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空腹時の「飢餓感」をダイエットに利用する

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(写真:アフロ)

 最近、人類の祖先がアフリカから出たのは段階的であり、最初は約12万年前に小規模な「出アフリカ」があった、とする論文が米国の科学雑誌『Science』に掲載された(※1)。アフリカ起源説によれば、ホモ・サピエンスが出現したのは約31万5000年前とされている(※2)が、これらについて論争はまだ継続中だ。

飢餓が常態だったころ

 いずれにせよ我々の祖先は、何万年もの間ずっと飢餓状態でいただろう。ヒトに限らず、飢餓に耐えるための遺伝子や身体の機構はほぼ全ての生物が備えている。こうした機能を持つ遺伝子群を、米国の遺伝学者、ジェームズ・ニール(James Neel)は「倹約遺伝子(Thrifty gene hypothesis)」と呼んだ(※3)。

 人類の祖先がアフリカ起源とすれば、十数万年前のアフリカの環境が遺伝子や身体の機構に大きな影響を与えた可能性は高い。乾燥して植物や獲物が少なかったから、飢餓や水分不足に強く、栄養や塩分を効率よく取り込むなどの機能を備えたのではないか、と考える研究者も少なくない。

 だが、我々の食生活はせいぜいこの50年ほどの間で激変した。いわゆる「飽食の時代」の到来である。人類の10万年の歴史を1年のカレンダーに見立てるとすれば、この期間はほんの数分に過ぎない。

 日本人の例で言っても「沖縄クライシス」と呼ばれるような大きな変化が起きている。沖縄は2000年代まで長寿県として君臨してきたが、2000年代に入る頃から平均寿命が急落し、都道府県で中位ほどになってしまった。

 これは高脂肪・高カロリーの米国流の食生活へ移行したことにより、それまで沖縄で一般的に食べられてきた繊維質の多い低脂肪・低カロリーの食生活から飽食環境へ一気に移行したことが影響しているようだ(※4)。

 ところで、よく空腹になると、イライラしたり落ち着きがなくなる人がいる。本人は否定するが、食事の前にはほぼ必ず同じような態度を取る。確かに飢餓状態はストレスなのだから、機嫌が悪くなることもわかる。

 だが、こうした反応は摂食障害などでみられるように複雑だ。「ものを食べる」という生命に基本的な行動でさえ、脳内でどんなメカニズムが働いているか、まだはっきりとつかみ切れていない。

 1994年に発見されたシグナル伝達ホルモンのレプチン(leptin)は摂食行動に深く関与しているが、視床下部など、脳のどの部分が刺激を受けてどんな反応を示すのか、最近になって次第にわかってきた、という段階にある。また、レプチンだけではなく、消化器官などから脳へ情報伝達するグレリン(ghrelin)など、他の臓器や物質との関係も摂食行動に関係しているらしい(※5)。

空腹に慣れてしまうメカニズム

 空腹を感じてしばらくすると、その状態に慣れてしまい、空腹をそれほど感じなくなることもよくある。最新の研究によれば、脳内の背側縫線核(DRN)という部位にあるニューロン群がこの反応に関与しているらしい(※6)。だが、このあたりの研究もまだ確定しているわけではない。

 また、空腹を感じたとき、ある食べ物を見たり食べ物の臭いを嗅いだだけで、食欲が充足してしまうこともある。自分で料理している過程で満たされてしまい、いざ料理が完成したときにはそれほどそれを食べたくなくなるようなことだ。

 摂食行動は、主に3種類の信号によって制御されている。まず、視覚と嗅覚、そして味覚や咀嚼・嚥下、最後に食べ物が消化器官へ入ってから脳へ送られる信号だ。

 この中の視覚と嗅覚で満足してしまうようなメカニズムについて、米国の医学雑誌『Cell』に新たな論文が出た。米国のペンシルベニア大学の研究者は、マウスを使った実験で飢餓状態とその抑制に「AgRP」というペプチドが発現させるニューロンの増減が影響していることを突き止めた、と言う。

 このAgRPは、メラニンや毛色を決めるアグーチ(Agouti)遺伝子に関連し、前述したレプチンによって制御されていることがわかっている。また、食欲亢進をさせることが日本の研究者らによってすでに解明されている物質でもある(※7)。

 ペンシルベニア大学の研究者によれば、食べ物を見たり嗅いだりするとAgRPによる脳内のニューロン活動が急速に減少し、空腹を感じなくなるのだと言う。

 飢餓が普通である環境では、空腹を感じるのはストレスになる。AgRPによるニューロン活動の減少は、空腹によるストレスから身を守るメカニズムではないか、と研究者は言う。

 興味深いことに、実験マウスがこれまで見たことも嗅いだこともない食べ物、例えばイチゴ風味のジェル(カロリーゼロ)の場合、このメカニズムは発動しなかった。だが、マウスにイチゴ風味のジェルを食べさせて体験させると、それが一回でも消化器官から送られた信号により、脳内のAgRPによるニューロン活動の回路ができるようだ。

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マウスを使った実験。左が未知の食べ物、左が既知の食べ物。未知の食べ物を一回でも食べることで、AgRPによるニューロンの回路ができて信号が送られる。Via:Alexander R. Nectow, et al., "Identification of a Brainstem Circuit Controlling Feeding." Cell, 2017

 どうやら、このメカニズムには胃や腸など消化器官からのシグナルも関係し、起動させるためのホルモンやその組み合わせがあるらしい。

 こうした仕組みを解明することができれば、効果的なダイエットが可能になるかもしれない。夕食を食べたのにも関わらず、少し空腹を感じただけで不規則な時間にポテトチップスに手を伸ばしてしまうようなことを防ぐことができるだろうか。

※1:Christopher J. Bae, et al., "On the origin of modern humans: Asian perspectives." Science, Vol.358, Issue6368, 2017

※2:Daniel Richter, et al., "The age of the hominin fossils from Jebel Irhoud, Morocco, and the origins of the Middle Stone Age." nature, Vol.546, 293-296, 2017

※3:James V. Neel, "Diabetes Mellitus: A "Thrifty" Genotype Rendered Detrimental by "Progress"?" American Journal of Human Genetics, Vol.14(4): 353-362, 1962

※4:益崎裕章ら、「最新医学が明らかにしたメタボリックシンドロームの分子メカニズム」、日臨麻会誌、Vol.32, No.5, 665-674、2012

※5:M Kojima, et al., "Ghrelin is a growth-hormone-releasing acylated peptide from stomach." nature, Vol.402(6762): 656-660, 1999

※6:Alexander R. Nectow, et al., "Identification of a Brainstem Circuit Controlling Feeding." Cell, Vol.21, Issue10, 2724-2736, 2017

※7:Kenichiro Nakajima, et al., "Gs-coupled GPCR signalling in AgRP neurons triggers sustained increase in food intake." nature communications, 7, doi:10.1038/ncomms10268, 2016

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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