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「マダニ」がヒトの「毛」を奪った? なぜヒトの体毛は少ないのか

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(写真:アフロ)

 暖かくなってくるとマダニによる人獣共通感染症の感染事例が増えてくる。感染症が生物の進化に何らかの影響を及ぼすことは知られているが、ヒトの体毛が少ない理由にマダニが関係するという論考も多い。ダニやシラミはヒト進化にとってどんな意味を持つのだろうか。

マダニの恐怖

 先日、茨城県でオズウイルスというウイルスによる感染症に女性がかかり、亡くなったという報道があった。このウイルスはマダニが媒介して感染すると考えられ、ヒトへの感染例や死亡例は世界初だという。

 気温が上がってくると、マダニを含む多くの生物の活動が活発になる。

 その病原体を持つマダニに咬まれると、重症熱性血小板減少症候群(SFTS)や日本紅斑熱などの人獣共通感染症に感染することがある。SFTSはSFTSウイルス、日本紅斑熱はリケッチアという病原体による感染症だ。SFTSは、感染から6日から14日後に発熱、嘔吐、下痢などの症状が現れ、重症化すると死亡することもあり、日本紅斑熱は感染から2日から8日後に高熱、発疹などが現れる。

 小さな節足動物であるマダニは、我々の生活や経済活動にとって実は大きな存在だ。それは毎年のように世界中でマダニによる感染症で亡くなる人がいること(SFTSの場合、日本国内で数人から十数人。国立感染症研究所による)、そしてマダニによる家畜への被害が世界規模で巨額ということなどによる(※1)。

 マダニには約900種(日本ではフタトゲチマダニ、キチマダニ、シュルツェマダニなど)いて、柔らかいマダニと硬いマダニに大きく分かれる。種類にもよるが、大きさは3ミリメートルから8ミリメートル、血を吸うとその2倍から数倍ほどの大きさになる。

宿主と一緒に進化したマダニ媒介病原体

 吸血する時間は、宿主が咬まれたことに気づかない場合、数日から十数日と長い。マダニに咬まれてもほとんど痛みを感じないが、なぜ吸血するのに時間がかかるのかというと、マダニは吸血する生物の皮膚の下の毛細血管を壊して広範囲に出血させ、皮膚の下に血液のプールを形成させてからその血を吸うからだ。

 マダニの唾液の中には血液が固まるのを妨げる物質(ヘマンギンなど)や免疫を調整する物質が含まれ、長い場合は1週間以上も血を吸い続けるマダニの仲間もいる。特に、硬い種類のマダニのほうが吸血し続ける期間は長い(※2)。

 マダニの仲間は、遅くとも恐竜の時代(白亜紀)頃からいたと考えられている(※3)。つまり、生物種としては人類よりも先輩で当然、恐竜絶滅後も生き延び、鳥類と哺乳類、爬虫類などの血を吸ってきたが、同時にマダニが媒介する人獣共通感染症の病原体も一緒に進化してきた。

ヒトに体毛がない理由

 ところで、我々人類ヒトは、なぜ体毛が少ないのだろうか。同じ霊長類でも、ゴリラ、オランウータン、チンパンジーはけっこう毛深いが、ヒトは頭部を保護する頭髪や陰毛のほかの部分の体毛はほとんどないか薄くまばらに生えているだけだ。

 ヒトが体毛を失った理由には、いくつか仮説がある。

 例えば、ヒトの祖先は、まずアフリカのサバンナで進化したが、気温の高い環境で体温を冷却するために体毛をなくしたという説、ヒトが幼形成熟(ネオテニー)だからという説、ヒトの祖先が一時期、水の中で暮らしていたからという水棲仮説などだ。

 こうした仮説の一つに、ヒトの祖先が集団で狩猟採集を始めた頃、マダニが媒介する感染症にひどく苦しめられた結果、より体毛の少ないパートナーを選ぶという性選択によって、ヒトは次第に体毛を失っていったという寄生虫適応仮説がある(※4)。ちなみに、ヒトに寄生する吸血節足動物にはケジラミなどのシラミ類もいるが、シラミによる人獣共通感染症の感染はほとんどない。

 もし、この仮説が正しいとすれば、ヒトの進化のどこで体毛を失ったのかは化石からはわからないが、樹上生活から降りて草原やサバンナに移行して二足歩行になった際、草原に生息するマダニとの遭遇がきっかけになったとも考えられる。つまり、ヒトの二足歩行と体毛の欠如には何らかの関係があるのかもしれない(※5)。

 マダニは、卵、幼虫、若虫、成虫といった段階を経て成長するが、卵以外の各段階で別々に宿主を変えながら吸血して一生を終える種類が多い。また、宿主に巡り会えない場合、1年以上も吸血せずに生存することが可能だ。高さ1メートル程度までの背の低い灌木や草原の草の先に待機しながら、マダニは新しい宿主が通りかかるのをじっと待つ。

 一方、ヒトの祖先の化石は、アフリカの熱帯林の周辺部、樹木が少しまばらになって開けた雑木林といった湿潤な環境で発見されている。そして、マダニはこうした環境を好む。

 アフリカ大陸は、900万年前から乾燥し始め、66万年前から26万年前にサバンナが広がっていったと考えられているが、二足歩行を始めてサバンナに進出したヒトの祖先が通りかかると、マダニはヒトにしがみつき、吸血する場所を探してから咬みついて血を吸い、感染症を媒介させた。

 体毛の多い動物ではマダニの発見が遅れることが知られ(※6)、現代のヒトでも頭髪のように毛の多い部分に潜んだマダニの存在が報告されている(※7)。こうした理由から、ヒトの祖先が性選択の際、体毛の多い個体を避けるといった淘汰圧を繰り返していけば、次第に体毛は薄くなり、やがてなくなっていくだろう、というのがこの仮説のシナリオだ。

性選択の結果か

 狩猟採集を始めたヒトの祖先では主に集落の外へ出て狩りをするのは男性で、多くの女性は集落にとどまって子育てをするなどして暮らしていたと考えられている。集団で定住する洞窟や住居はマダニにはかっこうの隠れ家でもあり、経験的にマダニによる感染症を恐れた男性はより体毛の薄い女性をパートナーに選ぶ傾向が強かったかもしれない。

 では、ヒトはいったいいつ体毛を失ったのだろうか。これについては、ヒトのアタマジラミとケジラミ、ゴリラのコロモジラミなどの分子生物学による研究で数百万年前(700万年前から300万年前)ということがわかっている(※8)。

 以上をまとめると、マダニによる感染症はいまだに人類を苦しめているが、その戦いはヒトの祖先が体毛を失うほど激しいものだった可能性があるというわけだ。

 マダニによる致死性の高い感染症、重症熱性血小板減少症候群(SFTS)が発見されたのは十数年前だ。オズウイルスに至っては、ごく最近その存在が確認されたばかりの病原体という。マダニは、依然として新しい感染症を生み出す危険性を持っている。

※厚生労働省「ダニ媒介感染症」には、感染症の種類、症状、対策などが詳しく紹介されている。

※1-1:Julio J. de Castro, "Sustainable tick and tickborne disease control in livestock improvement in developing contries" Veterinary Parasitology, Vol.71, Issue2-3, 31, July, 1997

※1-2:F. Jongejan, G. Uilengerg, "The global importance of ticks" Parasitology, Vol.129, Issue51, 19, April, 2005

※2:Ben J. Mans, Albert W H. Neitz, "" Insect Biochemistry and Molecular Biology, Vol.34, 1-17, 2004

※3-1:Lidia Chitimia-Dobler, et al., "Amblyomma birmitum a new species of hard tick in Burmese amber" Parasitology, Vol.144, Issue11, 6, June, 2017

※3-2:Enrique Penalver, et al., "Ticks parasitised feathered dinosaurs as revealed by Cretaceous amber assemblages" nature communications, 8, Article number: 1924, doi.org/10.1038/s41467-017-01550-z, 12, December, 2017

※4:M J. Rantala, "Evolution of nakedness in Homo sapiens" Journal of Zoology, Vol.273, Issue1, 1-7, September, 2007

※5:Jeffrey G. Brown, "Ticks, Hair Loss, and Non-Clinging Babies: A Novel Tick-Based Hypothesis for the Evolutionary Divergence of Humans

and Chimpanzees" life, Vol.11(5), 435, 12, May, 2021

※6:Jayme Garcia Arnal Barbedo, et al., "The use of infrared images to detect ticks in cattle and proposal of an algorithm for quantifying the infestation" Veterinary Parasitology, Vol.235, 106-112, 15, February, 2017

※7:Michael W. Felz, et al., "A Six-Year-Old Girl with Tick Paralysis" The New England Journal of Medicine, Vol.342, 90-94, 13, January, 2000

※8-1:David L. Reed, et al., "Pair of lice lost or parasites regained: the evolutionary history of anthropoid primate lice" BMC Biology, 5 Article number: 7, 7, March, 2007

※8-2:Melissa A. Toups, et al., "Origin of Clothing Lice Indicates Early Clothing Use by Anatomically Modern Humans in Africa" Molecular Biology and Evolution, Vol.28, Issue1, January, 2011

※8-3:Julie M. Allen, et al., "Parasitic Lice Help to Fill in the Gaps of Early Hominid History" Primates, Pahtogens, and Evolution, 1, January, 2013

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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