自らの「タバコ臭」に気付かない人々

『京橋屋カレー』の断り書き:写真:撮影筆者

 いま改めて受動喫煙が話題になっている。国が初めて受動喫煙防止法案を国会に上げようとしていることもあるし、喫煙率が下がったせいでタバコの煙に対して嫌悪感を抱いている人が増えていることもあるだろう。だが、喫煙者は自分がどんなに凶悪な毒物や嫌な臭いを周囲に発散しているか意外にわかっていない。

45分ルールとは

 石川県にある北陸先端科学技術大学院大学は敷地内全面禁煙だ。しかも、タバコを吸う人は喫煙後45分経たないと敷地内へ入れず、最寄り駅から運行されているシャトルバスにも乗れないという独自ルール(以下、45分ルール)を作っている。このルールについて、同大の人事労務課に話を聞いた。

──45分ルールを作ったきっかけは。

担当者「2017年3月に禁煙関係の学会の代表者に講演していただいた際、喫煙者の呼気から45分間は有害物質が出続けているといわれたことがきっかけでした。科学的データをもとにしたお話でしたので、2017年8月17日の『キャンパス内の禁煙の実施について』というお知らせのとおり、2017年10月1日より学生や教職員、出入りのお客さまなどに対して実行してもらっています」

──45分ルールの周知の方法は。

担当者「ポスターを学内掲示板や各事務室の出入り口に目立つように貼ってあります。内容は、禁煙マークと45分間は呼気から有害物質が出ていることなどが記載されています」

──本当に最後にタバコを吸ってから45分経ったかわからないのでは。

担当者「これはあくまで啓発目的のルールですから、検出装置などで呼気などから有害物質を調べたりはしません。喫煙者の良識にまかせる、という内容のルールで、受動喫煙に対する意識や喫煙者の行動変容につながっていけばいいと考えています」

──国の法案では大学では喫煙所を設置すれば喫煙可となっているが。また、学生や教職員からの反応は。

担当者「国の対応を待っていては前に進めませんので、本学では先行して敷地内全面禁煙を決めました。国の法律が今後どうなっても、今のところ後退する予定はありません。また、45分ルールについてこれまで拒否反応や批判などは出ていません」

 北陸先端科学技術大学院大学の試みは、45分ルールというわかりやすい目安を設け、タバコ煙による有害物質が長時間、呼気から出続けていることを喫煙者に意識させようとしている。だが、喫煙者が有害物質を発するのは、副流煙や呼気からだけではない。

受動喫煙を明らかにしたのは日本人

 他人が吸ったタバコやタバコ臭が、タバコを吸わない人に対して健康被害を及ぼすことが初めてわかったのは日本人研究者の調査による。1981年、国立がんセンター(現・国立がん研究センター)の疫学部長だった平山雄は、妻がタバコを吸わない40歳以上の夫婦91540組を16年間(1966~1981)追跡調査した結果をまとめた論文(※1)を英国の医学雑誌『BMJ』に発表した。この論文で平山は、夫がヘビースモーカーなほど妻が肺がんになるリスクが高くなることを示す。

 その後、受動喫煙については多くの疫学研究がなされ、現在では米国のフィリップ・モリス・インターナショナルなどのタバコ会社も受動喫煙と病気の関係を認めている。国立がん研究センターは2016年8月に「受動喫煙による日本人の肺がんリスク約1.3倍」というリリースを出したが、その直後にJT(日本たばこ産業)は社長名で反論。国立がん研究センターは再度、明確なエビデンスをもとにした再反論をJTへ出すがJTは沈黙したままだ(※2)。JTは受動喫煙の健康への害を公式に認めていない。

 日本も加盟する「たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約」の第8条は「たばこ煙にさらされることからの保護」を取り決めているが、「100%の無煙環境を作り出すため、特定の空間または環境から喫煙とたばこ煙を完全に排除しなければならない。たばこ煙にさらされることについては安全なレベルというものはなく、二次喫煙の煙の毒性についての閾値などの概念は、科学的証拠と矛盾するため受け入れられない」とする。つまり、タバコ煙にはどんなに少量でも危険性がある、ということだ。

 ところで、望まないタバコやタバコ臭にさらされることを、受動喫煙(Second Hand Smoke、SHS)や環境タバコ煙(environmental tobacco smoke、ETS)ともいい、タバコ煙が室内に残っていたり衣服についたまま被害を及ぼすことを三次喫煙(Third hand smoke、残留受動喫煙)という。2009年、米国のハーバード公衆衛生大学院(Harvard School of Public Health、HSPH)とダナ・ファーバー癌研究所(Dana-Farber Cancer Institute、DFCI)などの共同研究(※3)で喫煙者の住居の屋内ニコチン濃度が測定されて、初めて残留タバコ煙の有害物質の存在と三次喫煙による健康被害の可能性がわかった。

残留受動喫煙の健康への害

 最近になり、近くで喫煙者の副流煙や呼気にさらされていなくても残留したタバコ煙の有害物質が、タバコを吸わない人の健康に害を与えることがわかってきた。

 米国のローレンス・バークレー国立研究所(Lawrence Berkeley National Laboratory)などの研究者が、残留タバコ煙の遺伝毒性について初めて調べた実験(※4)では、長時間ゆっくりとタバコ煙にさらされるほうが有害物質の濃度が高くなった。この実験をした研究者によれば、タバコ煙から発生するニトロソアミンは強力な発がん物質であり、酸化ストレスなども加わり、DNAの損傷を引き起こすリスクが高いという。

 また、マウスを使って残留タバコ煙の生体への影響を実験した研究(※5)によれば、タバコ特異性のある発がん物質のバイオマーカー反応を示し、多臓器に炎症反応などの変化を引き起こすことがわかっている。つまり、DNAレベルや細胞レベルの生理的な研究で、環境タバコ煙や三次喫煙の悪影響がわかったということだ。

 サンディエゴ州立大学の研究者らによる調査では、家屋での残留タバコ煙の有害物質は45分どころか半年間以上は残るとされており(※6)、同じ研究者らが米国のカジノを調べた研究(※7)では高濃度の有害物質を検知している。日本のパチンコ店などでも、壁や天井などにこうした有害残留物質がこびりついていそうだ。

タバコ臭のない人しか食べられないカレー店

 ところで、タバコ煙はアレルギー性気道疾患の危険因子であり、アレルゲンの1つということもわかっている(※7)。タバコ煙が原因だから、加熱式タバコからの副流煙も例外ではない。

 また、こうしたタバコ煙や残留タバコ煙などで体調を崩す人も少なくない。アレルギー反応か化学物質過敏症(受動喫煙で引き起こされる病気の一種とされる)かどうかわからず、タバコ煙による影響に苦悩している人もいる。東京・有楽町の近く京橋にある『京橋屋カレー』の店主、飯島未知了(50歳)さんもその一人だ。

画像

『京橋屋カレー』の入り口前の路上。首都高と雑居ビル群の間の歩道だが、以前はここに灰皿が置かれていた。飯島さんは行政などに言っても埒があかず、自分で撤去したという。写真:撮影筆者

 タバコ臭のしない人しか食べられないカレー店はおそらく日本でここだけだ。『京橋屋カレー』は店内禁煙なのはもちろん、タバコ臭のする人は入れない。飯島さんに飲食業と受動喫煙の関係、タバコ煙からの健康被害などについて聞いた。

──カレー店にした理由は。

飯島「多種多様なスパイス一つひとつの挽き方や火の入れ方、加える順序によって全く違ったカレーが楽しめます。カレーについては自分なりの強いこだわりもありますが、オフィス街も近いこともあり、昼休みの短い時間、お客さま一人だけでものんびりと好きなカレーを集中して食べていただける空間を提供したいと考えています」

──開店当時から禁煙店だったのか。

飯島「はい、2006年5月23日、私が38歳の時に開店したときから禁煙でした。自分が外食したときに、隣にタバコの臭いをさせた人が座るだけで料理を楽しめなくなることもあり、自分の店は絶対に禁煙にしよう、タバコ臭のするお客さまはお断りしようと思っていました。店を管理しているのは店主なので、お客さまに嫌な想いをさせたくないと考えています」

──なぜタバコ臭のある人も断っているのか

飯島「最初は、タバコ臭によってカレーの風味や香り、味わいが台無しになってしまうという理由もありました。タバコ臭で嫌な想いをされているお客さまがいてもご自分では何も言えないでしょう。最近では自分自身、タバコ臭で体調を崩すことも多く、この3月は10日以上も店を休んでいます。喫煙者やタバコ臭のあるお客さま自体が嫌いなのではなく、タバコとタバコ煙から出てくる臭いや物質によって気分が悪くなったり体調を崩すようになっています。タバコ臭だけで断るのはやり過ぎという言葉もいただきますが、とにかく体調が悪くなってしまうので申し訳ありませんが、お断りさせていただいているんです」

──タバコ臭のする人の入店を断ってきたということだが効果はあるのか。

飯島「店内で吸わなければいいだろう、というお客さまが1日に1人は必ず入ってこられます。喫煙者ご自身はご自身の臭いがわからないでしょうし、受動喫煙でタバコ臭をつけられてしまい、タバコを吸わないのにタバコ臭を身にまとった方もいらっしゃいます。私自身、体調のこともあってタバコ臭に敏感になり、店の入り口から入ってこられただけですぐにわかります。そうした方々は、店側の判断でお断りさせていただいています。家内が接客をしているんですが、初めてのお客さまには入り口の前で張り紙を読んでいただき、納得していただいて入店していただきます」

──タバコ臭のない客だけで経営は成り立っているのか

飯島「おかげさまで常連のお客さまも増え、遠方から来てくださるようなお客さまも少なくありません。うちのカレーでなければ、とおっしゃってくださるお客さまも多くいらっしゃいます。タバコ臭の問題さえなければ、集中して毎日、美味しいカレーを楽しんでいただくことができるんです」

 店に入る前に一人ひとりタバコ臭がないことを確認したり、紛れ込む喫煙者への対応に手間と時間を取られたり、断られた客に罵声を浴びせかけられたりと、飯島さんは体調以外も神経をすり減らしているという。開店以来12年以上経つが、そうした客が減る傾向にはないようだ。

 筆者もカレー好きだが、こちらのカレーは無添加なため雑味のない清冽な辛さが特徴だ。カレー自体をタバコ臭に邪魔されず、堪能できる都内、いや日本でも唯一の店ということになる。店の前にははっきりとタバコ臭のする人は断る旨が書かれているのだから、自分に身に覚えがある人はここのカレーを食べることを諦めるべきだ。

画像

『京橋屋カレー』の入り口。わかりやすく、はっきりと喫煙者とタバコ臭のする人の入店を断っている。写真:撮影筆者

 タバコ煙から化学物質が出ているのは明らかだ。タバコ煙について、アレルギー反応以外の害もわかってきつつある。飯島さんは、化学物質過敏症かどうか診断してもらうため、近いうちに専門の医療機関を受診する予定だ。

 そもそも日本には、受動喫煙に関係した病気を診断したり、化学物質過敏症を治療してくれる医療機関自体が少ない。また、JTは1998年に鳥居薬品という製薬会社を買収しているが、2003年に鳥居薬品はそれまでの製品ラインナップにあったタバコアレルギーの皮下試験薬の製造販売を中止している。それまでこの試験薬に頼ってきたため、今ではタバコアレルギーかどうかの診断がつきにくくなっているようだ。

※1:Takeshi Hirayama, "Non-smoking wives of heavy smokers have a higher risk of lung cancer: a study from Japan." British Medical Journal, Vol.282, 1981

※2:「子どもへの受動喫煙は『児童虐待』と同じか~『都民ファ』条例を考える」Yahoo!ニュース個人:2017/08/23

※3:TA Kraev, et al., "Indoor concentrations of nicotine in low-income, multi-unit housing: associations with smoking behaviours and housing characteristics." Tobacco Control, Vol.18(6), 438-444, 2009

※4:Lara A. Gundel, et al., "Thirdhand smoke causes DNA damage in human cells." mutagenesis, Vol.28, Issue4, 381-391, 2013

※5:Manuela Martins-Green, et al., "Cigarette Smoke Toxins Deposited on Surfaces: Implications for Human Health." PLOS ONE, Vol.9, Issue1, 2014

※6:Georg E Matt, et al., "When smokers quit: exposure to nicotine and carcinogens persists from thirdhand smoke pollution." Tobocco Control, Vol.26, 548-556, 2017

※7:Georg E Matt, et al., "A Casino goes smoke free: a longitudinal study of secondhand and thirdhand smoke pollution and exposure." Tobacco Control, dx.doi.org/10.1136/tobaccocontrol-2017-054052, 2018

※8:David Diaz-Sanchez, et al., "Challenge with environmental tobacco smoke exacerbates allergic airway disease in human beings." The Journal of Allergy and Clinical Immunology, Vol.118, Issue2, 441-446, 2006