ラグビー日本女子の鉄人の覚悟「リオ五輪まで走り続ける」

7人制ラグビーの女子セブンズ・ワールドシリーズのコアチーム昇格大会で優勝した日本代表(愛称サクラセブンズ)が帰国し、成田空港で記者会見が開かれた。晴れやかな選手の笑顔が並ぶ中、33歳の“鉄人”、兼松由香は「(女子ラグビーを)やってきてよかった」と言葉に実感を込めた。

「(優勝は)最高にうれしかったです。自分たちがやってきたことを信じて、1戦1戦出し切って勝ち切ったと思います。家族だけでなく、地元の人たちの応援もエネルギーになりました」

アイルランドのダブリンで開かれた同大会で、日本はオランダやウェールズの欧州勢や来年のリオデジャネイロ五輪の開催国、ブラジルなどをことごとく破った。地元アイルランドとの決勝では0-12から逆転する劇的な勝利(13-12)だった。これで日本は初のコアチーム昇格を決め、15-16年シーズンからワールドシリーズ全大会に出場できることになった。

大会は雨だった。「屋根のないところで、雨に濡れながら一生懸命に応援してくれた子どもたちの声が会場に響き渡っていたのです」としみじみ振り返る兼松は優勝後、8歳の愛娘から、ほのぼのとした祝福のメッセージをもらった。<金メダル、おめでとう。帰ったら、ギュウしてね>

5歳からラグビーを始めた兼松は、女子ラグビーの厳しい環境の時代を知っている。159センチ、58キロながら、15人制日本代表、セブンズ日本代表として活躍し、ワールドカップ(W杯)セブンズ2009アジア地区予選では強豪カザフスタンを倒す原動力ともなった。だが、出場権を確保したW杯の1週間前の練習で、右ひざの前十字じん帯の大けがを負ってしまった。

引退を考えながらも、2013年のW杯セブンズを目指したが、再び右ひざの半月板を負傷した。昨年6月の日本代表候補の豪州遠征でも左ひざのじん帯を負傷し、プレーはできなかった。

小柄なからだを張るから負傷が絶えない。もうからだはボロボロである。でも、勝負魂は衰えない。五輪に向け、走り続ける。なぜか。母親と夫と娘の支えがあるからだ。さらには今は亡き父親との約束があるからである。

5年前、病気で他界した父親との最後の電話で、兼松はこう、涙声で宣言した。

「オリンピックにいくから」

兼松が母親となった時、父親はラグビーの継続に反対した。「子どもとラグビー、どっちが大事なのだ」と言われたこともある。でも、兼松の熱意にほだされ、やがて負傷をする度、復帰を応援してくれた。

兼松は国際大会に出る時は必ず、父親の墓参りを欠かさない。父親と家族の写真をラグビーファイルに収めて持っていく。もしもセブンズの神様がいるとすれば、「それは父親」と言うのである。

「昨年、左前十字(のけが)をやったときも、完全に切れたら(現役は)終わっていた。でも部分断裂で済んだ。きっと、おとうさんがちょっとだけつないでくれていたのだと思う。“まだ、(ラグビーを)やめるな”って」

今回のコアチーム昇格大会では、選手たちは墨字で決意を書き、ミーティングルームの壁にはっていた。兼松は「信念を持って勝負を制す」と書いた。大会の前夜のミーティング。33歳はこう、声を張り上げたそうだ。

「わたしは小さくて、足が遅くて、ラグビーが下手なんオバさんです。でも、低く、相手に突き刺さり、はやく起き上がり、ひたむきな気持ちで戦います。12名の中で一番、最低ラインの選手だけど、それでも相手に立ち向かっていきます」

この檄がチームメイトに響かないはずがない。長い女子セブンズの歴史があってこそ、今がある。さまざまな人の努力と熱意があって、サクラセブンズは成長してきた。ことしの最大のターゲットが11月のリオ五輪アジア予選。

「まさか、このトシまで(日本代表に)いられるなんて、数年前は想像していませんでした。正直、いつまでこのチームにいられるか分かりませんけど、2016年の8月5日まで走り続けます。たとえ、前十字じん帯が切れても、たとえ、プレーできないからだになっても、たとえ、メンバーから外れても、絶対その日まで走り続けると決めているんです」

2016年8月5日。その日はリオ五輪の開幕の日である。