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「禁煙」と「遺伝子」の関係を考える

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(ペイレスイメージズ/アフロ)

 禁煙は、わりと簡単にできてしまう喫煙者もいれば、何度挑戦しても禁煙できない人も多い。禁煙のしやすさと遺伝的な要因には、何か関係があるのだろうか。

再喫煙するのは認知障害か

 2600人以上の喫煙者を調べた研究(※1)によれば、喫煙渇望(Craving)の強弱によって禁煙しやすい人とすぐに再喫煙してしまう人に分かれるようだ。渇望の強い喫煙者の32%以上が一週間以内に再喫煙してしまうのに比べ、弱い喫煙者の一週間以内の再喫煙のリスクは15%以下だったという。

 米国や英国、カナダ、フランス、スペインの喫煙者2431人を対象にした調査研究(※2)によれば、再喫煙してしまう理由はニコチン依存、喫煙開始のきっかけ(Smoking Cues)、喫煙渇望、中毒の禁断症状(Withdrawal Symptoms)、禁煙治療薬の欠如などだ。特に、灰皿やライターなどの喫煙のきっかけになるものを遠ざけたり目に着かないようにしないと危ないという。

 また、禁煙を始めてもすぐに再喫煙してしまう場合、軽い認知障害になっている危険性もある。

 意味のないアルファベットが並んだ文字列の認識テスト(Nバック課題、Letter-N-Back Task)と刺激に対する反応速度を調べるテスト(Continuous Performance Task)を使い、禁煙者の再喫煙予測を禁煙補助薬(バレニクリン)投与群とプラセボ(無治療)群で比較した研究(※3)によれば、禁煙中にテスト結果が悪い禁煙者でプラセボ群のほうが早く再喫煙したという。ニコチン中毒からの離脱過程で作業記憶が低下する認知障害が起きている危険性があり、そうした症状が再喫煙に結びついているのかもしれない。

 では、禁煙の成功に、遺伝的な要因はどの程度、関係しているのだろうか。双生児に協力してもらって様々な遺伝的な要因を調べた研究があるが、喫煙でも少なくない。

 オーストラリアで1964〜1971年に生まれた一卵性双生児6257人(女性3435人、回答率73.3%)について、喫煙者のニコチン依存の程度を遺伝的要因で調べた研究(※4)によれば、男女ともにニコチン依存の程度や禁煙の難しさが遺伝的な要因に強く影響されていることがわかったという。

 また、フィンランドの24〜88歳までの一卵性双生児2923組、二卵性双生児6018組について喫煙と禁煙の遺伝的要因を調べた研究(※5)によれば、男性の喫煙行動59%、吸う本数54%、禁煙の成功58%で、また女性の喫煙行動36%、吸う本数61%、禁煙の成功50%で遺伝的な影響の可能性があるという。

禁煙には遺伝的要因が関係する

 では、こうした遺伝的要因には、いったいどんな遺伝子が関係しているのだろうか。

 タバコ(加熱式タバコも)に含まれるニコチンは、体内でコチニン(Cotinine)に代謝されるが、この代謝に関係しているのがCYP2A6という遺伝子(代謝酵素遺伝子)だ。喫煙者がタバコをやめられないのは、タバコに含まれるニコチンという物質によって中毒になっている影響が大きい。

 ニコチンの依存症という病気になっている喫煙者が多く、病気を治療するために禁煙外来で保険適用されているというわけだ。ニコチン中毒の依存症治療だから、ニコチンが含まれるアイコス(IQOS)などの加熱式タバコをやめたい喫煙者も、禁煙外来で保険適用しての治療が可能となる。

 CYP2A6遺伝子によるニコチンの代謝が速く行われれば、体内のニコチン濃度が低くなり、喫煙渇望や禁断症状が出やすくなることが予想できる。逆に、この遺伝子の働きが鈍くニコチンからコチニンへの代謝がスムーズに行われなければ、体内のニコチン濃度は下がりにくくなり、喫煙量も少なくて済むはずだ。

 このCYP2A6遺伝子には多くの変異があることが知られているが、人種的にも違いがあり、日本人にはCYP2A6遺伝子の活性が低いタイプの人が多いのだという(※6)。つまり、日本人の喫煙者の多くは、ニコチン代謝の遺伝子の関係で禁煙しやすいのだ。

 ただ、CYP2A6遺伝子の変異も多種多様で、ニコチンが脳へ及ぼす作用に影響する遺伝子(CHRNA遺伝子、COMT遺伝子多型など)も知られ、また人種的な違いも大きいため、喫煙や禁煙と遺伝的要因の関係をはっきりさせるのは難しい。いずれにせよ、ニコチンの代謝、ニコチンの脳での作用などの遺伝子の変異が、禁煙の容易さや困難さに関係しているのは確かだ。

 もちろん、人間の行動や性格には、遺伝的な要因と環境要因が密接に絡み合っている。タバコという商品・物質、喫煙、禁煙にはさらに社会的経済的制度的な影響も大きい。

 喫煙者にとって禁煙は、今すぐにできる最も効果的な健康法だ。幸い日本人にはニコチン代謝遺伝子の活性が弱いタイプが多い。禁煙が難しいのは、単に習慣になっていたり喫煙行為自体に依存しているからともいえるだろう。

 加熱式タバコにも有害物質が含まれている。毎日、定期的に身体へ入れるのだから、長い期間をかけて蓄積するリスクを過小評価するのは危険なのはいうまでもない。

※1:Joel D. Kilen, et al., "Craving is associated with smoking relapse: Findings from three prospective studies." Experimental and Clinical Psychopharmacology, Vol.5(2), 137-142, 1997

※2:Xiaolei Zhou, et al., "Attempts to quit smoking and relapse: Factors associated with success or failure from the ATTEMPT cohort study." Addictive Behaviors, Vol.34, Issue4, 365-373, 2009

※3:Freda Patterson, et al., "Working memory deficits predict short-term smoking resumption following brief abstinence." Drug and Alcohol Dependence, Vol.106, Issue1, 61-64, 2010

※4:Christina N. Lessov, et al., "Defining nicotine dependence for genetic research: evidence from Australian twins." Psychological Medicine, Vol.34, 865-879, 2004

※5:Ulla Bromes, et al., "Genetic Architecture of Smoking Behavior: A Study of Finnish Adult Twins." Twin Research and Human Genetics, Vol.9, Issue1, 64-72, 2006

※6-1:Miki Nakajima, et al., "Relationship between interindividual differences in nicotine metabolism and CYP2A6 genetic polymorphism in humans." Clinical Pharmacology & Therapeutics, Vol.69, Issue1, 72-78, 2001

※6-2:Ryoko Yoshida, et al., "Genetic polymorphisms in human CYP2A6 gene causing impaired nicotine metabolism." British Journal of Clinical Pharmacology, Vol.54, Issue5, 511-517, 2002

※6-3:Hiroyuki Yamanaka, et al., "Metabolic profile of nicotine in subjects whose CYP2A6 gene is deleted." European Journal of Pharmaceutical Science, Vol.22, 419-425, 2004

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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