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「お棺」のドライアイスによる「二酸化炭素中毒死」に注意喚起:呼吸器専門医に聞くその理由とは

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(写真:イメージマート)

 先日、消費者庁と国民生活センターが、葬儀で亡くなった人を納めるお棺(柩、ひつぎ)内のドライアイスによる二酸化炭素中毒への注意喚起を発表した。この中毒事故では死亡例もあるが、どのように危険なのか、呼吸器の専門医である堺市立総合医療センターの呼吸器内科部長、郷間厳氏に詳しく話をうかがった。

ドライアイスは二酸化炭素を固体化したもの

 2023年10月17日、山梨県の製菓工場で二酸化炭素中毒により作業員3人が病院に搬送された。痙攣などの発作を起こし、体調不良になったが、その後、回復したという。

 この事例は、消火用の二酸化炭素が漏れ出したことによる事故と考えられているが、2020年にはロシアでプールに入れたドライアイスによる二酸化炭素中毒事故が起き、3人が死亡している。

 二酸化炭素は冷凍・冷蔵用のドライアイスとしてよく知られている。ドライアイスは、二酸化炭素を固体にしたものだ。二酸化炭素は、溶接用シールドガスなどの工業用、炭酸飲料などの食品、医薬分野でも広く活用されている物質でもある。

 また、ドライアイスは、人が亡くなった場合、火葬するまでの間、自宅や斎場で遺体を安置する時に、体温を下げて遺体の傷みの進行を遅らせるためにも使われる。

死亡例もある棺内のドライアイス

 ドライアイスは、皮膚に触れると凍傷になったり、密封容器の中で気化して内圧が上がって破裂することで人に怪我を負わせるなどの事故が起きているが、2023年9月21日、消費者庁と国民生活センターは、こうしたドライアイスの取り扱いの注意喚起に加え、葬儀のお棺の中のドライアイスによる二酸化炭素中毒についての注意喚起を発表した。

 この発表では、2020年から2021年に起きた3例の死亡事故を紹介しているが、いずれも遺体を安置した自宅や葬儀場で線香やろうそくなどの火の番をしていた近親者が、棺のそばや棺の中へ顔を入れた状態で発見されたとしている。

 通夜の後、遺族が周囲に人がいない状況で最期の別れの時間を過ごすのはよくあることだ。その際に棺の中の遺体に語りかけたりし、棺の中でドライアイスが気化した二酸化炭素を吸い込んで意識不明になって死亡する。

棺内のドライアイスによる二酸化炭素中毒のイメージ。消費者庁と国民生活センターのリリースより。
棺内のドライアイスによる二酸化炭素中毒のイメージ。消費者庁と国民生活センターのリリースより。

 我々ヒトを含む呼吸をする生物は、空気(大気)中の酸素を取り入れ、体内で酸素を消費して二酸化炭素を排出する呼吸(外呼吸。体内で各組織の細胞が酸素を消費して二酸化炭素を出すのは細胞呼吸)をしている。これを「ガス交換」といい、ガス交換で取り入れられた酸素のほとんどは、血中のヘモグロビンと結合して全身の組織へ運ばれる。

 吸気して体内へ取り入れられた酸素は肺の肺胞へいたり、肺胞を取り巻く毛細血管の血液へ拡散(濃度の濃いほうから薄いほうへ移動すること)して動脈血となり、静脈血として毛細血管に運ばれた二酸化炭素は肺胞へ拡散・排出され、呼気として体外へ出される。

 また、空気(大気)に含まれる酸素は約21%(容積比)で、その他は窒素(78.1%)、アルゴン(0.93%)、水蒸気(量不定)などとなっているが、二酸化炭素は約0.04%と少ない。生物の呼吸では、この中の酸素を取り入れてガス交換をしているというわけだ。

 呼吸で取り入れる酸素濃度が低いと酸欠になるが、二酸化炭素の濃度が高いと呼気への二酸化炭素の排出が阻害され、それによって中毒症状が起きる。酸素濃度が低くなくても二酸化炭素の濃度が高ければ中毒症状が起きるとされ、二酸化炭素自体に強い毒性がある

酸素濃度と二酸化炭素濃度による人体への影響。消費者庁と国民生活センターのリリースより。
酸素濃度と二酸化炭素濃度による人体への影響。消費者庁と国民生活センターのリリースより。

ドライアイスと二酸化炭素の注意喚起必要

 今回の消費者庁と国民生活センターの注意喚起では、実際に棺にドライアイスを入れた実験も行っている。

 それによると、棺の蓋を閉めた状態では、20分後に「ほとんど即時に意識を消失」するとされる濃度(30%)」を超えた。その7時間後には、棺内の濃度が90%前後でほぼ一定になる状態になった。

 また、静かに棺の蓋を開けた時の二酸化炭素の濃度は、50分後でも30%以上を維持し、酸素の濃度は蓋を開けた直後は約10%(進行する中枢神経の抑制、意識消失)で、50分後には約15%に上がったという。

棺の蓋を開けた後の二酸化炭素の濃度変化。開けてしばらく危険な濃度が維持される。消費者庁と国民生活センターのリリースより。
棺の蓋を開けた後の二酸化炭素の濃度変化。開けてしばらく危険な濃度が維持される。消費者庁と国民生活センターのリリースより。

 なぜ、二酸化炭素がそれほど危険なのか、呼吸器の専門医である堺市立総合医療センターの呼吸器内科部長、郷間厳氏に詳しく話をうかがった。

──今回の消費者庁・国民生活センターの注意喚起(棺内のドライアイスによる二酸化炭素中毒に注意)について、どのようなことをお感じになりましたか。

郷間「二酸化炭素が空気より重い上に低温であれば、棺の中の空気を置き換えるように高濃度の二酸化炭素と低酸素の状態になっているのであろう、という今回の発表内容に同意します。注意喚起として重要なことと考えました。実際に実験されて、これほどの高濃度の二酸化炭素と低濃度酸素の状態になっていることには、理屈から予測される条件そのままで驚きました」

──葬儀という特殊な状況に加え、ドライアイスからの二酸化炭素の危険性の認知度が低いことが重なった事故のようです。

郷間「ご遺体に寄り添っている方の呼吸状態も重要でしょう。悲嘆に暮れている状況の呼吸を想像してください。嗚咽しているような状態では、長く呼気を続けた後に大きく吸気をする状況ではないでしょうか。そうすると、棺の中の二酸化炭素を一気に吸い込んだような状態になってしまいます。もしその途中で、驚いて吐き出そうとしても、吐き出すための空気は肺の中にほとんど残っていませんから、そのまま意識がなくなってしまうことが推定されます。また、遺体にすがっている姿勢も危険だと考えます。低い位置で重心が遺体にかかっている状態で意識を失えば、そのままの姿勢になってしまうおそれがあります。意識を失った方の異常に気がつくのが遅れないよう、気をつけないといけないと思います」

二酸化炭素は短時間で血中高濃度に

──なぜ、二酸化炭素を吸い込むと危険なのでしょうか。

郷間「二酸化炭素は非常に溶けやすく、肺胞での拡散は酸素の20倍から25倍速いとされています。酸素でさえ肺胞で素早く交換されますから、濃い二酸化炭素を吸うと肺胞であっという間に高濃度の二酸化炭素が血中に溶け込む(高い分圧)と考えられ、非常に効率良く二酸化炭素の多い動脈血になると推測されます。また、二酸化炭素は、少し高い値になるだけで中枢神経には抑制的に作用すると言われていますから、吸い込めば昏睡はもちろん呼吸停止が生じることになるのだと思います」

──生物の呼吸のガス交換の観点から、二酸化炭素中毒との関係、無酸素状態の大気を吸い込んだ場合の肺胞の状態などについて教えてください。

郷間「肺に吸い込まれた気体は、肺胞に分布した時点で効率良く肺胞を取り巻く血管との間でガス交換が生じます。高い方から低い方へ移動するわけですが、酸素よりも二酸化炭素の方が拡散は非常に速いことがわかっています。おそらく、一回深く吸い込んだだけで、急速な高二酸化炭素血症と低酸素血症になってもおかしくありません。動物モデルでは、無意識はほぼ瞬時に生じて、呼吸運動は1分で停止し、数分の無呼吸後、循環停止が生じるとされています」

──ガス交換で酸素を取り入れますが、その他の窒素などは取り入れていないのでしょうか。また、タバコに含まれるニコチンなどの異物もガス交換による拡散現象で入ってくるのでしょうか。

郷間「酸素が取り入れられる点について、酸素濃度の差(勾配)で血液の血漿に溶ける量はありますが、わずかです。酸素運搬の主体は、さらに赤血球の中のヘモグロビンが担っています。一方、窒素の拡散が酸素に比べて小さいこともあり、生理的な計算では、窒素が血液に溶解する量は無視できるほどです。一方で、それ以外の水に溶けやすい物質も、肺胞まで届けば容易に血中に分布すると考えられます。ニコチンは非常に吸収されやすいとされ、タバコを一回吸入して7秒から8秒でニコチンは脳に到達するとされています。ニコチン以外のいわゆるドラッグも同様に、肺胞での拡散で血液に分布して脳に到達すると考えられます」

──今回のドライアイスのほか、練炭、ガスコンロなど、注意すべき中毒などはありますか。

郷間「これからの季節は、一酸化炭素中毒が心配されます。練炭を用いるような方は減っていると思いますが、一酸化炭素は二酸化炭素と異なり、ヘモグロビンとの結合が酸素よりも強く、血液中に長く残ります。その特徴から、連日少しずつ一酸化炭素を吸っていって生じる中毒は神経学的な後遺症を残すなど、深刻なものになることがあります。そのため、窓を小まめに開けるなどする換気が大切だと思います」

 温暖化ガスの一種とされている二酸化炭素は、大気中から取り込んだ後の貯蔵場所も増え、取り扱いの規制が及ばない状況になる恐れがある。ドライアイスは身近な物質だが、その危険性も十分に知っておくべきだろう。

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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