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娘の交際相手が機械だったら、あなたは許せるか? 映画『恋する遊園地』(1月15日公開)

木村浩嗣在スペイン・ジャーナリスト
子供向けのファンタジーではなく、心身ともに愛し合う大人の恋愛物語だ

娘が誰と付き合っているか、お父さんなら気になるところだ。何をやっている、どんな奴なのか? 普段は寛大なやさしいお父さんも眉が吊り上がってしまい、どうしても疑い深い厳しい目で値踏みをしがちだ。そりゃそうだ。手塩にかけて育てた可愛い大切な娘なのだから。誰でもいいよ、ってわけにはいかない。

「あなたが幸せならお父さんはそれでいいよ」と建前としては言いたいところだが、本音としては素性とか人柄とか職業とか気になって仕方がない。

■あなたの寛容さと器が試される

で、紹介されたのが肌の色が違う男だった――ここで初めて自らの内にある人種的な偏見や差別に気付くのである。

「人種差別は悪い」というセオリーは、こういう実践の場で試されることになる。

外国人が心理的にも物理的にも遠い存在だとセオリーから出なくて済むが、隣に引っ越して来たとか、クラスメートだとか、職場の同僚だとか、娘や息子の交際相手だとかになると、現実として直面せざるを得なくなる。あなたが本当はどうなのかが試されるのである。

日本に人種差別があるかどうかが話題になっているが、セオリーとしての議論はあまり意味がないのではないかと思う。

さて、この『恋する遊園地』(ゾーイ・ウィットック監督)の場合は、紹介されてみたら、相手が機械だった、という話だ。

今年のシッチェス・ファンタスティック映画祭で見たこの作品、ちょうど新年1月15日から日本でも公開されるそうで、公式ホームページも立ち上がっている。予告などもこれから順次アップされるのだろう。

■子供向けのファンタジーではない

荒唐無稽に聞こえるが、実話にヒントを得た作品らしい。世界は広い!

マシンと人の恋愛となると、映画『ブレードランナー』での人とレプリカントとの恋愛、映画『her/世界でひとつの彼女』での人とオペレーティングシステム(OS)との恋愛が思い浮かぶが、あれは少なくとも姿形や声や性格が人間だったのに対し、こちらは完全に機械で、人と似ても似つきもしない。

奔放な母親との関係性、家庭環境にも注目したい
奔放な母親との関係性、家庭環境にも注目したい

ただ、主人公が若い女性だからして、同じマシンでも武骨な工作機械というわけではなく、イルミネーションとサウンドが華やかな遊園地のアトラクションで、光と音と動きを使って交感することができる――こう書くと、子供向けのファンタジーのように聞こえるかもしれないが、そうではなくR15+指定で、踏み込んだ描写もある。そこが大人が楽しめるゆえんであり、1つの見どころとなっている。

要は、心身ともに愛し合うちゃんとした恋愛物語で、ただ相手が機械である、というだけだ。

よって、見る方もちゃんとした恋愛ものとして感情を移入し、“娘の交際相手だったら許せるか、許せないか”と考えざるを得ない。そこで、私の父親としての寛容さ、人としての器の大きさが試されることになるのだ(ろうか?)。

※写真提供はシッチェス・ファンタスティック映画祭

※スペインでの人種差別については以下に書いたので、興味のある方は。

「特殊な状況で人種差別は現れる。サッカーとか……コロナウィルスとか」

「人種差別をするスペインが人種差別から彼女を守る」

在スペイン・ジャーナリスト

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。98年、99年と同国サッカー連盟のコーチライセンスを取得し少年チームを指導。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペイン・セビージャに拠点を移し特派員兼編集長に。15年7月編集長を辞しスペインサッカーを追いつつ、セビージャ市王者となった少年チームを率いる。サラマンカ大学映像コミュニケーション学部に聴講生として5年間在籍。趣味は映画(スペイン映画数百本鑑賞済み)、踊り(セビジャーナス)、おしゃべり、料理を通して人と深くつき合うこと。スペインのシッチェス映画祭とサン・セバスティアン映画祭を毎年取材

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