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「糖質」を目の敵にするのは「脳の怠け癖」のせいだった

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(写真:アフロ)

 議論の尽きない「糖質制限」界隈のダイエットだが、先日、米国人を対象にした研究で糖質制限食が寿命を縮めるというショッキングな論文が話題になった。炭水化物のような糖質の摂り過ぎが健康に悪いのは当然だが、なにごとも過ぎたるは及ばざるがごとしで極端な糖質の制限も逆効果になる。こんなにも我々が糖質を目の敵にするのは、脳の怠け癖のせいかもしれない。

なぜ糖質が目の敵になるのか

 いわゆる地中海食ダイエット(Mediterranean Diet)に代表されるような糖質(炭水化物)制限食が体重を減らし(※1)、病気の予防に効果があることはよく知られている(※2)。また、低炭水化物と低脂肪の食事により、体重や脂肪量が減ってHDLコレステロールが増えることもわかってきた(※3)。

 こうした研究成果が広まる一方、糖質制限のし過ぎはむしろ健康に良くないという研究もある。

 2018年8月に、オランダの医学雑誌『LANCET』に米国人1万5428人(45〜64歳)を25年間、追跡調査したコホート(集団)研究が出た(※4)。米国のブリガム・アンド・ウイメンズ病院などの研究グループによるもので、炭水化物を控えた糖質制限ダイエット(Low-Carbohydrate Diets)群(総摂取エネルギーにおける炭水化物の割合40%未満)と炭水化物を多く摂取した群(70%以上)は、そうでない群(50〜55%)より死亡リスクが高くなるというものだ。

 死亡リスクを炭水化物50〜55%の群と比較すると、低炭水化物食の群は1.2倍(ハザード比)、高炭水化物食の群は1.23倍(同)だった(※5)。この研究グループによれば、低炭水化物食の群には肉食が多くなる傾向がみえ、これが死亡リスクを高めているのではないかという。逆に、ナッツ類や植物食、炭水化物でも全粒穀物を食べることの多い群は低炭水化物食でも死亡リスクは低かった。

 糖質はとにかく身体に悪いとばかり目の敵にして極端な行動をとる人もいるが、多様な栄養素をバランスよく食べ、偏食しないことが重要ということになる。そもそも人類はかなり以前から炭水化物を摂っていたことがわかっているので、一朝一夕にこうした食生活になったわけではない。

 この記事では糖質制限ダイエットの是非について議論しないが、炭水化物には糖質以外に食物繊維やビタミン、ミネラル、タンパク質、脂質といった栄養素も含まれている。もちろん、高炭水化物の食事に偏るとメタボリック症候群や2型糖尿病になるし、前述したように低炭水化物食に切り替えることで体重や糖尿病リスクが減ることは明らかだ。

 ただ、多少は糖質過多の食事をしていても、魚介類や野菜類などもまんべんなく食べ、適度な運動習慣をしていれば体重をコントロールしたり糖尿病のリスクを低くすることはできる。

なるべく運動したくない脳

 特に20世紀以降、人類は身体を動かさなくなった。江戸時代の庶民はお伊勢参りの際に江戸〜伊勢を1日あたり約33.1km、長旅では約35km歩き、女性でも平均約30.4km歩いていたと考えられている(※6)。栄養状況のよくないまま長距離を歩くことで逆に体調を崩すこともあったかもしれないが、もちろん旅行以外でも農作業など、江戸時代人は現代人よりずっと多く運動をしていた。

 現代人が運動不足なのは世界的な傾向であり、WHO(世界保健機関)によれば成人の16.6〜34.5%が運動不足だという。我々は、モータリゼーションや交通機関の発達、肉体労働からデスクワークへといった勤労環境の変化などにより、座りっぱなしで1日を過ごすような生活に慣れてしまっている。

 これで食事の内容が変わらなければ、エネルギー収支が合うはずもない。自ずから運動せずに摂取カロリーを減らすことで解決することになる。炭水化物や糖質を目の敵にする理由は、運動せずカロリーの収支決算に辻褄を合わせたいからだろう。

 だが、運動すれば気持ちいいことを頭では理解しつつ、どうしても身体が動かない。せっかくスポーツジムに入ったのに、いつの間にか行かなくなって会費だけ払い続けている人も多い。

 では、なぜ我々は運動したくないのだろうか。怠け者だからだろうか。これについては「運動のパラドックス(Exercise Paradox)」として多くの研究があるが、ようするに必要に迫られていない運動はしないということになる(※7)。不随意反射のようなもので、切羽詰まれば身体が動くがそうでなければ動かない。

 この観点から、どこまで必要に迫られれば脳は行動を起こすのかという論文が出た。スイスのジュネーブ大学などの研究グループによる実験で、ボランティアの参加者29人に対し、日常生活の身体の動きと脳波(Electroencephalography、EEG)の関係を調べ、その結果をオランダの認知脳神経学雑誌『Neuropsychologia』に発表した(※8)。

 実験では特にソファにリラックスして座っている姿勢からの行動を調べ、身体を動かす際の脳波を測定して評価した。その結果、ソファから動きたくない脳と動いたほうがいい脳が葛藤し、最も効率的でムダのない最小限の身体の動かし方で対応し、脳は大きなエネルギーを使うことがわかったという。

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なるべく動きたくない脳に刺激を与える実験の模式図。Aは一般的な運動を、Bは座った状態を簡単な図にしている。座った図に刺激を与え、Aのような動きと脳波の関係を比較した。Via:Boris Cheval, et al., "Avoiding sedentary behaviors requires more cortical resources than avoiding physical activity: An EEG study." Neuropsychologia, 2018

 つまり、人間の脳はなるべく楽をするように作られているというわけだが、この研究グループはエネルギーを節約して生存競争を生き抜くために備わった仕組みが、高度に発達した現代社会では逆に作用しているのではないかと危惧する。エレベーターへ乗らせようとする脳の誘惑をはねのけ、階段で昇降するべきというのだ。

 楽をしたがる脳に運動へ向かわせることができれば、糖質を目の敵になどしなくてもいい。江戸時代の庶民は歩かざるを得なかったから1日何十kmも歩いた。切羽詰まった状況と脳を欺すいい方法はあるのだろうか。

※1:Iris Shai, et al., "Weight Loss with a Low-Carbohydrate, Mediterranean, or Low-Fat Diet." The NEW ENGLAND JOURNAL of MEDICINE, Vol.359, 229-241, 2008

※2:Ramon Estruch, et al., "Primary Prevention of Cardiovascular Disease with a Mediterranean Diet." The NEW ENGLAND JOURNAL of MEDICINE, Vol.368, 1279-1290, 2013

※3:Lydia A. Bazzano, et al., "Effects of Low-Carbohydrate and Low-Fat Diets: A Randomized Trial." Annals of Internal Medicine, Vol.161(5), 309-318, 2014

※4:Sara B. Seidelmann, et al., "Dietary carbohydrate intake and mortality: a prospective cohort study and meta-analysis." The LANCET Public Health, Vol.3, Issue9, PE419-E428, 2018

※5:比較:低炭水化物食群のハザード比1.20、95%CI:1.09-1.32、高炭水化物食のハザード比1.23、95%CI:1.11-1.36

※6-1:谷釜尋徳、「近世後期の庶民の旅にみる歩行の実際─江戸及び江戸近郊地の庶民による伊勢参宮の旅を中心として」、スポーツ史研究、第20号、2007

※6-2:谷釜尋徳、「近世後期における羽州湯沢〜江戸間の旅のルートと歩行距離について : 天保11年『諸國道中記』の分析から」、スポーツ健康科学紀要、第11号、45-54、2014

※7:Ralf Brand, et al., "Affective-Reflective Theory of physical inactivity and exercise." German Journal of Exercise and Sports Research, Vol.48, Issue1, 48-58, 2018

※8:Boris Cheval, et al., "Avoiding sedentary behaviors requires more cortical resources than avoiding physical activity: An EEG study." Neuropsychologia, Vol.119, 68-80, 2018

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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