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「どうか、生きてください」樹木希林が遺した9月1日への思い

石井志昂『不登校新聞』代表
9月1日へのメッセージを語った樹木希林さん(2015年「不登校新聞」撮影)

 2015年6月、内閣府「自殺対策白書」で18歳以下の日別累計自殺者数が発表されました。

平成27年版自殺対策白書より作図(内閣府発行)
平成27年版自殺対策白書より作図(内閣府発行)

 全国的に夏休み明けが重なる9月1日に子どもの自殺が集中しています。なぜこの日に集中するのか。夏休みが明けた初日に「学校へ行くよりも死を選んだほうがマシだ」と追い詰められた結果だと思われています。この結果に多くの人が衝撃を受け、夏休み明けに向けたメッセージが出されるようになりました。女優・樹木希林さんも、そのひとりです。

 樹木希林さんは亡くなる直前まで9月1日について心を砕いていたそうです。書籍『9月1日 母からのバトン』(樹木希林・内田也哉子/ポプラ社)のなかで内田也哉子さんとの対談で、初めてそのことをうかがいました。当時のようすを内田也哉子さんは以下のように語っていました。

内田也哉子さん(撮影:宮家和也)
内田也哉子さん(撮影:宮家和也)

内田  私が初めて「9月1日」について聞いたのが、母が亡くなる2週間前、2018年9月1日でした。入院中だった母が病室で窓の外を眺めながら「死なないで、ね……どうか、生きてください」と絞り出すようにつぶやいていたんです。あまりに突然の出来事に驚きましたが、母は「今日、死ぬ子がたくさんいるのよ」って説明してくれたんです。

石井  そこまで樹木さんが心を砕かれていたのはなぜなのでしょうか。

内田  あそこまで打ちひしがれていたのは、やっぱり今まさに自分が「死」に向かっていたからなのかな……と。もう長くないことは、お医者様からも伝えられ、1か月の入院期間中には何度も危篤状態になっていました。死が現実的に迫ってきたときに、子どもたちが命を絶っていること、そして、たぶん自分の孫や子どもを持って、命の尊さみたいなものが身をもってわかったからこそ、こんなに理不尽な、もったいないことはない、と。(『9月1日 母からのバトン』(ポプラ社発行)より作者編集)

9月1日に向けた『不登校新聞』緊急号外には多くの人からの声が集まった(撮影・不登校新聞)
9月1日に向けた『不登校新聞』緊急号外には多くの人からの声が集まった(撮影・不登校新聞)

 樹木希林さんは、生前、さまざまな出版依頼をすべて断っていたそうです。しかし、9月1日に関しては樹木さんから「ある種のバトンを受け取った」と内田さんは感じ、今夏、一冊の本にまとめました。

 一方、夏休み明けに向けた注意喚起を呼びかける報道も多くなりましたが、9月1日前後の自殺は途絶えていません。

 樹木さんが生前に残された「どうか生きて」という思いを込めたメッセージは、いまなお多くの人への力になると思っています。そこで、ここに樹木さんが遺していったメッセージを記します。

2015年8月22日・登校拒否・不登校を考える全国合宿in山口(撮影 不登校新聞)
2015年8月22日・登校拒否・不登校を考える全国合宿in山口(撮影 不登校新聞)

ずっと居てよ、フラフラとさ(樹木)

 新学期が始まる日、まわりのみんなが「おはよう、今日から学校だね」って笑顔で言葉を交わすとき、「私は学校に行きたくない」ということを考える気持ち、何となくわかります。だから思うの、そう思うこと、それはそれでいいじゃないって。

 私は小さいとき、自閉傾向の強い子どもでね、じっと人のことを観察してた。学校に行かない日もあったけど、父は決まって「行かなくてもいいよ、それよりこっちにおいで、こっちにおいで」って言ってくれたの。だから、私の子どもがそういうことになったら、父と同じことを言うと思う。

 それにね、学校に行かないからって、何もしないわけじゃないでしょう。人間にはどんなにつまらないことでも「役目」というのがあるの。「お役目ご苦労様」と言ってもらえると、大人だってうれしいでしょう。子どもだったら、とくにやる気が出るんじゃないかな。

 ただね「ずっと不登校でいる」というのは子ども自身、すごく辛抱がいることだと思う。うちの夫がある日、こう言ったの。「お前な、グレるってのはたいへんなんだぞ。すごいエネルギーがいるんだ。そして、グレ続けるっていうのも苦しいんだぞ」って。

 ある意味で、不登校もそうなんじゃないかと思うの。学校には行かないかもしれないけど、自分が存在することで、他人や世の中をちょっとウキウキさせることができるものと出会える。そういう機会って絶対訪れます。

 私が劇団に入ったのは18歳のとき。全然必要とされない役者だった。美人でもないし、配役だって「通行人A」とかそんなのばっかり。でも、その役者という仕事を50年以上、続けてこられたの。

 だから、9月1日がイヤだなって思ったら、自殺するより、もうちょっとだけ待っていてほしいの。そして、世の中をこう、じっと見ててほしいのね。あなたを必要としてくれる人や物が見つかるから。だって、世の中に必要のない人間なんていないんだから。

 私も全身にガンを患ったけれど、大丈夫。私みたいに歳をとれば、ガンとか脳卒中とか、死ぬ理由はいっぱいあるから。無理して、いま死ななくていいじゃない。

 だからさ、それまでずっと居てよ、フラフラとさ。

(2015年8月22日・登校拒否・不登校を考える全国合宿in山口/基調講演「私の中の当り前」より)

『不登校新聞』代表

1982年東京都生まれ。中学校受験を機に学校生活が徐々にあわなくなり、教員、校則、いじめなどにより、中学2年生から不登校。同年、フリースクールへ入会。19歳からは創刊号から関わってきた『不登校新聞』のスタッフ。2020年から『不登校新聞』代表。これまで、不登校の子どもや若者、親など400名以上に取材を行なってきた。また、女優・樹木希林氏や社会学者・小熊英二氏など幅広いジャンルの識者に不登校をテーマに取材を重ねてきた。著書に『「学校に行きたくない」と子どもが言ったとき親ができること』(ポプラ社)『フリースクールを考えたら最初に読む本』(主婦の友社)。

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