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ユニセフは子どもを「タバコ」から守れるか

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(写真:ロイター/アフロ)

 タバコ産業は、多種多様な戦略戦術で喫煙習慣を存続させようとしてきた。喫煙習慣というのは、とりもなおさずニコチン依存という薬物中毒症状だが、政治や行政へのロビーイング、影響力のある組織や機関に対しての資金や人材の提供といった有形無形の方法で関与と影響を強めてきた。最近の論文では、タバコ産業が国連の補助機関であるユニセフ(国際連合児童基金、United Nations Children's Fund、UNICEF)にまで手を伸ばしていたことがわかった。

ILOとJTIの関係は

 ILO(国際労働機関、International Labour Organization)は、国連の専門機関として世界の労働者の労働条件や生活水準の改善を目指して設立された。21世紀に入ってからのILOの活動は低賃金労働や児童労働が問題化する中、途上国などで支援や監視に注力してきたが、ご多分に漏れず資金難であり様々な組織から支援を受けている。

 こうしたパートナー組織の中には、アパレルメーカーのアバクロンビー&フィッチやリーバイス、GAP、パタゴニア、ナイキ、アシックス、家具雑貨のIKEA、食品のネスレ、化粧品のロレアルなどの私企業が入っている(※1)。異色なのは、このパートナー企業に日本たばこ産業インターナショナル(以下、JTI)の名前があることだ。

 日本も加盟するFCTC(たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約、WHOたばこ規制枠組条約)というタバコ規制の国際的な取り決めによれば、タバコ産業による影響や干渉からタバコ規制を含む公衆衛生政策を保護しなければならないと定められている。この規定は、これまでタバコ産業がタバコ規制政策の多くの領域に影響を及ぼしてきたというWHOや各国公衆衛生当局の事実認識から作られた。

 ILOは2018年3月にJTIとの関係を断ち切るかどうか採択しなかったが、この判断について議論が起きている。アフリカなどの途上国の一部からILOにはタバコ産業の資金が必要だという意見も出ているが、Corporate Accountability(企業の説明責任)という国際的な非営利団体はILO本部へ「タバコ産業と手を切るべきだ」という手紙(※2)を発表している。この非営利団体は、FCTC策定にも関与したタバコ規制を進める組織だ。

 200以上の団体や個人が署名したこの手紙では、マラウイやバングラデシュなどのタバコ農場で働いているタバコ労働者やその家族は、グローバル化したタバコ産業と仲買組織による買い取り価格の固定化で劣悪な契約を継続せざるを得ない状況に置かれていると指摘し、タバコ産業はILOを隠れ蓑にしてブラックな企業活動を隠匿していると批難している。タバコ産業はこうした非対称の契約継続によって、各国農業のタバコ栽培からの転換を阻止し、貧困層や子どもを低コスト戦争に巻き込み続けているというわけだ。

 JTIのほうはソーシャル・プログラム・ディレクターの名前で、協力農業従事者の労働環境改善は同社にとって優先項目の一つとしつつ、2011年には3万人以上の児童労働者を雇用しているという大きな肯定的影響が、FCTC推進派などの反タバコ勢力から危険にさらされることは残念と述べている。途上国などの児童労働の解決をタバコ対策という政治的な目的に優先させ、タバコ産業だからといって目の敵にするのは非生産的というわけだ。

ユニセフから国連へ

 いずれにせよ、タバコ産業はその影響力を高めようと、いろいろな分野の組織や団体に対して介入している。それは労働問題の国際機関だけではない。先日、米国の小児科学会(American Academy of Pediatrics、AAP)の学会誌に出た論文(※4)によれば、国連の子どもや母親に対する人道的支援組織であるユニセフにまでタバコ産業の手が伸びていたようだ。

 ユニセフはWHO(世界保健機関)と一緒になり、1989年に子どもや青少年をタバコの害から健康面だけでなく政治的にも経済的にも保護するための国際的な子どもの権利条約(Convention on the Rights of the Child)を策定した。子どもの権利条約の発効は1990年だったが、その後、ユニセフはFCTC策定の一環としてWHOとの関係を強め、タバコ税の引き上げ、タバコ広告規制、子どもへの禁煙教育などの活動を呼びかけていく。

 この論文では、タバコ産業の一部がイメージを良くするための戦略として、2005年に発効したFCTCの規制内容についてユニセフの影響を弱めようとしたという。2003年にユニセフはタバコ産業からの資金提供のガイドラインを緩めたが、これをみると明らかにユニセフはタバコ産業からコントロールされていて、ユニセフのタバコ対策や教育部門は海千山千で権謀術数に長けたタバコ産業からの介入に対して脆弱だったことがわかるそうだ。

 タバコ産業としては、国際的なタバコ規制条約であるFCTCの策定をどうしても妨害したかった。また、タバコ産業内部の資料により、内容をより緩やかでタバコ産業にとって有利なものにするため、様々な活動を展開したことがわかっている。だが、FCTCはタバコ産業の策謀の甲斐なく発効してしまう。

 FCTC発効後もタバコ産業は国連への影響力行使や介入活動を続けた。研究者は、ユニセフへの働きかけもその一部であり、タバコ産業はユニセフを国連に入り込むための入り口にもしたのだという。

 ユニセフ内部へ浸透したタバコ産業の影響はその後、効果を上げ始めた。2003年にはユニセフによるフィリピンでの児童労働問題キャンペーンを展開させ、2010年にフィリップ・モリス・インターナショナル(以下、PMI)による資金提供がカザフスタンのユニセフ支部へ流入し、ユニセフが2015年に発表した子どもの権利に関する報告書にタバコの害についての言及はなくなってしまう。

 タバコ産業は2000年、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ(BAT)が音頭をとってPMIやJTIなどを誘って資金を集め、タバコ栽培における児童労働撤廃財団(Eliminating Child Labour in Tobacco Growing Foundation、ECLT)を設立した。スイスのジュネーブに本部を置くECLTは、ユニセフなどの国連の補助機関とも関係し、前述したILOなどともつながりを強めていく。

 ユニセフは2001年にタバコ産業や関連組織との関係を拒否するガイドラインを採択しているが、前述したようにタバコ産業の介入による2003年のガイドライン見直しで骨抜きにされた。研究者は当初のガイドラインに立ち戻り、ユニセフが子どものためにタバコ会社からの影響を受けない組織になるべきだという。

 途上国の貧困層や子どもを対象にしたタバコ労働問題は複雑だ。タバコ栽培しかできないように囲い込み、契約内容も限定的にして彼らの立場を固定化しているという批判があると同時に、途上国の現実をみれば労働環境を漸進的に改善していくべきだというタバコ産業側の主張にも一定の説得力がある。ILOがタバコ産業からの資金提供に対し、態度を保留したのも同じ構造だろう。

 タバコ産業は「ビッグ4」といわれるように、どの企業もすでに寡占化が進み、グローバル化している巨大資本ばかりだ。タバコの仲買業者も合従連衡が進み、実質的に世界に2社しかない。タバコ産業が途上国のタバコ農業に依存している以上、労働問題による批難を回避しようと必死だ。

 電子タバコに使われるニコチン供給も、コスト面から人工合成よりタバコ葉から抽出せざるを得ない。タバコはすでに国際的な南北問題を含み、児童労働を避けては通れない。タバコ産業の介入を許しているユニセフの責務は重いといえる。

※1:ILO public-private partnerships: Who has partnered with th ILO?(2018/05/06アクセス)

※2:Corporate accountability:"Dear government members of the ILO governing Body"(2018/05/06アクセス)

※3:JTI:"JTI Reiterates Commitment to Pursue Flagship Child Labor Elimination Program ARISE"(2018/05/06アクセス)

※4:Yvette van der Eijk, et al., "The Tobacco Industry and Children’s Rights." AAP News & Journals Gateway, Vol.141, Issue5, 2018

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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