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なぜ「くしゃみ」を無理に止めてはいけないのか

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(ペイレスイメージズ/アフロ)

 英国の人類学者、エドワード・バーネット・タイラー(Sir Edward Burnett Tylor、1832〜1917)は「文化人類学の父」として有名で、アニミズム(自然崇拝)や民俗的な迷信などを研究した。彼はその著書『原始文化(Primitive Culture、※1)』の中で、アフリカ南部で布教活動をしていた19世紀の宣教師ヘンリー・キャラウェイ(Henry Callaway)が採集したズールー族(アフリカの部族)の伝承文化などを紹介している。

くしゃみに対する様々な態度

 我々は「くしゃみ」をするが、ズールーの人々はくしゃみを神のお告げととらえ、自然神と交歓する生理現象と考えていたらしい。たとえば、子どもがくしゃみをするとズールーの人たちは「よく育つ」などとほめ、同じアフリカのモノモタパ王国の王様がくしゃみをすると、それが賛美されて町から町へ伝えられることになっていた。

 ただ、くしゃみに対する考え方は、同じアフリカでも地域や部族によって異なる。ギニアでは誰かがくしゃみをすると、その途端みんなで地に触れ伏し、くしゃみをした人に幸運が訪れることを祈った。また、ナイジェリアのカラバルでは、子どもがくしゃみをすると「あっちへいけ(far from you)」と遠ざける仕草をしながら叫んだりする。

 一方、アフリカから海を隔てたアメリカ大陸では、中世のヨーロッパと似たような感覚でくしゃみをとらえていたらしい。タイラーの著書に紹介されている事例では、スペインの侵略者エルナンド・デ・ソトが二度目に新大陸を訪れた際、フロリダの部族長が随行者を引き連れてやってきたときのことを紹介している。

 部族長がくしゃみをすると、随行者らは尊敬の念を示しながら口々に祝福の言葉を唱えたという。西洋ではくしゃみをすると「God Bless You(神のご加護がありますように)」などというが、ソトはフロリダの部族の言動をみてそれが自分たち西洋の習慣と共通と考えた。

 前述したように、くしゃみに対する考え方は文化によって様々だ。日本ではくしゃみのことを古語で「くさめ」というが、その語源は諸説あるものの「糞(くそ)」からきているという説もある。沖縄ではくしゃみをすると「クスクェー」と唱え、これは悪霊が忌み嫌う言葉だからだそうで「糞食らえ」からきている。

 西洋の「God Bless You」にしても、くしゃみが風邪やペストなどの前兆として相手の身体や健康を気遣う言葉と考えれば、くしゃみをけっしてポジティブにとらえているわけではない(※2)。くしゃみをすると誰かに噂を立てられている証拠だ、という俗説も同じ意味がありそうだ。

くしゃみと咳の違い

 くしゃみは不随意的な反射によって起き、自分で止めることはほとんどできない。車の運転中、くしゃみをして事故を起こすこともよくある。

 くしゃみは身体の防御反応からきていると考えられ、鼻の粘膜や胃への反応や明るい光が目に入るなどの刺激によって引き起こされる。くしゃみのメカニズムについては、痒みや神経疾患などとの関連が研究されているが、まだあまり明らかにされていない。

 くしゃみをした際の上気道(鼻から鼻腔、鼻咽腔、咽頭、喉頭)の圧力を測定した研究(※3)によれば、通常のくしゃみで0.1秒間に約135ミリHgという圧力がかかる。これは1平方センチあたり約1.8ニュートン(水銀の比重13.6として計算)となり、上気道1平方センチあたり約200グラム以上の圧力がかかることになるようだ。

 くしゃみと咳とでは、体外へ出される呼気の様子が異なることもわかっている。日本の国立病院機構・仙台医療センターなどの研究者のデジタルハイビジョンカメラでくしゃみと咳のエアロゾルの拡散をしらべた研究(※4)によると、くしゃみは咳よりエアロゾルを約3倍の速度で約3倍遠くまで拡散させるようだ。また、この測定では、くしゃみの初速が1秒間に6メートル以上(時速21.6キロメートル以上)とされている。

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ボランティアの男性にくしゃみ(上2段)と咳(下2段)をしてもらったハイビジョン撮影。くしゃみは0.2秒で約80センチ遠くまでエアロゾルが飛ぶ。咳の到達距離はくしゃみの半分ほどだ。一方、咳は長く滞留する。Via:Hidekazu Nishimura, et al., "A New Methodology for Studying Dynamics of Aerosol Particles in Sneeze and Cough Using a Digital High-Vision, High-Speed Video System and Vector Analyses." PLOS ONE, 2013

 ときどき「えっくしょぃ! とくらぁこの野郎」などといいながら、くしゃみを勢いよくしている人をみかけることがある。前述したように、速度も速く広がりやすいくしゃみをおおっぴらにするのは、病原菌の拡散を避けるためにもやめていただきたい。

無理にくしゃみを押さえ込むと

 だが、周囲を気にするあまり、くしゃみを無理矢理に押さえ込むと気道などを傷つけてしまう恐れもある。

 英国の医学雑誌『BMJ』の「Case Reports」に報告された事例(※5)によれば、34歳の男性が鼻と口を閉じて強制的にくしゃみをしないようにしたことで喉と首に痛みを感じ、ものを飲み込む際に喉に強い痛みを感じるようになって声も出なくなったという。医師が診察したところ、気道から気泡がはじけるようなパチパチ音が聞こえたため、CTスキャンで画像診断してみると外因性の突発性食道破裂(Boerhaave症候群)が起きていたということだ。

 つまり、くしゃみを押さえ込んだことで、出口がなくなった呼気が気道に裂け目を入れたということになる。この報告をした医師は、肺の中から出てくる空気を出さないことで、こうしたことが起きるが、そのほかに鼓膜に穴が開いたり、脳動脈に動脈瘤がある場合、それが破裂するなどの事態を引き起こす危険がある、と警告している。

 実際、コンピュータシミュレーションでくしゃみをした際の上気道の圧力を測定した研究(※5)によれば、鼻をつまんだり口を閉じたりしてくしゃみを押さえ込もうとすると5倍から24倍も強い圧力がかかることがわかっている。一方、報告された男性は入院して治療を受け、無事に退院したということだ。

※1:Edward Burnett Tylor, "Primitive Culture: Researches Into the Development of Mythology, Philosophy, Religion, Art, and Custom." Murray, 1871

※2:Murat Songu, Cemal Cingi, "Sneeze reflex: facts and fiction." Therapeutic Advances in Respiratory Disease, Vol.3(131), 2009

※3:W Burke, "Why do we sneeze?" Medical Hypotheses, Vol.78, Issue4, 502-504, 2012、ミリHgは水銀柱ミリメートルと読み、血圧などを測る単位。1ミリHgは大気圧の1/760で約133.322パスカル(Pa)。

※4:Hidekazu Nishimura, et al., "A New Methodology for Studying Dynamics of Aerosol Particles in Sneeze and Cough Using a Digital High-Vision, High-Speed Video System and Vector Analyses." PLOS ONE, doi.org/10.1371/journal.pone.0080244, 2013

※5:Mohammad Rahiminejad, et al., "Computer simulations of pressure and velocity fields in a human upper airway during sneezing." Computers in Biology and Medicine, Vol.71, 115-127, 2016

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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