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元ラガー画家、魂の旅路を読む

松瀬学ノンフィクション作家(日体大教授)

ゴールデンウィークに「スポーツ」を読む。人の生き様を知る。この度、元ラガーの岡部文明さんが『ピエロの画家~魂の旅路~』(小学館)を上梓した。64年の歳月は、少しの試練と、多くの出会いに満ちている。

48年前の1965(昭和40)年、ラグビー選手として岐阜国体に参加した高校2年生は、スクラム練習中に首をけがし、からだに障害を負った。苦しい日々が続く。だが、67(同42)年、病院でのリハビリ中、来日中のNZU(ニュージーランド学生選抜)の選手4人が突然、見舞いにきてくれた。

「宝物」みたいな出会いとなる。勇気をもらった。生きる力が沸いてきた。そう、岡部さんは振り返るのだ。晩年のルノアールが、マヒした手に絵筆を縛りつけて描く姿に感動し、画家の道を歩み始める。

ある日、サーカスのピエロと出会う。時に切なく、時にユーモラス。何かを感じ、一心にピエロを描き出した。ピエロを訪ねて、車いすで世界を旅する。アメリカ、イタリア、ドイツ、スイス、ロシア…。感じて動けば、そこに出会いと縁が生まれる。

ニュージーランドでラグビーのワールドカップ(W杯)が開かれた2011(平成23)年10月、岡部さんはその地で個展を開いた。夢がかなう。けがした時、病院に見舞ってくれたNZUの元選手と再会した。4人のうち、健在の2人と。44年ぶりだった。

その恩人を驚かすため、岡部さんは精魂込めてピエロの絵を描いた。約3カ月をかけ、194センチ×163センチの大作だ。真ん中に空飛ぶピエロ、手には4本の花と4通の便せんが握られている。

ステキな絵である。岡部さんの説明によると、「ピエロは僕。メッセージには4人の名前が書いている。ダンスの妖精が8人、音楽隊は7人。足すと15人でラグビーチームになる」ということだった。

その絵が、岡部さんの本の表紙となっている。絵のタイトルが「愛のメッセージ」。何を隠そう、その絵ハガキが、わたしの机の右上に飾ってある。裏をみれば、「Bokabe」のサインと共に「2011.Oct 9」と記されている。実はその日、私は岡部さんとニュージーランドの個展会場で出会ったのである。

まさに出会いは奇跡であると思う。その時、たしか岡部さんはこんなことを言っていた。「ラグビーは僕の人生そのものだったんです。何でも“できない”と思ったら終わり。“絶対できる”と思うところから始まるのです」と。

ついでにいえば、岡部さんの人生最大の出会いは妻の範子さんとのそれであろう。よき夫婦だから、世界の旅がひろがった。

この本を一気に読んだ。すぐ、福岡の岡部さんの携帯に電話をかけた。

「今日までやってきたことを、目立つ部分だけを書いてみました。けじめというか、区切りというか。お世話になった方々に感謝の気持ちを伝えたくて…。たくさん、たくさん、人に会って、たくさん、たくさん、たくさん、感動をもらった。やっぱり、人生は出会いによって彩られていますね」

まったく同感である。人生はオモシロい。『一期一会』の意味をかみしめる。本を閉じる。表紙のピエロの絵をまじまじとながめる。ふっと口元が緩むのである。

【「スポーツ屋台村」(五輪&ラグビー)より】

ノンフィクション作家(日体大教授)

早稲田大学ではラグビー部に所属。卒業後、共同通信社で運動部記者として、プロ野球、大相撲、五輪などを担当。4年間、米NY勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。1988年ソウル大会から2020年東京大会までのすべての夏季五輪ほか、サッカー&ラグビーW杯、WBC、世界水泳などを現場取材。人物モノ、五輪モノを得意とする。酒と平和をこよなく愛する。日本文藝家協会会員。元ラグビーワールドカップ組織委員会広報戦略長、現・日本体育大学教授、ラグビー部部長。著書は近著の『荒ぶるタックルマンの青春ノート』(論創社)ほか、『汚れた金メダル』『なぜ、東京五輪招致は成功したのか』など多数。

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