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伴走の神様「極意は気配り」

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)

「クニさん」こと、鈴木邦雄さんは、視覚障害者ランナーから『伴走の神様』と称される。伴走の極意を聞けば、67歳のクニさんは仏さまのような笑顔をつくった。「気配りでしょ。基本は信頼関係。思いやり、気遣いがあれば、伴走はすぐ、うまくなります」

小学生の頃から家業の手伝いで新聞配達をしていたからか、体力には自信があった。マラソン歴が30数年、1984年の時に「手伝ってほしい」と頼まれた伴走を始めてちょうど30年となる。伴走とは、視覚障害を持つランナーを支えるパートナーである。

つまり視覚障害者ランナーの「目」となる。7月下旬。フランスのリヨンで開かれている障害者スポーツの陸上世界選手権をインターネットで見ていたら、「伴走」の存在が気になった。だから、その神様に会いたくなったのだ。

クニさんは一昨年、ちまたで「走る人のノーベル賞」とも形容されるランナーズ誌『ランナーズ賞』を受賞している。その時の紹介文には「視覚障害者ランナーの代弁者」と記されている。既に伴走教室の講師を200回ほど、務めた。「すごくうれしかったですね。何か言いづらい視覚障害者の人の代わりに、僕が伴走者にいろいろと言うからです」

伴走者は、ランナーと短いロープでつながれている。基本が二人三脚。主役はもちろん、ランナーである。「いろんなことを伝えて、相手に安心してもらうわけです。歩幅も手の振りも、相手に合わせます。気遣いがあれば、腕の振りはどうなのか、もっと小さくしてほしいのか、分かりますよ」

伴走者の「がんばれ!」は時に、視覚障害者ランナーにとって拷問となる。ランナーはペースを落としてほしい時は「お腹が痛い」と口にする人もいるそうだ。「ランナーがゆっくり走りたければ、それを察して、こちらはペースを落とします。途中でランナーがやめたいと漏らしたら、そうですね、もうやめましょうって」

兎にも角にも、レースを楽しむことが一番だろう。苦しくても、いずれは楽しくなる。達成感、充実感がある。走ったり歩いたりしたあとのビールの味といったら。フルマラソンの折り返し地点にいったら、クニさんはこう、言うそうだ。「もう半分終わっちゃいましたね。楽しみは残り半分です。残念ですね」と。こう言われれば、なんだか元気がわき出てくるではないか。

伴走の際、クニさんはいろんな情景描写も加える。「鯉のぼりがはためいていますよ」「おじいちゃん、おばあちゃんが車いすで応援しています」「あっ、女子高生が手を振っています」「子どもがいます」「お城みたいな大きな家です」「道端にちゃっちゃい花が咲いています」。ゴールすると、全盲ランナーの人が「テレビの画面を見ながら走っているようだった」と感謝してくれたこともある。

「伴走冥利に尽きます。僕は目の代わりですから。ちょっと涙もろいので、つい…。ありがとうと言われたら、うれしいですから、ジンときますよ」

伴走は、正真正銘のボランティアである。報酬はゼロ。交通費も宿泊代も自費で賄う。見返りは?

「相手の方が走れた感動ですよ。相手の方が喜んでくれるのが、僕の喜びなんです」

伴走はライフワークである。そのために地域クラブでトレーニングを積み、ランニングやウォーキングの講師や指導を務めている。ついでにいえば、自身でも250キロの『萩往還マラニック』を14回、完踏している。

8月には全盲の女性ランナーの伴走者として、富山湾から立山連峰まで駆け上がる『立山登山マラニック』の「ウォークの部」に挑戦する。急な坂道、岩場もある難コース。

「その女性はふだん、こんな山には行けないわけです。完歩は難しいかもしれない、でも大会を楽しんでくれればいいなと思うのです」。167センチ、58キロ。クニさんはそう話し、二重マブタの目を細めるのだった。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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