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青春の積み重ねの日本一

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)

勝つっていいなあ。21日。全国地区対抗大学大会で初優勝を遂げた東京学芸大ラグビー部の『優勝&創部40周年祝賀会』をのぞき、つくづくそう思った。北は岩手、南は長崎から、ざっと50人のOB、OGが駆けつけ、学生と一緒に日本一を祝い、青春の思い出話に花を咲かせた。

チームを指導し始めてから14年、鈴木秀人部長が感慨深そうに漏らす。「ちゃらんぽらんなヤツがいた時でも、一生懸命つないでくれた学生がいてね。もし、そいつが放り出していたら、チームはつぶれていたかもしれない。この40年の間、無駄な時間はいっときもなかったのです」と。

前身の同好会設立が1973(昭和48)年だった。3人がラグパンにジャージ姿で、グラウンドの片隅を黙々と走り出した。翌74(同49)年、ラグビー部に昇格。「朗報が入ると、3人は狂喜し、2人の2年生を促してラグビー部としての初練習をおこなった。木枯らしが吹きすさぶ寒い日であった。5人のラガーマンは力の限り走りまくった。ロッカールームに帰ると、練習中から抑えていた涙をこらえきれず男泣きした」。25周年記念誌にはそうつづられ、こう締められている。「学芸大ラグビーの歴史は、いま、始まったばかりである」

その後、ラグビー部は浮き沈みをくりかえす。81(昭和56)年、早大ラグビー部元監督の日比野弘さんが同大学のラグビーの授業を担当されることになった。82(同57)年、全国教育系大会初優勝。86(同61)年、全国地区対抗大会初出場。2002(平成14)年には武蔵工大(現・東京都市大)に0-133の大敗を喫したこともある。いつも部員不足に悩まされながらも、「楽しむラグビー」を根本思想とし、歴史はひとつひとつ積み重ねられてきた。

この日は、同大OBで、日本協会のトップレフリーの下井真介さん(1976年入学)も出席した。後輩から、「14人でも試合ができますか」との問い合わせを受けたこともある。部員や部費が少ない分、情熱だけはあった。下井さんは「リュックに赤レンガを詰めて走っている猛者もいた」と思い出す。

ことしの部員は30人余(うち女子部員が3人)。常に学生が主役である。「まじめにラグビーに打ち込む」「責任」をモットーとし、信じ、考え、鍛え抜く。とうとう「青春タックル」で日本一をつかんだ。大半が将来、教職の道につく大学にあって、この経験は貴重な財産となろう。

同大OBの笠松具晃監督(1985年入学)は「こんな日がくるとは夢にも思ってなかった」と感激顔だ。「部の年間予算はラグビーボール4個分くらいしかありません。でも、OBなどいろんな人々のおかげでラグビーができています。感謝、感謝…。感謝という言葉しかありません」

祝賀会場の隅のテーブルには、昔のチームジャージや初代チームバッグが飾られていた。縦メートル以上もあるこげ茶色の優勝盾も置かれ、OBたちが「すごいな」「でかいな」と口にしては手で触っていた。学芸大ラグビー部に新たな歴史と「誇り」が加わった。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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