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宮本亜門 不登校という「さなぎの時間」が演出家の土台

石井志昂『不登校新聞』代表
演出家・宮本亜門さん

日本を代表する演出家・宮本亜門さん。宮本さんが手がけた「太平洋序曲」は、ニューヨークのオン・ブロードウェイにて上演され、演劇界で最も権威あるトニー賞の4部門にノミネートされた(04年)。

そんな宮本亜門さんは、高校生時代に不登校をし、ひきこもっていた。しかも、学校へ行けずに家のなかでこもっていた時間が「演出家の土台になった」という。筆者が編集長を務める『不登校新聞』では、不登校・ひきこもりが、いまの宮本さんとどうつながったのかをお聞きした。

不登校経験者が宮本亜門さんに取材
不登校経験者が宮本亜門さんに取材

ずっと集団生活が苦手だった(宮本)

僕が学校へ行かなくなったのは高校2年生からですが、そもそも幼稚園から集団生活が苦手で、ずっと苦しんでいました。

僕が生まれ育ったのは、銀座の新橋演舞場のすぐ前にある喫茶店です。街には、いつもどこからともなく三味線や小唄が聞こえてきて、人力車に乗った芸者さんが行き交うような言わば大人の雰囲気に満ちた場所でした。そんな状況で、和物に興味を持った僕は、学校に行っても誰とも話が合いませんでした。

まわりがお笑いやスポーツについて話題にしても、興味がないし、ついていけもしない。みんなのなかにいると孤独を感じました。でも、仲間外れになるの怖くてニコニコしながすごしていましたが、そんな自分もキライでした。

まわりから見れば「そんなことで?」と思うかもしれませんが、そういう矛盾のなかにいると、自分自身を否定し続け、苦しいものなんです。私の場合も、ついには自殺未遂にまで発展し、その後、1年間、ひきこもりました。

悪循環から抜け出せない(宮本)

ひきこもっていた当時は本当につらかったです。

「学校へ行ってほしい」という両親や周囲の気持ちもわかるけど、行けない。そのうち、学校が怖くなり、同世代の眼が怖くなり、街を歩いただけでぞっとしてくる。生きていても、ただ不安が募るばかりで、何が自分に起きているのか、うまく説明できない。社会のレールに乗れない自分が悪いんだと思い、それを感じている自分がまた切なくなる。そんな悪循環から抜け出せなかったんです。

「学校だけが人生じゃないはずだ」と思いたくて道を探すんですが、答えが見つからない。僕が、不登校になり、ひきこもったのは、それが理由でした。

不登校経験者の質問を考える宮本亜門さん
不登校経験者の質問を考える宮本亜門さん

そんななか、僕にとって一番、心の支えになったのは音楽と写真集です。と言っても、家にあるレコードは10枚だけ。10枚だけでしたが、それを何百回も聞き直したんです。

いまふり返っても不思議なんですが、レコードは聞くたびにちがって聞こえました。

あるときは歌声が、あるときは音の重なりが、自分のなかに入って来てバーンと広がる。自分のなかで音があふれかえり、勝手に音楽が視覚化してカラフルなイメージが湧いてくる。頭のなかで花火が上がったり、荒波が押し寄せたり、人が踊りだしたり……。

演出家の土台になった時間(宮本)

いつのまにか興奮して鳥肌まで立ってきて、気がついたらベットの上で飛び跳ねている。そうすると表にいた母親が心配して「どうしたの? 大丈夫?」って(笑)。

最高に幸せな時間でした。残念ながらあのころほど研ぎ澄まされた感覚、ピュアな思いを持つことはできません。今では憧れさえ感じています。あのときに感じた「喜びと興奮」をどうしても誰かに伝えたいという思いが、演出家を目指す土台になったのですから。(聞き手・石井志昂)

蝶のさなぎ
蝶のさなぎ

宮本亜門さんのインタビューからわかったことが二つある。

一つ目は、宮本亜門さんが語った不登校経験は40年以上前の話だが、いま不登校をしている人の話ともぴったり重なる点が多いということ。とくに不登校をした自分自身への罪悪感などは、まるで同じ話を何度も聞いてきた。

学校で傷ついたからこそ子どもが離れざるを得ないのが不登校である。しかし、傷ついたことは気にもされずに本人が責められる、という二重苦が不登校の問題だと言われてきた。なぜ傷ついた人がさらに責められなければいけないのか。本来は子どもを傷つけてしまった学校の在り方が問われるべきなのだが、本人の問題があるように言われてきた。たからこそ不登校した本人は「罪悪感」を感じる。

40年前から現在いたるまで、本人が「同じ罪悪感」を感じてきたということは、日本社会が子どもを苦しめているという現状から目をそむけ、子ども自身に責任をなすりつけてきたことを意味する。

もう一つは「さなぎの時間」の重要性だ。

宮本さんが熱を込めて語ったのは、不登校当時、自分が感動した経験。はたから見れば「なにもしていない時間」かもしれないが、その時間こそが「演出家を目指す土台になった」と語った。

過激な変化は目に見えない

蝶は成虫になる寸前、さなぎになる。はたから見れば、さなぎはまったく動かない。しかし、さなぎのなかでは、これまでの体の大部分が壊れ、再組成されるというドラスティックな変化が起きている。動けないほどの過激な変化なしでは成虫になれない。

ひきこもりも不登校も、はたから見ればまるで動いていないように見える。しかし、本人のなかでは変化が渦巻いている。映画監督・押井守さんも『不登校新聞』の取材で「ひきこもっていた時間が原資になった」と自身のひきこもり時期が「さなぎの時間」になったことを指摘した。

ひるがえって学校教育は、いっぺんのムダもないことが良しとされる。いわば「ムダな時間」だからこそ不登校は許されないのだ。

「不登校している私は、ムダな時間を過ごす許されない存在」

そう感じていたという話を、異語同音で多数の不登校経験者から聞いてきた。私も中学2年生から不登校だったが、その実感はあった。

文科省が不登校の調査を始めて50年。不登校をした人は累計で300万人を超える。

宮本さんのインタビューでわかったとおり、長いあいだ当事者は「同じ」ように苦しめられてきた。

ならば、そろそろ不登校を「ムダな時間」ではなく「さなぎの時間」だと受け止め、教育の考え方や仕組み、価値観を変えていくことはできないだろうか。

海外では、さまざまな教育理念の実践が行なわれている。日本では「公共性の担保」という言葉の名のもとに、みんなが息苦しくなっているように思えてならない。

『不登校新聞』代表

1982年東京都生まれ。中学校受験を機に学校生活が徐々にあわなくなり、教員、校則、いじめなどにより、中学2年生から不登校。同年、フリースクールへ入会。19歳からは創刊号から関わってきた『不登校新聞』のスタッフ。2020年から『不登校新聞』代表。これまで、不登校の子どもや若者、親など400名以上に取材を行なってきた。また、女優・樹木希林氏や社会学者・小熊英二氏など幅広いジャンルの識者に不登校をテーマに取材を重ねてきた。著書に『「学校に行きたくない」と子どもが言ったとき親ができること』(ポプラ社)『フリースクールを考えたら最初に読む本』(主婦の友社)。

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