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サッカー日本代表、11年で変わったもの

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)

あの2002年日韓ワールドカップ(W杯)のベルギー戦(2-2)から、ちょうど11年が経った。6月4日の埼玉スタジアム。サッカー日本代表が、オーストラリアと1-1で引き分け、5大会連続のW杯出場を決めた。11年で変わったものとは。

まずピッチの選手が「国際規格」になった。11年前のメンバーで、海外のクラブにおいてプレーしていたのは3人だった。稲本潤一(英国・アーセナル)と中田英寿(イタリア・パルマ)、小野伸二(オランダ・フェイエノールト)である。それが、この日の先発メンバーでは、11人中8人も海外のクラブでプレーしている。隔世の感がある。

同点PKを決めた本田圭佑(ロシア・CSKAモスクワ)に代表されるように、総じて球際がつよくなり、簡単には倒れないようになった。ザッケローニ監督は本田をこう、評する。「彼は2つのパーソナリティーを兼ね備えている。1つは強いパーソナリティーを持っている選手で、もうひとつはフィジカルの強さ。前のところでボールをキープできる特徴を持っている」と。

さらには11年前も今回も取材して思うのは、試合後の選手たちのコトバが豊かになったことである。それぞれが自分というものをしっかり持ち、それを自分のコトバで表現するようになった。つまり取材していて、オモシロいのである。

11年前と今回の記者席からの風景はほとんど変わらない。満員のスタンド。沸騰するサポーターの熱。ちょっと調べてみると、11年前の観客数が5万5千256人だった。今回は6万2千172人である。

だれもがサッカーを愛している。熱くてやさしい。W杯出場を決めたあと、ザッケローニ監督はピッチを一周した。「日本代表の監督をやったあと、どこの国にいこうか、そういうことも考える。ただ日本の長所や素晴らしいことを知って、他のところに目を向けるのは難しい。ピッチを一周しているときに、実はテクニカルスタッフとそういう話をしたんだ。これだけのサポーターに囲まれている風景を考えると、ちょっと次に別の国に行くのは難しいなと」

ついでにいえば、11年前とスタンドの雰囲気はじゃっかん、変わったと思う。ゴール裏のサポーター席はともかく、記者席の向かいのバックスタンドの空気である。緊迫感が漂い、応援にメリハリがある。

たとえば、豪州のプレーであろうと、いいパフォーマンスであれば、拍手が出る。たまたま記者席の隣に座ったサッカー取材歴50数年のスポーツ・ジャーナリスト、尊敬する80歳の牛木素吉郎さんがふと、漏らした。

「バックスタンドの空気が変わった。サポーターのサッカーを見る目がついた。サッカーがわかるようになっているなあ」

ちょうど11年。サッカー文化の醸成とまでは言わないまでも、代表チームが強くなるとは、そういうことなのである。

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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