変わる「バイキング」像

バイキング時代の「火祭り」の再現(写真:ロイター/アフロ)

 北欧の航海民族「バイキング(Viking)」という名詞は、それほど古い言葉ではない。せいぜい200年前に一般的になったが、当時のヨーロッパは帝国主義とナショナリズムの時代だった。

ステレオタイプのバイキング像

 我々がイメージするバイキングは、たくましい男性戦士が甲冑を身にまとい、凶悪な武器を振りかざしてヨーロッパ各地を荒らし回ったバイオレンスな姿だ。スカンジナビアの北欧神話との関係も強化され、ドイツのナチズムの白人優位思想にも取り入れられた。このようにバイキングのイメージ作りには、明確に政治文化的な背景がある。

 だが、最近の考古学的な調査研究により、こうしたバイキング像に大きな変化が現れ始めた。例えば、海賊的掠奪集団と思われていたバイキングは、実はビジネスライクな交易集団だった、という証拠が出てきている(※1)。彼らは遠くイスラム圏とも交易し、銀や毛皮、装飾品などによって商売をした。

 その交易圏はグリーンランドからロシア内部、トルコにまで及んでいる。英国スコットランドで発見されたバイキングによって集積された10世紀の莫大な財宝群からは、東西ローマ帝国の広大な領域の文化の影響がうかがわれる(※2)。また、その集団は閉鎖的ではなく、広く他民族を受け入れる素地があったようだ。

女性戦士もいたバイキング

 また、たくましい男性戦士というバイキング像にも変更が迫られている。例えば、現在のスウェーデン南東部のビルカという町にあるバイキング戦士の墓は、長く高貴で勇敢なバイキング王のものとされてきた。だが、最近のDNA分析の結果、この人物は男性ではなく女性だったことがわかった(※3)。

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ビルカの女性戦士の墓。剣や槍、矢尻、2頭の馬と一緒に埋葬されていた。via:Charlotte Hedenstierna-Jonson, et al., "A female Viking warrior confirmed by genomics." American Journal of Physical Anthropology, 2017

 そもそもバイキングに女性戦士が多く存在したことは、古い伝承などにありふれたものだったが、いつしか前述したようなステレオタイプのバイキング像が形成され、ビルカの戦士も男性という先入観から研究対象にされてきた。ビルカの墓が女性のものではないか、という学説はすでに2014年に発表されていたが、DNA分析によって明らかにされるまで、ほとんど無視されてきたことでもわかる。

 つまり、バイキングは好戦的でマチズモな海賊集団ではなく、交易を主体として女性も参加したダイバーシティで友好的な集団だった、というわけだ。これは東アジアの倭寇のイメージが変わりつつあることに似ている。

 先入観とは厄介なもので、真実を見る目を曇らせる。バイキングの交易圏は広い。ひょっとすると、バイキングは日本にも来ていたかもしれないのだ。

※1:Chris Loveluck, Dries Tys, "Coastal societies, exchange and identity along the Channel and southern North Sea shores of Europe, AD 600-1000." Journal of Maritime Archaeology, Vol.1, Issue2, 140-169, 2006

※2:Suzie Thomas, "Discovering a Viking hoard: a day in the life of a metal detectorist." the convesation, 14, Oct, 2014

※3:Charlotte Hedenstierna-Jonson, et al., "A female Viking warrior confirmed by genomics." American Journal of Physical Anthropology, 8, Sep, 2017