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モモの種で「邪馬台国論争」終止符か

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(写真:アフロ)

 日本史区分の弥生時代後期、日本のどこかに邪馬台国という集落か村落あるいは国家めいたものがあり、卑弥呼という女王かシャーマンあるいは部族長めいたものが治めていたらしい。中国の歴史書『三国志』の「魏志倭人伝」に記述され、この邪馬台国の場所が長く論争になってきた。今回、奈良県の遺跡から邪馬台国と同時期と考えられるモモの種が発見され、論争に終止符かと話題になっている。

邪馬台国論争は江戸後期から

 邪馬台国の場所に関する本格的な論争は、江戸時代後期から始まった。時代的に尊皇攘夷運動の前駆期で、新井白石や本居宣長が参戦して明治維新後も論争が続く。

 近畿地方にあったとする畿内説、九州中北部にあったとする九州説に大別できるが、文献資料では今のところ「魏志倭人伝」以外に決定的な証拠がなく、遺跡などの発掘調査による論証から証明していかざるを得ない。また「魏志倭人伝」の記述も正確とはいいがたく、読み方や解釈によって距離や方位などが恣意的に読み取れることも位置議論を白熱化させてきた。

 当時の日本はまだ統一国家めいたものが存在しないので、各地にそれぞれ豪族が割拠し、大中小の豪族があるいは覇を競い、あるいは合従連衡を繰り返していたと考えられる。そうした遺跡が各地にあり、これもまた邪馬台国論争を複雑化させてきた要因だ。

 これまでの200年くらいかけて諸説紛々出てきているが、ここでそれらをいちいち紹介しない。とにかく、遺跡自体や遺跡から発掘された当時の遺物により、ここが邪馬台国だったという証拠を明らかにしなければならないことになる。

 では、いったい何が出れば邪馬台国だったと証明できるのかといえば、例えば卑弥呼が魏と使者を交換していた木簡や印などの証拠が出たり、埋葬品などから明らかに卑弥呼のものとわかる墓があればそれだけで十分だろう。そうした遺物が都合良く出てくればいいが、残念ながらそんなものは未だ発見されていない。

 今回、名古屋大学宇宙地球環境研究所年代測定研究部の研究グループが、奈良県桜井市にある纒向(まきむく)遺跡(三輪山の北西)で2009年に出土したモモの種を調べたところ西暦135〜230年のほぼ100年間に食べられたモモの種だということがわかり、この遺跡と年代の合致する邪馬台国がこの場所にあったのではないかという論証を発表した。

 名古屋大学のリリースによれば、纒向遺跡の大型建造物跡の土坑から2800個という大量のモモの種が出土していたが、そのうちの12個を放射性炭素年代測定(※1)で測定したという。12個はほぼ同じ年に土坑に捨てられた可能性が高いことがわかったが、それも放射性炭素年代測定による。

西王母のモモ信仰と卑弥呼

 生物の寿命の長さにより誤差が生じる可能性があるが、モモは1年ごとに果実を作るため、種はその1年だけの試料となり、放射性炭素年代測定に適しているからだ。これまで纏向遺跡から出土した動植物の遺骸や土器、木製品などで放射性炭素年代測定による調査は行われておらず、保存状態が良く1年ごとの試料として適しているモモを使った。さらに別の研究グループが同じ土坑から出土した2個のモモの種を調べたところ、同じ年代結果が出たという。

 日本を含む東洋文明において、モモという果物は西洋のリンゴと同じように祭事や信仰、呪術の対象として古くから珍重されてきた。日本でのモモは桃太郎の昔話で有名だが、モモ信仰の源流は中国にある。

 このあたり、モモに関する民俗学的な論争もあり、邪馬台国と同じようにナショナリズムが絡んで複雑で厄介な状態になっているのだが、モモという植物自体が中国原産であり、モモを食べて不老不死を得た西王母や桃源郷伝説など、モモ信仰が中国由来であることは間違いない。『古事記』にある、イザナギノミコトを追ってきたイザナミノミコトにモモを投げつけるというくだりも中国の伝承からの描写と考えられる。

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纒向遺跡から出土したモモの種。Via:名古屋大学のリリース

 中国でモモ(核果類)が栽培された歴史は6000年以上ともいわれ、やがて日本にも伝えられたのだろう。もしも卑弥呼が不老不死の西王母にならってモモを食べていたなら、今回の纒向遺跡で大量のモモの種が出土したこととつなぎ合わせ、また年代も合致することから邪馬台国の場所である可能性が高い。

 4世紀からと考えられてきた纒向遺跡は、最近の研究により3世紀からのものする説が強く出され、卑弥呼の墓という説の根強い箸墓古墳がある。弥生時代から古墳時代にかけての過渡期的な遺跡でもある纒向遺跡から出土したモモの種は、果たして邪馬台国論争に終止符を打つのだろうか。

※1:放射性炭素年代測定:放射性同位体である炭素14(14C)が、自然環境の動植物の遺骸などで比率が一定していることを利用した年代測定法。炭素14は約5730年で半減するため、調べたい過去の生物が死んだ後から、その生物が自然界から取り込んだ物質の炭素14の減り方で時間経過を調べる。理論的に約5万年前までの年代測定が可能。今回の研究調査では、名古屋大学宇宙地球環境研究所に設置されているタンデトロン加速器質量分析装置を使い、より精度の高い年代測定を行ったという

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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