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64年東京五輪旗との邂逅

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)

五輪旗をご存じか。白地に青、黄、黒、緑、赤の5つの輪がW形に組み合っている、オリンピックを象徴する旗である。なんと1964年東京五輪の五輪旗が、九州は福岡市の修猷館高校に保存されていた。

年末、帰省の際、その我が母校をぶらりと訪ねる。受付でうわさの旗に“表敬訪問”したいと願い出れば、突然にもかかわらず、古川浩輝副校長自らが資料館を案内してくれた。

この旗は、2020年東京五輪パラリンピック開催決定で俄然、脚光を浴びはじめた。それまではノーガードの体育館入口に飾られていたけれど、安全のため、かぎのかかる同校資料館に移された。

五輪旗は、なんとも味わいがあった。歴史のにおいがする。タテ133センチ、ヨコ203センチ。同校OBで安川電気の創設者、九州電力元会長の故安川第五郎氏が64年東京五輪組織委員会会長を務めた縁で、大会翌年の65年、「若者たちの奮起に役立つなら」と同校に寄贈されたという。

その偉大な先輩の思いを想像するに、世界に羽ばたく日本の象徴となった東京五輪へのチャレンジ、文武両道、自己研さん、国際交流、友情と連帯、リーダーシップの大事さ、世界平和への願いを後輩に伝えたかったのだろう。「世のため、人のため」に生きよ、というメッセージでもある。

この五輪旗は、64年東京五輪の開会式が行われたメイン会場の国立競技場のポールに掲揚された。大会後、大会成功に感激した国際オリンピック委員会(IOC)のブランデージ会長(当時)から安川氏に渡されたものという。ならば東京五輪成功の象徴といってもいいのではないか。

そういえば、この五輪旗は、毎年9月の修猷館の大運動会の入場行進では列の先頭で高く掲げて運ばれていた。まるで本物の五輪での開会式と似たカタチだったのだ。現在では、五輪旗が傷まぬよう、運動会ではレプリカが使用されているそうだ。

資料館には、この五輪旗と一緒に聖火のトーチも飾られていた。とはいえ、大事なのは、東京五輪を偲ぶ記念品というだけでなく、1964年東京五輪開催に至るプロセスと人々の努力、五輪精神であろう。

五輪旗と共に五輪精神も次の世代に引き継がれてきた。古川副校長は言う。「修猷には偉大な先輩がたくさんいる。(64年)東京五輪をやり遂げた先輩がいたことも、生徒たちには誇りとなるだろう」

じき2020年東京五輪パラの組織委員会が立ちあがる。だれが会長に就くかわからないが、『温故知新』である。安川氏は東京五輪後、依頼された揮毫(きごう)にはこう、書いたという。

『至誠通天』。

正確な意味が分からず、調べれば、吉田松陰のコトバで「誠を尽くせば、願いは天に通じる」とあった。ひとつひとつの課題に誠実に取り組み努力すれば、必ず願いはかなう、ということだろう。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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