6か国27チームを渡り歩いて18年! 日本にもやってきた男は王者・ピッツバーグのキーパーソンになる

ジャロッド・スカルディ(Courtesy : @sjsharkshistory)

 NHLのレギュラーシーズンが来月4日に幕開けとなるのに先駆けて、明日(現地時間)から各チームの「トレーニングキャンプ」(チームによっては名称が異なります)がスタートします。

 先日の記事で紹介した「ルーキーキャンプ」と異なり、トレーニングキャンプには主力選手も参加。

 ベテランと若手選手が、キャンプとチーム内での試合やプレシーズンゲームに臨み、開幕ロースターの座を争います。

▼3連覇を目指すピッツバーグ

 注目されるのは、一昨季、昨季とスタンレーカップを手にして、二度目の連覇を達成した ピッツバーグ ペンギンズ

 今季はチームにとって初めての、そしてNHLでは、1981年から1984年まで4季続けてスタンレーカップを勝ち取った ニューヨーク アイランダーズ以来の3連覇を目指します。

▼2連覇の代償は主力選手との再契約断念

 気になるのは、2連覇に貢献した主力選手がチームを離れてしまったこと。

 というのも、NHLにはサラリーキャップ制度(チーム年俸総額制限)があります。

 こちらの記事で紹介したように、年俸総額を超過しても、ぜいたく税と呼ばれる課徴金を支払えばOKというMLBとは違って、NHLのサラリーキャップは、必ず決められた額(=サラリーキャップ)以下に年俸総額を収めなければなりません。

 そのため二連覇のご褒美だ!と言って、全ての選手に大盤振る舞いすることができず、ともにピッツバーグで3度優勝したGKのマーク アンドレ・フルーリー(32歳)や、ベテランFWのクリス・クニツ(37歳)らを筆頭に、主力として活躍した選手との再契約を、断念せざるを得ませんでした。

▼主力が抜けた穴を埋めるのは?

 このようなチーム事情から、3連覇へ向けて必然なのは、若手選手のレベルアップ。

 ピッツバーグは、主力が抜けた穴の埋める選手を一人でも多く育て上げようと、ダウンタウンから北へ40キロ離れたルミュースポーツコンプレックスで開催するトレーニングキャンプで、若手選手のレベルアップに注力する模様。

 その大きな役割を担うのは、ジャロッド・スカルディ(46歳/タイトル写真)です。

▼カナダ生まれのジャーニーマン

 ナイアガラの滝に近いカナダのオンタリオ州で生まれたスカルディは、1989年のドラフトで、ニュージャージー デビルスから2巡目(全体26位)指名を受け、翌年にNHLデビューを飾りました。

 しかし、不動のレギュラーとなるまでには至らず、その後はチームを転々とする ”ジャーニーマン” として、キャリアを積み重ねていくことに。

 詳細なキャリアについては、ホッケープレーヤーのスタッツサイト(こちらをクリックしてください)で、ご確認いただくことにして、2008年春に現役を退くまでの18季の間に、スカルディが在籍したチームは、実に 「6か国」(アメリカ、カナダ、スイス、スウェーデン、日本、スロベニア)「27チーム」にもわたります。

▼複数年契約を断った理由

 「若い頃には複数年契約を打診されたこともあったけれど、全て断っていたよ」

 スカルディは当時の胸の内を明かしました。ジャーニーマンとしてチームを転々とするよりも、複数年契約を結んで、地に足をつけてプレーしたい気持ちもあったでしょうが、それにも増して、このような思いが強かったそうです。

 「今のチームと長く契約するよりも、他のチームへ移ったほうが、NHLに昇格するチャンスがあると考えていたんだ」

 その考えが吉と出て、フィラデルフィア フライヤーズに在籍した31歳の春までの間、NHLの8チームで合わせて115試合に出場し、34ポイント(13ゴール21アシスト)をマークしました。

▼日本にやってきた理由

 その後スカルディは現役晩年に来日し、王子製紙(現王子イーグルス)と契約。

ジャロッド・スカルディ(Photo:Jiro Kato)
ジャロッド・スカルディ(Photo:Jiro Kato)

 スウェーデンのチームでプレーした前年をもって、34歳で現役にピリオドを打つつもりだったというスカルディが、あえて日本のチームを選んだのは、1998年に東京で行われた「NHL日本公式戦」でプレーした思い出が、強く残っていたからだと言います。

 「トレーニングキャンプから合流して、東京での試合(開幕第2戦)でプレーした時に、日本がとても気に入って、本当に素晴らしいところだと思ったんだ。日本に(アイスホッケーの)リーグがあることも知っていたから、スウェーデンでシーズンを戦い終えたあと、もう一年プレーをさせてくれ! 日本でプレーをしたいんだ!って妻に話したんだよ」

 こうして来日するに至り、アジアリーグでプレーをしたスカルディは、34試合に出場して47ポイント(15ゴール32アシスト)をマーク。

 残念ながらプレーオフで敗れ、美酒に酔うことはできませんでしたが、チーム最多のポイントを記録して、助っ人の役割を果たしました。

▼コーチに転身

 日本でプレーした翌年にスロベニアのチームと契約し、シーズン終了後に18年間のキャリアにピリオドを打ったスカルディは、指導者に転身。

 独立リーグで2季ほどコーチを務めてから、NHLの二つ下のリーグに相当する ECHL のチームのヘッドコーチ(HC)に就任し、カンファレンスファイナル(プレーオフ3rdラウンド=ファイナルの一つ前のラウンド)へ進出。

 さらには、NHLのドラフト候補選手が揃うカナダのトップジュニアリーグ(OHL)のチームでも采配を振るい、昨季までHCを務めていました。

▼王者・ピッツバーグから白羽の矢

 このようなスカルディのキャリアに白羽の矢を立てたのが、ピッツバーグでした。

 NHLの王者から託された役割は、「デベロップメントコーチ」

 戦術や戦略ではなく、選手個々のレベルアップに注力することが、彼の仕事になりますが、様々な国の様々なリーグで、様々な選手と一緒にプレーし、また指導にあたってきたスカルディにとっては、打ってつけの役割だと言えそう。

 前述したとおり、若手選手のレベルアップが必要不可欠となるピッツバーグにとって、18年間にわたって6か国27チームを渡り歩いた男の経験が、貴重な財産になるのは間違いないでしょう。