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W杯スクラム戦記3「W杯で日本初のSTが生まれたワケ~日本×サモア」

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)

ラグビー、とくにワールドカップ(W杯)ではスクラムが勝敗に大きな影響を与える。日本代表のエディー・ジョーンズヘッドコーチ(HC)は日本×サモア戦の前日会見で、そう言った。10月3日の試合では日本FWがスクラムを押した。26-5で勝った。

過去のサモアとの対戦成績は3勝11敗だった。ずっと日本は、身体能力が高いアイランダーにはやられていた。そのサモアにこうも圧勝するとは。勝因はずっと相手にプレッシャーをかけ続けたことである。その象徴がスクラムだった。

今回もマニアックに、いやつぶさにスクラムを吟味したい。日本応援が大半を占めた英国ミルトンキーンズのスタジアム。その満員3万観衆から「ニッポンコール」がひときわ大きくあがったのが、前半20分過ぎだった。

なんとW杯初の日本のスクラムトライ(正確には認定トライ)である。フィジカルアップの甲斐あって、ここまで日本FWはたくましくなったのだった。

サモアFWはでかかった。平均の身長が189センチで体重112キロだった(日本FWは平均187センチ、109キロ)。ジョーンズHCのコトバを借りると、サモア3番のセンサス・ジョンストンは空きっ腹のときでも135キロ(身長は190センチ)もある。巨大である。

サモアは日本の分析通りに組んできた。つまり、1番の左プロップのサカリア・タウラフォ(183センチ、118キロ)ががつがつと上がってくる。かたや3番の巨漢プロップは外に開いて、ウエイトを乗せる格好で落とし気味に組んでくる。

3番がちょっとでも前に出てくると、1番がぐぐっと押しあがってくる。このときの1番は要注意である。つまりサモアスクラムのキーマンは巨漢の3番。試合後の日本の1番の左プロップ、稲垣啓太が説明する。

「だから、まずは1番を出させないように、ぼくが相手3番を押し込んでから、一緒に上がったら、いいイメージでスクラムを組めるんじゃないかと考えていたのです」

フッカーの堀江翔太はこう説明した。

「(日本の)3番を中心に上げて、3番を出していく作戦だったんです。あとは1番のガキ(稲垣)の力量というか、相手をうまくとらえて、プレッシャーをかけていったんです」

スクラムでの「上がる」いう表現は「前に出る」という意味である。つまり日本のスクラムのコンセプトは、3番を前に出して、8人で固まって前に出ていくことだった。

この試合では、スクラムはトータル16回あった。相手ボールが5本、日本ボールが11本だった。

ファーストスクラムは、開始3分、敵陣10メートルラインあたりの右中間の日本ボールである。日本は8人がうまく固まり、当たり勝った。押そうと思えば押せただろうが、クイックでボールを出し、左ラインに回した。

この日の作戦。相手FWが元気なうちはボールをクイックで出して動かし、巨漢FWを疲れさせる。相手が疲れたとみれば、ボールをキープして、押し込んでいく。いわゆる『ドライブ』。

ラグビーに限らず、柔道でも相撲でも、最初のコンタクトは大事である。彼我の強弱がわかる。135キロの巨漢と組んだ稲垣のファーストスクラムでの述懐。

「(トイメンが)重たいのは明らかに分かっていたんですけど、実際、組んでみて、改めて重たいなと感じました。体力を削られて、後半、走れるかな、とちょっと思いました」

2本目のスクラム(日本ボール)もクイックでボールを出し、右ラインに展開した。スクラムの成長の理由のひとつが、フロントロー陣のコミュニケーションの良さだと思う。1本1本、互いに情報を共有し、組み方に微修正を加えていく。

1、2本目のスクラムのあと、堀江は稲垣に「どうだ?」と確認している。「いける」と返ってきた。

「いつも、基本的なことを会話して、(スクラムが)どういう風になっているかを話し合っています。ガキが(相手を)とらえながら、しっかり押し込んでいっていたので、あいつを捨てずに前に出ていったんです」

補足すれば、1番がやられていると、1番を外し、2番、3番で相手1番をつぶしにいくこともある。フロントローは絶えず、コミュニケーションをとり、相手との駆け引きに生かしているのでる。

そして、前半24分。ハイライトの3本目がやってきた。相手はレイトタックル(8番)、アーリータックル(1番)で2人のシンビン(10分間の一時的退場)を出していた。

ゴール前の左中間でのペナルティーで当然のごとく、リーチ・マイケル主将はスクラムを選択した。

相手はバックスとプロップが交代し、FWは7人となった。まあ、6人だろうが、7人だろうが、いまのジャパンにはさほど関係ない。組んだ。すぐ崩れた。同じポイントで組み直しとなった。

再び組んだ。1番の稲垣がぐいと前に出ようとした。これに対し、135キロの相手3番はちょっと開き、落とそうとしてきた。稲垣はこらえ、もう一度、ぐいと前に出ていった。3番の畠山健介も相手に組み勝ち、前に出ていった。

サモアはたまらず、スクラムを崩した。もうバラバラ。フランカーはスクラムに肩を当てていない。今のジャパンのスクラムではありえないことだ。

日本のタイト5(フロントローとロック陣)の頑張りは当然として、バックロー(フランカーとナンバー8)が必死に低い姿勢で押し込んでいた。

トップレフリーである南アフリカのクレイグ・シュベール・レフェリーが笛を吹いた。ポール下に駆けていって、認定トライを宣告した。このレフリーは攻めている方に優位な笛を吹くことで知られている。

認定トライのスクラムについて、「3番、落としてきましたね」と稲垣は思い出す。それでも一緒に落ちなかった。

「ハタケさん(畠山)のほうがイケそうだったので、ここで落としたらもったいないと思ったんです。そこで落としても、たぶん、ペナルティーをもらえたでしょうが…。そこで、うまく持ち上げて、前に出ることができたんです」 

あえて相手3番を外に出さず、うちにプレッシャーを与えながら前に出た。直後、どんとスクラムは崩れた。

それにしても稲垣は強くなった。体重も4、5キロアップし120キロ、からだがでかくなった。フィジカルもアップした。体幹の強靭さは天性のものがある。

29歳の堀江は試合後、パナソニックの後輩となる25歳の稲垣の成長を認めた。

「あいつが成長したのは大きいですよね。どんどん相手にプレッシャーをかけられていたので。(認定トライの際のスクラムでは一度崩れかけて持ちこたえたことは)あいつの能力だと思います。足腰の強さですね。成長して、あそこまでできるようになったんです」

堀江のほめ言葉を伝えると、稲垣は「そうなんですかね」と恐縮した。

「パナソニックに入って、堀江さんと一緒にスクラムを組ませてもらって、堀江さんに頼り切りでした。相馬(朋和=現コーチ)さんもいましたし、どちらかというと、2人がやっていることについていくみたいな感じだったんで。2年目、3年目ときて、こうやって、自分の力で(スクラムトライの)きっかけができたというのは、個人的にはうれしいですね」

少し稲垣のパーソナリティを説明する。新潟工高時代からU20(20歳以下)日本代表に選ばれた逸材で、関東学院大を経て2013年に強豪パナソニックに加入した。豊富な運動量と強力なタックルを買われ、昨年から日本代表入りを果たした。

昨年11月の欧州遠征では、ジョージアにスクラムでやられた。コラプシングでシンビンもとられた。その屈辱を胸に鍛錬に励んだ。

今年はスーパーラグビーに挑戦し、日本人プロップとして初めて試合に出場した。    

南ア戦の激闘で右手中指を軽く骨折したが、稲垣は「問題ないです」と笑うのだった。この1年でなぜ、こんなに成長したのか。なにが変わったでしょうか? そう問えば、稲垣は即答した。  

「意識です」

サモア戦に戻る。

フッカー堀江は言った。

「イメージでは絶対、一個は(スクラムトライを)取ろうと思っていました」

プロップ畠山はこうだ。

「最初のスクラムを組んだ段階で、いいスクラムが組めるという手応えがありました。しっかり稲垣の方から上がる感覚があって、そのお蔭で前に出ることができて、スコアすることできました。相手のシンビンもあって、スクラムトライを狙いにいくということでは全く迷いはありませんでした」

このあと、日本は相手ボールのスクラムでアーリープッシュの反則をひとつとられたが、後半には押し込んで、2本のコラプシングの反則を奪った。圧勝だった。

ノーサイド。歓喜に沸くジャパン戦士。とくに畠山と稲垣は顔をくしゃくしゃにして、からだをぶつけあって喜びを分かち合った。テレビインタビューで畠山と堀江が入れ替わる際も、ふたりはがばっと肩を抱き合った。          

ほほえましい光景だった。プライドと自信。

フロントロー陣、歓喜のときである。

【ずばり! スクラム解説】

『太田治の目』

太田さんは日本代表歴代最強の左プロップ。スクラム理論には定評がある。明大―日本電気(現NEC)。日本代表キャップ数は「27」。1989年のスコットランド戦、91年W杯のジンバブエ戦の歴史的勝利に貢献。95年W杯も出場。日本代表GM、7人制日本代表チームディレクターなどを歴任。50歳。

すか」

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日本ラグビー界の歴史を塗り替えるワールドカップ2勝目はスクラムで勝ち取ったといっても過言ではない。

前半20分過ぎのスクラムを押し込んでの認定トライはチームに勢いを与え、世界を驚かせたに違いない。

日本スクラムがワールドカップの舞台でスクラムトライを取れることを証明したのだ。プロップ出身としてはこんな嬉しいことはない。

ありがとう。稲垣、堀江、畠山、大野、トモ、リーチ、コリー、ブロードハースト。

日本のフロントロー競技者にも勇気と自信を与えたことだろう。

スクラムの総数は全部で16。全体的にみても日本のスクラムは安定していた。低く、鋭いヒットで8人全体の体重移動がスムーズに前に伝わり、クイックとドライブをうまく使い分け、サモアスクラムでも2回ターンオーバーし、日本はスクラムを支配していた。

修正ポイントとして挙げるとすれば、レフリーとのタイミング。アーリープッシュで1回反則を取られているので、アメリカ戦レフリーの癖を再度確認してフロントロー陣で情報共有&シュミレーションしておくことが大切だろう。

とにかく、アメリカ戦は日本のベスト8の望みがかかる大事な大事な一戦だ。

スクラムは、低く鋭いヒットでまとまり、常にプレッシャーを掛け、スクラムからリズムが生まれる試合を期待したい。

『坂田正彰の目』

坂田さんは元日本代表フッカー。法大―サントリー。1999年W杯、2003年W杯出場。キャップ数が「33」。クレーバーなフッカーだった。テレビ解説も務め、落ち着いた口調と偏らない解説は評価が高い。42歳。

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南アフリカ戦の歴史的勝利はラグビーファンだけでなく、試合を観た日本人の誰もが何かを感じ、歓喜したと思います。そして続くスコットランド戦には勝利する事が出来なかった分、このサモア戦への期待は大きかったのではないでしょうか。

サモア選手との体格・身体能力の差から、アンストラクチャー(崩れた局面)からのサモアアタックは警戒されていたが、前後半80分を通してサモアの強みを出させないゲーム展開が出来たことはJAPANが大きく成長した部分であるといえる。

自分たちのチームの強みを出すことは当然だが、相手チームの強みを出させず、自分たちのペースで戦うことは簡単ではない。

ゲームを組立てる上で、スクラム・ラインアウトのセットプレーの安定が大きな勝因である。前半24分のスクラム認定トライは象徴的だが、その認定トライに至るまでの駆け引きが、認定トライに繋がったといえる。体格差のある相手に対し、真っ向から勝負するのではなく、スクラムセット後の揺さぶり、体重移動方向などの駆け引きが、ファーストスクラム、セカンドスクラムであったはずだ。

サモア戦ではFW8人の縦のバインドは勿論、横のバインドをより意識したスクラムが組めていた。フッカーの堀江選手が相手のプロップの肩の位置、加重方向を体で感じ、両隣の味方プロップとのバインド(パック)の強弱をつけコントロールしていた。

またJAPANボールの球出しの緩急をつけることにより、相手のプレッシャー意識(スクラムを押そうとする意識)をなくさせ、サモアFWのまとまりをなくした事も、勝利に大きく作用していた。

最終戦のアメリカはサモア同様にフィジカルなチームであり、過去、ワールドカップで2度勝っている相手が日本である。決勝トーナメントの道がないアメリカが全敗を阻止する為、JAPANに圧力を掛けてくることは必至であるが、JAPANにはより柔軟な頭を使った戦いで、本大会3勝目を目指して欲しい。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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