Yahoo!ニュース

「脳のシワ」はどうやってできるのか

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(写真:アフロ)

 脳の大脳皮質は、我々ヒトや哺乳類など、高度で複雑な行動をする生物にとって重要な認知領域だ。この大脳皮質は、脳の機能を発揮させるために物理的に一定の面積が必要とされている。

 つまり、脳の大きさや重量よりも大脳皮質の面積が重要、というわけだ。限られた頭蓋骨の容積の中へ広い面積の大脳皮質を入れるためには、シワを作って折りたたまなければならない。

頭蓋骨の中にシワにして折りたたむ

 この大脳皮質のシワのことを「脳回(のうかい、Gyrus)」と言うが、哺乳類には大脳皮質の表面にシワがないマウスのような生物と、我々ヒトのように表面にシワのある生物がいる。またマウスと同じ齧歯類でも身体の大きなカピバラの大脳皮質にはシワがあり、同じ霊長類でも身体の小さなマーモセットにはシワがない(※1)。進化の過程で限られた頭蓋骨の中で大脳の体積が増え続け、同じ種でもシワを作ることで表面積を稼いでいる、というわけだ。

画像

大脳皮質のシワ(脳回)。Albert Kokの図を引用改編

 我々ヒトの大脳の表面には、多種多様な認知や運動を機能させる視覚野や前頭野といったそれぞれの領域があり、これを「ブロードマン(Brodmann)の脳地図」という。ブロードマンの脳地図はヒトの場合、ほぼ共通であり、脳のシワには規則性があることがわかっている(※2)。また、この脳地図と脳のシワの関係にも規則性があり、シワの具合によって脳地図が決められているようなところもあるようだ(※3)。

 このように重要な脳のシワだが、これまでどうやって作られるのか、よくわかっていなかった。前述したように、一般的な実験動物のマウスやラットの脳にはシワがないからだ。そこで脳にシワのある哺乳類、フェレットを使って研究してみたら脳にシワを作るのに関与する「Cdk5」という遺伝子を発見した、という論文が米国の学術雑誌『Cell』の電子版に出た(※4)。

フェレットを「ノックアウト」

 この研究は金沢大学の医薬保健研究域医学系の河崎洋志教授(※5)や新明洋平准教授らの研究グループによるもので、どうやって脳にシワができるのか、その端緒となる発見となる。同研究グループは、特定の遺伝子を働かなくさせる「ノックアウト・フェレット」を作成し、大脳皮質の表面近くにある神経細胞で働くCdk5遺伝子がシワの形成に大きく関与していることを突き止めた。

河崎「これまでフェレットの遺伝子機能を解析する技術がほとんどなかった。それを自分たちで一つずつ手作りして技術開発をしている」

 ペットとしても一般的なフェレットは、イタチ科の肉食哺乳類だ。実験動物としてのフェレットは、世界的にも広く飼育されている。小型で鳴き声も出さず、飼育が容易なためだろう。

 ただ、遺伝子操作して、マウスのように遺伝的に均一な品種を作るのはなかなか難しいようだ。河崎教授らは、まず興味深い遺伝子を探索する方法を考え、遺伝子技術を開発してからその遺伝子をノックアウト(破壊して機能性をなくす)技術を確立している。

河崎「今回、ノックアウトが可能になったことで、初めてCdk5の重要性が明らかにできた。全て手作りで、という点が苦労といえば苦労だが、それが研究の本来の姿かな、とも思っている」

認知症などの解明につながるか

 河崎教授によれば、このCdk5遺伝子は哺乳類だけではなく、ショウジョウバエも持っているらしい。ただ、このCdk5遺伝子がシワを作っているわけではない、と言う。

河崎「大脳皮質にシワのないマウスもCdk5遺伝子を持っているので、この遺伝子がシワの有無を決定しているわけではない。私は、研究の謎解きを推理小説にたとえて説明することが多いが、その例えを使えば、Cdk5は事件の実行犯の一人かと思うが、それを命じた黒幕がいるはずだ。今後はその黒幕を追いたいと考えている」

画像

大脳皮質のシワに関係する「Cdk5」遺伝子が正しく発現したフェレット(左)と、遺伝子ノックアウトのフェレット(右)。脳溝が深く凹まず(上)、脳回も出っ張らない(下)ことがわかる。via:Yohei Shinmyo, Yukari Terashita, Tung Anh Dinh Duong, Toshihide Horiike, Muneo Kawasumi, Kazuyoshi Hosomichi, Atsushi Tajima, Hiroshi Kawasaki, "Folding of the Cerebral Cortex Requires Cdk5 in Upper-Layer Neurons in Gyrencephalic Mammals." Cell Reports, 2017

 Cdk5遺伝子はシワを作るために重要な働きをしているが、この遺伝子をオンオフさせたり機能を制限もしくは活性化させる別の働きがあるのでは、ということだろう。また、なぜマウスの大脳皮質にはシワがなく、フェレットにはあるのか、という疑問については、マウスは進化の過程でシワを失ったのではないか、と考える研究者もいるようだ。捕食・被捕食という生態系の関係でそうなったのかどうか、興味深い。

 大脳皮質のシワは、脳の表面積を増やすためのものだが、河崎教授によれば、シワが消失する遺伝病の患者には精神発達遅延などの著しい脳機能障害がある、と言う。

河崎「アルツハイマー病などの再現がマウスを用いて試みられているが、マウスではヒトの症状を完全に再現することが難しいことが知られている。これまで開発してきた我々の技術を用いて、将来的には認知症などの疾患をフェレットで再現することを試みたい」

 大脳皮質のシワに深く関与するCdk5遺伝子だが、脳機能のほかの研究のように、完全に解明するにはまだまだ先は長いのだろう。シワの有無が身体の大きさに関係しているとすれば、その方向からもまた別の遺伝子が発見されるかもしれない。

※1:K. Zilles, N. Palomero-Gallagher, K. Amunts, "Development of cortical folding during evolution and ontogeny." Trends Neurosci, 36(5):275-284, 2013

※2:Guilheme Carvalhal Ribas, "The Cerebral sulci and gyri." Journal of Neurosurgery, Vol.28, No.2, 2010

※3:Bruce Fischl, et al., "Cortical Folding Patterns and Predicting Cytoarchitecture." Cerebral Cortex, Vol.18, Issue8, 2008

※4:Yohei Shinmyo, Yukari Terashita, Tung Anh Dinh Duong, Toshihide Horiike, Muneo Kawasumi, Kazuyoshi Hosomichi, Atsushi Tajima, Hiroshi Kawasaki, "Folding of the Cerebral Cortex Requires Cdk5 in Upper-Layer Neurons in Gyrencephalic Mammals." Cell Reports, Vol.20, Issue9, 2131-2143, 2017

※5:河崎の「崎」のつくりは「立」に「可」。

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

石田雅彦の最近の記事