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喫煙者や肥満の患者に「手術」をしない政策とは

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(写真:アフロ)

 英国の自治体が2017年10月に「喫煙者や極端な肥満の患者に対し、それらが改善されなければ手術を受けさせない」と決定し、話題になっている。この自治体はロンドンのすぐ北に位置するハートフォードシャー(Hertfordshire)郡で、方針の決定を下したのはハートフォードシャー郡の東部および北部のCCGs(Clinical Commissioning Groups、後述、※1)だ。

タバコとメタボはダメ

 同CCGsの発表によれば、緊急の場合と手術を期間的に猶予ができない場合を除き、喫煙していたり体重が肥満に分類される患者に対し、外科的手術を容認しない、となっている。手術が可能になるためには、喫煙者は8か月以上の禁煙と一酸化炭素測定による禁煙判定、BMI値が40以上の患者は9ヶ月以内に体重を15%以上減らす、BMI値30以上の患者は同期間内に体重を10%以上減らすことが必要になる。ほかに、特定の患者や福祉面での条件がある場合を除いてグルテンフリーの食品を処方されることはできない、医療機関での短期服用の医薬品の処方を制限する、などが決められた。

 また、禁煙やダイエットのために無料の公的アドバイスやサポートがあることも明記されている。さらに、この決定に先立って1000人以上から集められたパブリックコメントでは、緊急以外の手術を受ける前に、喫煙の患者がタバコを止めなければならないについての賛成が85%、BMI値40以上の肥満患者は9ヶ月以内に体重を15%以上減らすかBMI値を40未満にしなければならないについての賛成が85%だったことなどが付記された。

 ハートフォードシャー郡は、日本で言えば東京の世田谷や東急田園都市線沿線のような土地柄で、ワーナーブラザーズのハリーポッタースタジオなどがあり、古くから貴族の領地として栄えた比較的裕福なエリアだ。人口は約117万人で約80%が英国系の白人となっている。だが、同CCGsの報告書では、保健医療サービスは極度の財政難に陥っており、医療費の削減が緊急を要することや自治体住人のセルフ・メディケーションの意識を喚起せざるを得ない状況にある、などと訴えている。

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ハートフォードシャー郡CCGsの決定を知らせる英国NHSのニュースリリース

 英国の保健医療サービスは日本と似ている部分がある。英国の保健医療サービスは1948年に創設された「NHS(National Health Service)」で、基本的に税金を財源とし、全国民に対して原則的に無料(受診時の自己負担ゼロ)の医療保障制度だ。

 だが、ご多分に漏れず、非効率性や旧態依然とした運営体制、170万人を超えると言われる膨大な数の構成員、慢性的な医師不足の一方で肥大化する官僚組織が問題視されてきた。1999年にはNHSでの医療の質の向上と効率化のため、NICE(National Institute for Health and Care Excellence)という組織ができ、臨床的な有効性や安全性、費用対効果といった総合的な評価を行ってNHSの活動に対して勧告するようになっている(※2)。

 一方、英国の保健医療サービスでは「プライマリ・ケア」が重視されるのも特徴だ。英国では、プライマリ・ケア(初診、健康に不安を持った患者、総合診療医、1次医療)とセカンダリ・ケア(入院、専門外来、2次医療)以降(大学病院、専門病院など)に大きく分けられている。プライマリ・ケアをになう医薬専門家集団は「GP(General Practitioner)」であり、GPには総合開業医、歯科、薬局などが含まれている。

 ところで、保守党のデービッド・キャメロン内閣(自由民主党との連立、2010年5月〜2016年7月)のとき、歳出削減と緊縮財政政策により公共サービスの予算が削られた(2011年)。2012年3月に可決された医療制度改革では、この政策の一環としてNHSにも手を付ける。

 それまでプライマリ・ケアの管理するために英国(イングランド)内約150カ所に設置されていた医療トラスト(Primary Care Trust、PCT)を、2013年にセカンダリ・ケアも含めたCCGsに換えたのだ。その後、211カ所に設置されたCCGsは、地域の保健医療サービスを統括し、GPに医薬業務を委託する機関になっている(※3)。今回、ハートフォードシャー郡で喫煙者や肥満の患者に緊急以外の手術を受けさせない決定をしたのも同郡のCCGsだ。

英国で手術拒否は珍しくない

 ハートフォードシャー郡の決定は、英国で珍しいものではない。実際、英国王立外科医師会(the Royal College of Surgeons、RCS)は、CCGsのGPの1/3以上が喫煙や肥満を理由にして股関節や膝の手術を延期したりキャンセルしたりしていることを報告している(※4)。英国のNHSの財政難はかなり深刻で、赤字の病院が増え、慢性的な看護師不足にも陥っている。

 一方、今回の決定については、期限を付けないこと、基準が厳しすぎるのではないか、保健医療サービスの公平性や平等原則から問題があるのではないか、といった点で英国内で批判が起き始めているのも事実だ。手術が必要かどうかの判断は正しいのだろうか。

 また、こうした政策的な圧力により、患者がタバコを止めたり生活習慣を改めるかどうかはわからない。どうしても禁煙や減量ができない人もいるだろう。さらに言えば、喫煙や生活習慣には「健康格差」や「経済格差」の問題があり、これらの根源的な原因をなくすほうが先ではないか、という議論もある。

 もちろん、日本にとっても英国の問題は対岸の火事ではない。厚生労働省は2017年9月13日に2015年度の国民医療費が約42兆3644億円だったと発表した。9年連続で過去最高を記録し、これは前年度比3.8%増だ。

 日本の医療制度は、基本的にアクセスフリーで非効率的と言われる。高齢化の問題もあるし、高額薬剤の負担も大きい。また、アトピー性皮膚炎などの治療に使われる塗り薬などを保険料を使い、あるいは自己負担ゼロで患者以外が使うため多めに処方してもらう、などといった患者側の倫理が問われる問題も無視できないだろう。

 英国ハートフォードシャー郡のように、喫煙や肥満を理由に手術を受けさせないという施策は、行政の姿勢としてもまた倫理的にも極端だ。しかし、病気になって苦しむのは患者本人であり、できる限り病気にならないように予防し、自分の健康は自分で守るセルフ・メディケーションの考え方は必要だろう。

 喫煙は予防可能な最大にして単一の疾病原因、と言われるが、喫煙者以外にも受動喫煙の害も及ぼす。悪いことは言わない。少なくともタバコは止めたほうがいいと思う。日本でもいつ手術に規制がかかるかわからない。

※1:CCGs:臨床委託グループ、Clinical Commissioning Groups。英国の保健医療サービス(NHS)の医療業務の多くを委託する。自治体の保健医療サービスの管理・統制・実施計画などを主体的に行う機関。日本で言えば、厚労省や都道府県の医薬・公衆衛生部門と各自治体の保健所が合体し、予算立案なども含めて持っているような存在。

※2:福田敬、「医薬品・医療機器の費用対効果評価の試行的導入」、保健医療科学、Vol.66、No.1、2017

※3:Rumbidzai Takundwa, et al., "The Effects of Environmental Factors on the Efficiency of Clinical Commissioning Groups in England: A Data Envelopment Analysis." Journal of Medical Systems, June, 2017

※4:Gareth Iacobucci, "Smokers and overweight patients are denied surgery, royal college finds." BMJ, Vol.353, 2016

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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