「ぼくは失敗作だ」 活発だった僕が不登校を経て「ワクワク」できるようになるまで

石井翔さん(撮影・不登校新聞)

 N高等学校(以下、N高)の生徒数が増えています。N高とは、2016年に開校した私立の通信制高校で、インターネットを活用した通信教育で注目を集めています。2019年現在は生徒数が1万人超に上っており、もしも日本の高校生が300人の村だったら1人はN高生ということになります。N高にはどんな人たちが通っているのでしょうか。現在、高校2年生で、N高に通う石井翔さんにお話をうかがいました。翔さんは小学校のころから徐々に学校に行けなくなり、中学校で不登校。現在はN高に通っています。幼少期は活発だった石井さんが不登校になったきっかけはなんだったのか、N高に通い始めたのはなぜか。お話をうかがいました。

――小さいころは、どんな子どもだったと自分では思いますか?

 やんちゃな感じだったと思います。友だちと川遊びをしたり、ザリガニを獲ったり、自然のなかで遊ぶのが大好きで、得意な教科も体育でした。ドッヂボールも得意で市の大会で勝ち進んだこともありました。

――不登校というと「暗い」というイメーもが強いですよね。しかし、楽しそうな学校生活を送っているようにも聞こえましたが、なぜ不登校になったのでしょうか?

 その理由がよくわからないんですね。小学生の高学年に入ってから、急に「起きられない日」が増えてきました。それまでは、目覚まし時計も掛けずに自然と朝は起きられていましたし、夜もふつうに寝ていました。でも、起きられない日はどうしても起きられない。目が覚めると午後になっている日もありました。

――親御さんは怒りませんでしたか?

 怒られました。「朝だよ!」「もう学校だよ!」と言われて、肩を揺すって起こそうとしてくれましたが反応ができないんです。

――朝、起きられないという以外で学校生活に支障は出ていませんでしたか?

 そのころは学校へ行くだけで精一杯でしたから、宿題とかはまったくできませんでした。それでも中学生のころよりはましだったと思いますが。

――中学生に入ってから不登校が本格化したんですか?

 そうです。中学校入学時、母親からは「中学校からは気持ちを切り替えていこう」「ちゃんと行かないと将来に響いてくるよ」と言われました。自分でもそのとおりだと思いましたし、最初はがんばったんです。でも、中学に入ってすぐ、中1の5月ぐらいからは行けなくなりました。

 そのころは毎日、起きられないというより、朝は物理的にベッドから動けないし、動きたいとも思えなかったです。

――日中はどんなふうにすごされていたのでしょうか?

 毎日ずっと、「明日も学校があるよな」って思っていました。学校へ行けない日も、一日中ベッドにいても、「明日こそ学校に行こう」というプレッシャーが自分のなかに降り積もる感じでしょうか。

 あのころは、学校の生徒に会うのも、先生に会うのも嫌でしたし、家で学校の話をするのも避けていました。車で移動中のときも、学校の前を通ると車のなかで隠れていました。

 ある日家で寝ていたら突然部屋に先生が入ってきたことがありました。「学校へ来なさい」みたいなことを言われたのが、もう恐怖でしかなかったです。

――不登校直後、そのころはどんな気持ちでしたか?

 孤独でした。誰からも自分の気持ちが理解されず、兄弟のなかでは自分だけが不登校。「僕は失敗作だ」とも思っていました。

――周囲の対応で覚えていることはありますか?

 親からは「病院へ行こう」と言われ、病院で「起立性調節障害」と診断をされました。睡眠薬みたいなものを処方されて眠れるようにはなりましたが、問題はそれでも学校へ行きたくないってことですよね。

――学校以外の場所は勧められたのでしょうか?

 フリースクールや塾へ行かないかと勧められ、行ってみたこともあります。でも、正直なことを言えば勧められた段階からイヤでした。学校へ行ってない僕が言うのも変ですが、人とちがう場所、みんなとちがう場所へ行くのは、なんかイヤだよなって。なので、基本的には家にいました。

――いまは高校に進学されていますが、何が前へ踏み出す転機になったのでしょうか

 いま通っているN高等学校の情報を見つけたからだと思います。中学3年生になってからは、担任の先生から家の玄関先で定時制や通信制の高校もあると言われたり、親からも(高校の)パンフレットを見せられ「決めなきゃ」という気持ちはあったんですが、なんとなく行く気にはなれずにいたところ、N高の情報をネットで見つけました。

 N高では、プログラミング講座やパティシエ講座とか、その後の将来につながる授業が多かったんですよね。それにネットだけでほとんど完結する高校っておもしろいなあって。それまでは毎日、学校へ行くことだけが通うことだと思っていましたし、ふつうの学校よりも授業がおもしろそうだなと思ったんです。N高のことを知ったときは、学校へ行かなくなってから初めてワクワクしました。

――いまは高校2年生ですが、実際にN高に入ってみてどう思っていますか?

 いい意味でぶっとんだ生徒が多くて楽しいです(笑)。価値観も趣味もいろいろだし、変わっていておもしろい人が多いですよね。

 最初はネットだけで学校に関わろうと思いましたが、ネット上で仲良くなってから直接会ってみたり、イベントで意気投合したりして友だちもできました。先日もN高のプログラム「職業体験」で、五島列島の五島市でワインづくりを手伝わせてもらいました。

 先生や同級生といっしょに一週間ぐらい泊まり込みで作業をするんですよ。友だちとくだらない話をしたり、共同作業で達成感を得たりして、「なんか学生っぽいことをしてるな」って思いました(笑)。

――ずいぶんと変化があったんですね。いま、取り組みたいと思っていることはありますか?

 今、ハマっているのがバックパッカーです。今年は、プライベートでベトナムやタイにも行きました。海外へ行くと、排気ガスがすごかったり、めちゃくちゃなこともありますが、世界ってこんなに広いんだなって思えるんですよ。

――私は14歳から不登校をして、ひきこもり体質です。バックパッカーとなった翔さんが急に遠い存在に思えてきました(笑)。

 けっこう安く行けますよ。費用も親から少し援助してもらいましたが、基本は自分のバイト代だけで行ってますから。

――検討しておきます(笑)。今日はお時間、ありがとうございました。

◎ターニングポイントの解説【石井志昂】

 石井翔さんのお話で特筆したい点が、自然のなかで遊ぶのが好きで、活発だった子も不登校になったということです。あまり知られていませんが不登校はどんな子にも起きます。

 勉強の成績が優秀な子も、学級委員に毎年選ばれる優等生も、友だちが多くクラスの人気者だった子も、スポーツが得意で体を動かすのが得意な子も、不登校になります。理由はさまざまです。いまやどんな子も、深刻ないじめ、それも同級生からだけでなく教員からのいじめに苦しむことがあります。また、成績不振や家庭内不和などで精神的に大きな負担を感じ、学校どころではない、という子もいます。本人や親の性格や気質によって「不登校をしない人」などいないわけです。

 どんな子にも不登校が起こりえる背景としては、2つのことが挙げられます。

 ひとつ目は、いま学校自体が「子どもにとって息苦しい設定になっていること」です。毎日、学校へ通うことが、事実上は義務付けられ、休むことが許されません。大人であれば「有給休暇」「異動願い」「転職」なども権利の一つですが、その権利は学校に通う生徒にはありません。もちろん長期休暇は会社員よりも子どものほうが多いのですが、「任意の休暇」が現実的には認められていません。「有給休暇は使いづらい」という声もよく聞きますが「認められていない」というのは、未成年にとってあまりにも無理な設定ではないでしょうか。

 もう一つの背景が「遅れを取り戻せない設定」になっていることです。上記のように学校は息苦しい場になっていますが、たとえば「不登校」になった場合、リスタートの仕組みがありません。石井翔さんの場合も、公立学校は、ただ学校へ戻そうとするだけで、リスタートに向けた制度がなく、勉強の遅れは独学とN高に入ってから取り戻しています。

 ここで注意が必要なのは「遅れを取り戻せない」から、学校を休ませないようにせねばと考えるのは乱暴です。遅れを取り戻せる設定があればいいわけです。私は通信制高校の肩を持ちたいわけではなく、さまざまな教育形式が選択肢として検討されるべきだと思っています。N高など通信制教育は、一斉授業も行なっていますが、本人の習熟度に合わせた教育プログラムが充実しています。

 一方、「通信制中学校」の可能性について、国のあいだで議論がありましたが、コミュニケーションスキルや社会性の向上に問題があるとして検討されませんでした。しかし、翔さんの場合、押しつけられた公立の中学校は不登校で苦しみ、自分で「おもしろそうだ」と思った選んだ高校からは人が変わったように楽しんでいます。翔さんは「自分で言うのも変ですが、N高に入ってからコミュニケーションスキルは上がりました」と言っています。

 ただし、N高を含む通信制高校にも課題があります。自分の意志で入学をしないと卒業が難しかったり、入学しやすいぶん、勉強ができる気力や体力がないと精神的に追い詰められてしまうなどの点です。

 しかし、公立学校、つまり一つだけのスタイルの学びのなかで「ぼくは失敗作だ」と精神的に追い詰められる人はいます。事態の改善に向けて真に多様な選択肢が検討されることは大事ではないでしょうか。翔さんの場合は、一般的な高校のスタイルではない学びのかたちを見つけて「ワクワクした」と。これが、あきらかに本人のターニングポイントになったわけですから。