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T・レックスの両腕なぜ極端に小さい? 「交尾」「とどめ」「打撃」有力説は

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(提供:PantherMedia/イメージマート)

 最も人気のある恐竜は、やはりティラノサウルス(Tyrannosaurus rex)だろう。巨大な頭部と立体視のできる両眼、大きな口にズラリと並んだ歯、たくましく強靭そうな後肢、前傾姿勢とバランスを取るように伸びた尻尾など、その姿かたちは広く知られているが奇妙なのは両腕の小ささだ。ティラノサウルスの両腕はなぜあんなに小さいのか。そしてどんな機能があるのだろうか。

けっこう力強かったティラノサウルスの腕力

 ティラノサウルスは、白亜紀後期(6800万年前から6600万年前)に北米大陸西部になる地域に生息していた獣脚類(Theropoda)の中のコエルロサウルス(Coelurosauria)の仲間だ。よく知られた恐竜なので、画像を見なくてもその姿かたちを想像できる人も多いだろう。

 特徴的な外観の中で、特に気になるのは両腕が極端に小さいことだ。研究者は両腕の小ささを当初から指摘していたが(※1)、その生態に関する議論にからみ、小さな両腕の役割についてもいくつかの仮説が出されてきた。

 ティラノサウルスの腕はその身体の大きさに比べれば小さく見えるが、化石として発見される標本の多くでヒトと同じくらいか1.5倍くらいのサイズがある(※2)。指は2本しかないが、腕についている筋肉量から推定すると、彼らはヒトの約3.5倍である約180キログラムを引き上げる力を持っていたようだ。

 ティラノサウルスを含む獣脚類は、小型肉食恐竜のデイノニクス(Deinonychus)などでも両腕の可動域がかなり狭いと考えられている。人間や霊長類の両腕に比べると動かせる範囲は限定的で手首にしても単純な前後運動しかできなかったようだ。

 ただ、ティラノサウルスの上腕骨の関節の潜在的な可動域は、他の獣脚類よりも自由度が高かったのではないかという研究もある(※3)。

 いずれにせよ、こうした両腕の機能は、ティラノサウルスの捕食行動に大きな影響をおよぼすと考えられている。

ティラノサウルスの両腕の骨格図。Via:Kenneth Carpenter,
ティラノサウルスの両腕の骨格図。Via:Kenneth Carpenter, "Forelimb biomechanics of nonavian theropod dinosaurs in predation" Palaeobiodiversity and Palaeoenvironments, 2002

小さな両腕の役割とは

 こうした機能から、ティラノサウルスの両腕の役割についていくつかの仮説が出されている。

 1906年に出された最初のものは、交尾の際にオスがメスをつかむために両腕を使ったのではないかという交尾説だ(※1)。しかし、繁殖に利用したとすれば、メスでも小さな説明がつかないし、果たして実際に両腕でメスをつかまえ続けることが可能だったのかもわからない。

 1970年代に出たのは、ティラノサウルスが立ち上がる際に両腕を使ったのではないかという腕支え説だ(※4)。だが、解剖学的にみると両腕は内転するだけなので広げる動作ができず、体を支えるのは難しそうだ。

 ティラノサウルスの系統分類に大きな影響を与えた米国のメリーランド大学の研究者が唱えたのは、羽毛をはやしたティラノサウルスが繁殖行動などで両腕に羽をつけてアピールに利用していたのではないかというコミュニケーション説だ(※5)。この説では、ほかの機能を否定せず、付加的に羽毛によるデモンストレーションをすることもできる。

 このように様々な仮説が出てきた背景には、ティラノサウルスの生態についての議論がある。それはティラノサウルスが獲物を狩る捕食者ではなく、死んだ動物の肉を食べるスカベンジャー(腐肉漁り)だったのではないかという説だ(※6)。

 捕食者からスカベンジャーか、それとも日和見的に腐肉を漁る捕食者か(※7)、その生態によって小さな両腕の役割の議論も変わってくるだろう。

 米国フロリダ州のパームビーチ自然史博物館などの研究グループは、草食恐竜の化石に残されたティラノサウルスの歯形と治癒の経過を示す化石痕から、ティラノサウルスは明らかに生きている草食恐竜を捕食していたことがわかるとした(※8)。

 同研究グループによれば、現在のアフリカ・サバンナでも肉食獣に襲われた草食動物が逃げ延びて傷を治すことがみられるようだ。同研究グループは、この証拠からティラノサウルスが完全なスカベンジャーではなかったと結論づけている。

 アフリカ・サバンナの生態系で似たような位置にいるライオンも、あるときは果敢なハンターになり、あるときは草食動物の死体を探し、あるときはハイエナなどがとらえた獲物を横取りしている。このことから、多くの研究者はティラノサウルスも完全な捕食者でなければ完全なスカベンジャーでもなかっただろうと考えている。

 では、その場合、小さな両腕はどのように使っていたのだろうか。

 ティラノサウルスの両腕には大きく強力な内転筋がついていたと想像され、両腕の長さが短いことでかえって強い力を発揮できたのではないかと考えられている。このことはティラノサウルスが、強力な顎で獲物にとどめをさすまで両腕を使って獲物を保持していた可能性を示唆する(※9)。

両腕はなぜ小さくなったのか

 また、両腕を獲物への攻撃に積極的に使っていたのではないかという打撃説もある(※10)。ティラノサウルスの爪は10センチほどもあり、この説では鋭い爪を獲物に打ち込んでダメージを与えたのではないかという。ただ、どれほど大きな打撃を与えられたかわからない。

 草食動物はミネラル類を摂取するため、死んだ動物の骨を食べることがある。こうした行動をオステオファジー(Osteophagy)というが、ティラノサウルスの巨大な頭部と顎、そして強力な咬合力は、噛み砕いた獲物の骨からミネラルなどを摂取するためではないかという研究もある(※11)。

 こうした咬合力を得るためには大量の筋肉をつける必要があり、頭部もおのずから巨大化せざるを得ない。

 では、頭部の重量を軽減させるために両腕が小さくなっていったのだろうか。

 最新の研究によればティラノサウルスの赤ちゃんは大型犬ほどの大きさだったようだが(※12)、ティラノサウルスは特に成長速度が速いわりに性成熟に達するまでに長くかかったようだ。速い成長速度と頭部や顎、口、歯の成長とのアンバランスが両腕を奇形的に小さくしていったのではないかという説もある(※13)。

 ティラノサウルスの両腕がどう使われていたのか、研究者の間の議論にまだ決着はついていない。だが、捕食者かスカベンジャーかという議論と同様、ティラノサウルスは、あるときは交尾に、あるときは立ち上げる際に身体を支え、あるときはコミュニケーションに、あるときは獲物を押さえ込むというようにその小さな両腕を使っていたのだろう(※14)。

 だが、研究者が首をかしげているのは、ほかの身体の部分に比べてアンバランス過ぎる両腕のサイズとあまりにも限定的な機能だ。小さな両腕はティラノサウルスを含む多くの獣脚類に共通しているが、獲物を攻撃する役割を頭部や顎、口に集中させていけば、そのうち両腕は退化してなくなってしまうだろう。

 もしかすると、両腕がなくなるというティラノサウルスの進化の途中に、あの大絶滅が起きたのかもしれない。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

※1:Henry Osborn, Barnum Brown, "Tyrannosaurus, Upper Cretaceous carnivorous dinosaur : (second communication)" 282 Bulletin American Museum of NaturalHistory, 1906

※2:Paul J. Bybee, et al., "Sizing the Jurassic theropod dinosaur Allosaurus: Assessing growth strategy and evolution of ontogenetic scaling of limbs" Journal of morphology, Vol.267, Issue3, 347-359, 2006

※3:Kenneth Carpenter, "Forelimb biomechanics of nonavian theropod dinosaurs in predation" Palaeobiodiversity and Palaeoenvironments, Vol.82, Issue1, 59-75, 2002

※4:B H. Newman, "Stance and gait in the flesh-eating dinosaur Tyrannosaurus" Biological Journal of the Linnean Society, Vol.2, Issue2, 119-123, 1970

※5:Thomas R. Holtz Jr., "Dinosaurs: The Most Complete, Up-to-Date Encyclopedia for Dinosaur Lovers of All Ages" Random House Books for Young Readers; Illustrated edition, 2007

※6:John R. Horner, "The Complete T.rex" Simon & Schuster, 1993

※7:James O. Farlow, "Speculations about the carrion-locating ability of tyrannosaurus" Historical Biology, Vol.7, Issue2, 1994

※8:Robert A. DePalma, et al., "Physical evidence of predatory behavior in Tyrannosaurus rex" PNAS, Vol.110, No.31, 12560-12564, 2013

※9:Christine Lipkin, Kenneth Carpenter, "Looking again at the Forelimb of Tyrannosaurus rex" Tyrannosaurus rex, the Tyrant King, Indiana University Press, 2008

※10:Steven M. Stanley, "Evidence that the Arms of Tyrannosaurus rex were not functionless but adapted for vicious slashing" Geological Society of America Abstracts with Programs, 49(6), 2017

※11:Paul M. Gignac, Gregory M. Erickson, "The Biomechanics Behind Extreme Osteophagy in Tyrannosaurus rex" Scientific Reports, DOI:10.1038/s41598-017-02161-w, 2017

※12:Gregory F. Fuston, et al., "Baby tyrannosaurid bones and teeth from the Late Cretaceous of western North America" Canadian Journal of Earth Sciences, doi.org/10.1139/cjes-2020-0169, 2021

※13:Geoffrey Guinard, "Forelimb shortening of Carcharodontosauria (Dinosauria: Theropoda): an update on evolutionary anterior micromelias in non-avian theropods" Zoology, Vol.139, 125756, doi.org/10.1016/j.zool.2020.125756, 2020

※14:Don Arp, Jr., "Testing Utility: Developing an Assessment to Evaluate Tyrannosaurus rex Forelimb Use Cases" Biosis: Biological Systems, Vol.1(3),102-108,2020

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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