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「納豆」が震災後に姿を消した意外な理由とは

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(写真:アフロ)

 納豆が好きな人は多い。2011年の東日本大震災の直後しばらく、納豆が市場から姿を消したことを覚えている人も多いだろう。関東地方の流通は、震災後2週間ほどでほぼ元に戻っているが、なぜ納豆だけが少なくなっていたのだろうか。その理由を知るため、茨城県のメーカーを訪ねた。

ナットウキナーゼという酵素とは

 発酵食品である納豆は、枯草菌の仲間の納豆菌(bacillus subtilis natto)によって作られる。すでに納豆菌のゲノム情報が調べられ(※1)、枯草菌の仲間の中でどのようなタイプの菌なのかも詳しく研究されるようになった。

 納豆といえば例のネバネバだが、納豆菌以外にもネバネバ物質を作り出す枯草菌の仲間がいて、ネバネバは納豆菌だけの特質ではない(※2)。逆に言えば、我々が食べることのできるのは、納豆菌が作り出すネバネバを持った納豆ということになる。

 また、納豆から発見された酵素ナットウキナーゼ(nattokinase、※3)は、血液を流れやすくし、血管にプラークができるなどして起きる血栓を予防するなどの効果があると考えられている(※4)。また、抗酸化作用や血圧上昇を抑える作用を示唆した研究もある(※5)。

 納豆を作るためには、まず大豆と納豆菌が必要だ。以下に、業界で広く用いられている一般的な納豆の作り方を紹介する(※2)。

 大豆を水洗いした後、20℃の水に16時間前後浸す。水を含んだ大豆を131〜133℃で30分間蒸し、それに納豆菌を振りかけて全体にいきわたるように混ぜる。容器に入れて納豆菌が呼吸できるように布巾など小さな孔のある蓋をして発酵させる。ふつう発酵は39℃に保温して18〜24時間かかる。発酵後、室温(20℃)下で2時間置き、冷蔵庫などへ入れて5℃で1日ほど熟成させる。

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納豆のパックの中。納豆菌が呼吸できるよう、小さな穴の空いたフィルムが被せられている。50グラムのパックには約500億匹の納豆菌が存在しているらしい。写真:撮影筆者

 このように大豆から納豆ができるまでには煩雑な手間と長い時間がかかる。また、蒸したり保温したり冷温状態で熟成させたりする工程があり、かなり電気などのエネルギーを必要とする食品だ。

震災後に納豆が消えた理由とは

 筆者は納豆好きだが、2011年の震災後、納豆が市場から姿を消した際、停電の影響なのではないかと考えた。その後、謎を抱えたまま納豆を食べる日々を過ごしていたが、どうしても理由を知りたくなり茨城県北部に本社がある大手納豆メーカーを取材することにした。

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2011年3月16日の納豆の需給状況をみると消費者需要は305%に比べて供給は80%しかない。約1ヶ月半後の4月25日には供給は110%と需給バランスがとれ始めている。消費者庁の資料:2011年4月28日「消費者の購買動向について」より

 日本中に製造拠点がある大手企業なので納豆好きなら誰もが知っているブランドだろう。だが、震災関連のテーマということで被災者の心情などを考慮し、社名は出さない条件で取材を受けてくれることになった。

──茨城県北部の2011年の震災の影響はどうだったか。

担当者「工場の被害は少なかったのですが、3月11〜13日の夜まで停電が続き、工場が停止状態になりました。その間、保温や冷温ができなかったため、残念ながら商品を廃棄せざるを得なくなったんです」

──震災後にしばらく納豆が市場から姿を消していたが、その原因はやはり停電だったのか。

担当者「これは当社の茨城県内にある工場だけの事情ですが、茨城県では計画停電の区域外で震災直後の3日間以外、電力関係が原因で生産に影響がでたということはありません。もちろん、地震による被害からの復旧も必要でしたが、納豆をお客さまにお届けできなかった最も大きな原因は、商品を包装するプラスチック製のフィルム不足です」

──なぜフィルムが不足したのか。

担当者「フィルムの在庫を持っているお取引先さまも震災被害にあっていて、なかなか供給していただけなかったことがあります。フィルムを製造する工場が計画停電の区域だったこともあり、またフィルムなどの原料のナフサが震災の影響で入ってこなくなったことも大きかったのです」

──業界全体で同じような事情だったのか。

担当者「他社さまのご事情は詳しく存じ上げませんが、納豆業界は大手数社による寡占化が進んでおり、大手からの供給が途絶えると市場に大きな影響を与えてしまう構造になっています。今後は危機管理を徹底し、お客さまに商品が届けられなくなることを極力なくしていこうと考えています」

──震災後の対応はどのようになっているか。

担当者「自家発電のバックアップシステムを作って停電に備えています。また、製造拠点はもちろん、包装フィルムなどの供給もリスクを分散化して影響が出にくいようにしています」

 納豆作りは一種の装置産業だ。すでにラインの機械化と省力化が進み、POSデータの活用などで生産管理も厳密に行われている。商品需給の見極めという点で、商品になるまでに時間のかかる納豆の生産管理は難しい。

 震災の影響は様々なところに出た。納豆という身近な食材が市場から姿を消した理由は、少なくとも取材した大手メーカーの場合、電力不足ではなく包装フィルムの供給問題だったという。予期できないところに影響が出るのが天災なのかもしれない。

※1:Yukari Nishito, et al., "Whole genome assembly of a natto production strain Bacillus subtilis natto from very short read data." BMC Genomics, Vol.11: 243, 2010

※2:Yuji Kubo, et al., "Phylogenetic Analysis of Bacillus subtilis Strains Applicable to Natto (Fermented Soybean) Production." Applied and Environmental Microbiology, Vol.77, No.18, 6463-6469, 2011

※3:H Sumi, et al., "A novel fibrinolytic enzyme (nattokinase) in the vegetable cheese Natto; a typical and popular soybean food in the Japanese diet." Cellular and Molecular Life Science, Vol.43, Issue10, 1110-1111, 1987

※4:Y Suzuki, et al., "Dietary supplementation of fermented soybean, natto, suppresses intimal thickening and modulates the lysis of mural thrombi after endothelial injury in rat femoral artery." Life Science, Vol.73, Issue10, 1289-1298, 2003

※5:Bao-Hong Lee, et al., "Antioxidation, angiotensin converting enzyme inhibition activity, nattokinase, and antihypertension of Bacillus subtilis (natto)-fermented pigeon pea." Journal of Food and Drug Analysis, Vol.23, Issue4, 750-757, 2015

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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