『第9地区』、『チャッピー』のニール・ブロムカンプ監督の新作は期待外れだった。

これは昨年のシッチェス映画祭で見た同僚たちの総意に近い。スペイン人記者たちの評を20本近く読んだが、褒めたものは一つもなかったから。

期待が大きかったから落胆も大きかった。

せっかくだから、なぜ面白くないのかをネタバレに配慮しながら書きたい。

※最大限配慮しましたが、それでもネタバレがありますので、まず作品を見て、それから読むことをおススメします。

■凶悪犯の頭の中身は知りたいが…

まず、そもそものお話。

「凶悪犯罪者の頭の中に入る」という設定自体は面白い。連続殺人犯とかサイコパスとかの頭の中身がどうなっているのか? どういう発想で、動機で、あれほど非情で非道なことができるのか? 非常に興味をそそられるテーマだ。

悪は人の中にどうやって生まれ、人を蝕んでいくのか? それこそ、ブロムカンプ監督流の悪の解釈というのを見てみたい。

しかし、だ。

悪夢はリアルな映像。こっちの方が断然怖い
悪夢はリアルな映像。こっちの方が断然怖い

タイトルにデモニックとあるように、悪魔の仕業だとしたら面白くも何ともない

なぜ凶悪なのか? ――悪魔だから。どうして悪に手を染めたのか? ――悪魔だから。これで終わりである。

最先端技術を駆使して、せっかく凶悪犯の頭の中に入ったのに。

■頭の中に入る必要があったのか?

実際、お話の上でも頭の中に入って発見されたり解明されたりすることはほぼ何もない。

何かが明らかにされるとしたら、それは凶悪犯罪者の頭の中から引き出した新情報によるものではなく、凶悪犯の娘である主人公がもたらした情報によるものだ。

彼女の記憶によって、どうやって、どこで、どのタイミングで、凶悪犯になっていったかが解明される。

で、その記憶を引き出すのに別に催眠療法が必要だったわけでもない。主人公にとっては忘れたい記憶だったが、普通に聞き取り調査をすれば明らかにできることだった。

つまり、わざわざ凶悪犯の頭の中に入る必要はなかった。凶悪犯の告白や懺悔なんてものはない。相手は悪魔なんだから。

■ゲーム的映像では怖がれない

次に、ビジュアル的な魅力がない。

頭の中はバーチャルに再現される。お話の舞台は現代である。となると、再現具合もスーパーリアルというわけではなく、一昔前のビデオゲームくらいである。

バーチャル映像の解像度の低さは、わざとやったのかもしれない。これ、ビデオゲームへのオマージュという見方もあるようだ。

これを見て、恐怖を感じる人はいないだろう
これを見て、恐怖を感じる人はいないだろう

だが、ピクセルの粗い、カクカクの映像では怖がれない。ゲームみたいでリアリティがないから。この設定なら、凶悪犯の頭の中での主人公の恐怖体験というのは肝であると思うが、バーチャルだから全然、怖くない。

たとえ、バーチャル界で腕を切られると現実世界でも血が出る、というお約束の上であっても。

反対に、スーパーリアルで怖さが迫ってくるシーンもあった。主人公が見る悪夢である。

夢はカクカク映像ではない。リアルな映像である。大体、夢であるかどうかさえ見ている時はわからない。だから怖い。

■映画って、そもそも頭の中に侵入済み

そもそも、映画って、登場人物の頭の中に自由に入れるのである。

彼らの夢や記憶は映像で再現される。その時、私たち映画を見ている者は、登場人物が夢見たり、思い出したり、想像したりしたものを見ている。

これは言わば、鑑賞者が登場人物の頭の中に入った状態である。

登場人物と一緒に過去や未来へ飛んだり、夢や回想を共有したり、という映像体験を誰も不思議に思わない。映画ってそういうものだから。

カメラを通して登場人物の頭の中に入る。それが映画だ
カメラを通して登場人物の頭の中に入る。それが映画だ

つまり、凶悪犯の頭の中での経験を、わざわざバーチャル映像で再現しなくても、リアルな映像で描いていても、我われは普通に受け止めていたはずなのだ。“ああ、これ、頭の中での出来事ね”と。

頭の中にバーチャル的に入る、という発想は画期的だが、ホラー映画的にはマイナスだった。

※写真はシッチェス映画祭提供。

寝た子を起こすな。頭の中に閉じ込められている悪魔は放置しておくべきだった
寝た子を起こすな。頭の中に閉じ込められている悪魔は放置しておくべきだった