(1敗)の原動力になった。最後の米国戦の直後、日本代表引退を宣言した。

 だが、日本代表にけが人が続出したこともあって、請われて、2017年春のアイルランド代表戦に出場した。その後、若手のロック陣の伸び悩みもあってか、サンウルブズでプレーすることになった。もちろん、日本代表復帰、今秋のラグビーワールドカップを意識してはいるだろう。

 ワールドカップの話題を振られれば、「いまはサンウルブズに集中」と言い切った。

 「それはぼくの判断じゃない。もし、日本代表がぼくをほしいと言ったら…。いまはサンウルブズ。自分の仕事に集中するだけね」

 ターゲットは? と聞かれると、トモさんは短く言い切った。

 「ビート・チーフス(チーフスを倒す)」

 次週は母国ニュージーランドに移動し、ハミルトンでチーフスと対戦する。自身の境遇に最善を尽くす人生。日々、チャレンジ。年輪を重ねれど、タフガイの闘志は衰えない。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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