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広がる国際交流の輪ー奥記念杯

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)
笑顔広がる奥記念杯(17日・撮影:筆者)

 歴史を感じるロンドンの一日だった。17日。ラグビーの聖地トゥイッケナムで初めて、イングランド代表×日本代表のテストマッチが行われ、リッチモンド・グラウンドでは、2003年にイラクで殺害された外交官の奥克彦さん(享年45)を偲ぶ、「奥記念杯(OKU MEMORIAL TROPHY)」が開かれた。

 ロンドン郊外の名門クラブのグラウンドには、ロンドン内外のラガーマンがざっと100人駆け付けた。黄金色の銀杏の木々に囲まれた緑の芝生で、奥克彦さんが留学していたオックスフォード大OBや母校の早大OBらが、楕円球を追いかけた。プレーは激しさの中にも優しさがあり、笑いも絶えなかった。

 みんな、切なくも、愉快そうで、ラグビーを満喫している。いや、ラグビーを通した交流を楽しんでいた。早大OBで、ロンドンの日本人ラグビークラブ『ロンドン・ジャパニーズ・クラブ(通称ロンジャパ)』のキャプテン、池上真介さんは「感慨深いですね」と言った。

 「日本とイギリスの深い交流に貢献された偉大な先輩です。奥克彦さんが残してくれたご縁やイベントに関わることができることに感謝しています」

 奥克彦さんが復興支援活動のために滞在していたイラクで銃弾にたおれてから、もう15年が経つ。奥克彦さんはいつも、弱者に目を向けていた。ラグビーを通した日英交流、国際交流をも願っていた。それが国際平和につながるのだ、と。その遺志を継ごうと、日英の友人たちは追悼試合を毎年続け、16回目を数えた。

 今年はテストマッチの日の午前ということもあって、ラグビーワールドカップ2019組織委員会の嶋津昭事務総長も駆け付け、鶴岡公二・駐英日本大使があいさつをした。奥記念杯を支えてきたのは、オックスフォード大出身で神戸製鋼でもプレーしたレジ・クラークさんである。クラークさんはこう、言った。

 「カツ(奥克彦さん)はワンダフルな男でした。日本とイギリスの交流の懸け橋となりました。カツの夢だったラグビーワールドカップ(RWC)が来年、日本で開催されます」

 そうなのだ。奥克彦さんがRWCの日本開催を言い出し、早大ラグビー部の先輩にあたる森喜朗総理(当時)に日本招致を熱く訴えたという。情熱は人を動かす。紆余曲折を経て、日本ラグビー協会の町井徹郎会長(2004年没、享年69)に伝わり、やがて会長を継いだ森さんご自身が招致活動の先頭に立つことになった。運と縁である。

 それにしても、奥克彦さんは魅力のある人だった。英国のラグビー事情に詳しいジャーナリストの竹鼻智さんは、「奥克彦さんは、ラガーマンとして、外交官として、いろんな国の人たちと友情を築いたのです」と説明した。

 「亡くなった後も、レジ・クラークさんらが奥克彦さんを偲ぶ記念杯を続けています。昔のことを忘れないのは、ラグビーの特性じゃないでしょうか。こういった交流を通し、一人でも多くの人が来年のラグビーワールドカップに観戦にいくよう、勧めていこうと思っています」

 グラウンドの横には、机に日本酒の一升瓶が8本並んでいた。試合後はビールや日本酒を飲んで交流を深める、これもラグビーの美徳のひとつである。人の輪づくりは、奥克彦さんの得意技だった。

 そういえば、この日のテストマッチの公式プログラムには奥克彦さんの1ページ大の写真ととともに特集記事が掲載されていた。見出しが「MAKING A DIFFERENCE」(変化をもたらす)。本文には「外交官のカツは袖をまくり上げて行動し、助けを求めている人や困ったところに行って、変化をもたらそうとしていた」と書かれてある。つまり行動の人、エネルギーの塊だったのだ。

 今月29日は、奥克彦さんの15回目のご命日となる。

 

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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