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子どもへの受動喫煙は「児童虐待」と同じか〜「都民ファ」条例を考える

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者

 7月に行われた都議会議員選挙で大勝した「都民ファーストの会」が、9月に開かれる都議会に「受動喫煙に関する都条例案」を出すようだ。都民ファーストの会は「政策パンフレット2017」で受動喫煙対策の実施をうたっている。

 2020年の東京五輪を前にIOC(国際オリンピック委員会)などは「たばこのないオリンピック」を求め、政府は厚生労働省が中心になり、これまでの五輪とほぼ同レベルの受動喫煙対策強化(健康増進法の改正)をしようとした。だが、飲食業界や自民党内の「タバコ族議員」らの反発にあって頓挫。混迷する国会での議論を背景に、都議選ではタバコ対策も大きな争点になった。

自宅や自家用車の中へ都条例が

 飲食店などの屋内全面禁煙を公約(現在は少しトーンダウン)に掲げた都民ファーストの会。都政改革委員、厚生委員で弁護士でもある岡本こうき都議を中心に、未成年者や子どもの受動喫煙防止を目的にした「自宅や自家用車内、通学路を原則禁煙」とする都条例案も検討中のようだ。

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都民ファーストの会「政策パンフレット2017」より。「子どもをタバコの煙から守る」受動喫煙防止対策強化をうたっているが、同パンフレット中の「377の政策」に具体的な受動喫煙防止の方法について言及はない。同党の公式Twitter(8月18日)では「受動喫煙防止条例の成立を目指します」と厚生委員会がつぶやいている。

 上記の受動喫煙防止条例制定について、同党の主張はこうだ。

・受動喫煙の健康被害には科学的・医学的なエビデンスがある。

・環境を選ぶことができない子どもへの受動喫煙による健康被害は深刻だ。

・子どもの前でタバコを吸うことは「児童虐待」と同じ行為だ。

・家庭内や自家用車の中での喫煙に対して都が規制する必要がある。

 まだ、案の内容ははっきりと決まっていないようだ(※1)が、岡本都議の事務所によれば、党内で調整中であり、都議会での9月提出を目指している。都の規制案を取りまとめている岡本都議は、とりわけ密室状態になる自家用車内の子どもに対する受動喫煙を問題視する。将来的には、科料を含めた罰則や刑事罰などの規制強化を想定しているようだ。

受動喫煙の健康被害をどう評価するか

 こうした都民ファーストの会の動きに対し、タバコを吸う権利の侵害(幸福追求権の侵害)、プライベート空間にまで政治行政が立ち入るのは行き過ぎ、といった批判の声がある。批判する側の背景にあるのは「受動喫煙がどれだけ健康に害を及ぼすか、はっきりとわかっていないのではないか」という考え方だ。また、いわゆる「共謀罪」にからめ、一般市民を監視して行政へ通報する密告社会の到来への危惧、というのもあるだろう。

 受動喫煙の「健康被害の見積もり」には、規制強化の賛成派と反対派で大きな隔たりがある。都民ファーストの会の条例案のまず第一の根拠は「受動喫煙の健康被害には明確な証拠がある」というものだ。

 ほぼ1年前の2016年8月31日、国立がん研究センターは「受動喫煙による日本人の肺がんリスク約1.3倍」というリリースを出した(※2)。それまで、受動喫煙による肺がんリスクを「ほぼ確実」としていたが、このリリースにより「ほぼ」が取れて「確実」にグレードアップ(ダウン)した。

 このリリースが発表された当日すぐにJT(日本たばこ産業)が小泉光臣代表取締役社長名で「受動喫煙と肺がんに関わる国立がん研究センター発表に対するJTコメント」を出す。これによれば「本研究結果だけをもって、受動喫煙と肺がんの関係が確実になったと結論づけることは、困難であ」り「受動喫煙によってリスクが上昇するという結果と上昇するとは言えないという結果の両方が示されており、科学的に説得力のある形で結論付けられていない」と主張している。

 すると、この約1ヶ月後の2016年9月28日に、国立がん研究センターがJTコメントへの「見解」を発表した。ここでは「受動喫煙による肺がんリスクは、疫学研究のみならず、たばこ煙の成分の化学分析、および動物実験などの生物学的メカニズムの分析においても、科学的に明確に立証されてい」るとし、説得力がないというJTの指摘に対しては、論文選択の恣意性を排除した「メタアナリシスの国際的なガイドラインであるPRISMAに従った」適正な手法であり、JTが引き合いに出した「リスクはない」とする論文を否定、むしろ「逆の結果」と正した。

 受動喫煙が子どもを含めた非喫煙者の健康にどのような悪影響をおよぼすか、という研究は山のようにある。肯定派と否定派の代表である国立がん研究センターとJTとのやりとりを読めばわかるが、やはりJT側が不利のように思える。

 なにしろ、米国のタバコ会社フィリップモリス社は受動喫煙の健康被害を認め、ブリティッシュアメリカンタバコ社は屋内喫煙の規制に賛意を示しているくらいだ。ちなみに、9月28日の国立がん研究センターの見解に対するJT側の反論は出ていない。

受動喫煙が健康に害を与える証拠

 肺がんはその性質により、それぞれ頭に「肺」をつけて、扁平上皮がん、腺がん、小細胞がん、大細胞がんと大きく4つに分けられる。また、がん細胞の違いで非小細胞肺がん(扁平上皮がん、腺がん、大細胞がん)と小細胞がんに分ける分類もある。さらに、がんができる場所で言えば、腺がんと大細胞がんは肺の奥のほう、扁平上皮がんと小細胞がんは肺の入り口近くにできる。

 扁平上皮がんができる扁平上皮細胞は、気管や食道など、食べ物や空気などの体外からの異物が通過して接触する表面(体表や内臓の内壁など)の細胞だ。そこに刺激が加えられるとストレスになり、慢性炎症を引き起こす、などする。タバコの煙が気管を通過するとそれがさらなるストレスとなって細胞がダメージを受け、がんを発症するというわけだ。

 タバコの粒子は比較的大きく、呼吸器から肺へ入っても奥まで届きにくい。入り口の扁平上皮がんは起きても、肺の末梢に発生しやすい肺腺がんは従来、喫煙や受動喫煙が原因で引き起こされるのではない、と考えられていた。

 だが、喫煙習慣も変わり、喫煙者の健康志向もあってタバコ会社は、フィルター付きタバコや低タールタバコなどの「軽いタバコ」を出すようになる。軽いタバコはより深く吸い込む。その結果、喫煙が原因の肺腺がんも発症するようになった。

 また、受動喫煙と肺腺がんの関係も強く疑われている。タバコを吸わない日本人女性を対象にした前向きコホート研究(原因から結果について多数の人間の集団で探っていく調査方法)では、配偶者(夫)に喫煙者がいるかいないかで肺腺がんにかかる割合が異なった。

 女性に肺腺がんが多い、と言われているが、家庭で受動喫煙のリスクがあるかないかを肺腺がんの罹患率で比べてみたところ、夫が喫煙者で自分が非喫煙者の妻の肺腺がんリスクは約2倍だった(※3)。つまり、細かい粒子を肺の奥へ吸い込む受動喫煙だからこそ肺腺がんにかかりやすくなったのであり、従来は喫煙や受動喫煙との関係が否定されていた肺腺がんの罹患率から、逆に受動喫煙のリスクがあらわになった、ということだ。

 受動喫煙の健康被害は、肺がんにとどまらない。脳卒中、虚血性心疾患、そして乳幼児突然死症候群などは科学的エビデンスがあり、受動喫煙のリスクが考えられる疾患には、気管支喘息、COPD(慢性閉塞性肺疾患)、鼻腔・副鼻腔がん、乳がん、そして乳歯の虫歯、小児の中耳疾患、胎児の発育遅延や低出生体重児などがある。

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米国の保健福祉省(U.S. Department of Health and Human Services, HHS)がまとめた、成人と乳幼児・小児の受動喫煙に関係する疾患リスト。

 喫煙のリスクは言うまでもないが、受動喫煙も確実に健康への悪影響があることがわかる。だが、その影響は目に見えにくく、場合によっては数十年単位で病気になってあらわれてくる。また、タバコを吸っても、吸わされても、必ず誰もが上記のような病気にかかるわけではない。

 明らかに害毒だとわかっているタバコを吸わせ、大規模な人体実験をすることは倫理的にも不可能だ。研究者は過去の健診データなどを使い、疫学的・統計的に喫煙や受動喫煙の影響を評価しようとしてきた。統計的に「有意」な結果を得ようとすれば、適切なサンプルサイズを決め、バイアスや交絡などを除外し、年齢、性別、BMI、食生活、運動といった他の要因による違いが出ないようにしなければならない。

 前述した国立がん研究センターの受動喫煙と肺がんのメタアナリシスでは、学術誌の査読を経て掲載された統計的に有意とされる複数の研究データを比較し、その結果としてリスクを出している。これはあくまで科学的な知見に基づいた評価であり、よく言われるような医学界などの陰謀論では片付けられない性格のものだ。

受動喫煙は「児童虐待」と同じか

 受動喫煙が明らかに健康へ悪影響をおよぼすことになれば、タバコの煙にさらされる子どもの生命や健康にも関わる問題だろう。都民ファーストの会の受動喫煙対策強化条例案は、こうした「事実」をもとにして都議会へ提出しようとしている。

 嫌煙権確立をめざす法律家の会代表である伊佐山芳郎弁護士は、権力のプライバシーへの過剰適用を懸念しつつ、家庭内で受動喫煙被害は「家庭内暴力」や「児童虐待」に匹敵する「加害」行為とみなしても言いすぎではない、と言う。

伊佐山「古代ローマ法には『法は家庭に入らず』という格言があったが、これはプライバシー保護の観点で現代でも尊重されなければならない。だが、例えば夫婦や親子の間で起きた諍いが傷害や殺人に発展するような、家庭内での犯罪が疑われる場合、警察権力が家庭へ入る(法が家庭の中に入る)ことに疑いを挟む者はいない。受動喫煙によってリスクが増加する乳幼児突然死症候群のように、乳児の生命を奪いかねない家庭内の喫煙は児童虐待と同等に認められて当然ではないだろうか。さらに言えば、今回の都民ファーストの会の条例案では、警察への通報ではなく、保健所などの指導にとどまるような配慮がなされているようだ。これを悪名高い『共謀罪』と同列に扱うべきではない」

 もしも都条例が成立して施行された場合、喫煙者のいる家庭へ行政が介入してくる可能性がある。こうした事態に異を唱える喫煙者がいれば、都条例の「合憲性」と受動喫煙の健康被害の評価を巡り、事件後にそれを裁判所へ訴え出るかもしれない。その際、司法は、国民の「健康や生命」や「生存権」と個人の「幸福追求権」やタバコ税収という「公益性」のどちらを重く見るか、判断を迫られることになる。

※1:岡本こうき都議には8月初旬から取材を申し込んでいるが、多忙を理由にまだ実現していない。8月26日にお目にかかる予定。

※2:日本人対象の肺がんに関する疫学研究論文を9つ選び、これらを統合・統計解析する「メタアナリシス」手法により、受動喫煙を受けない非喫煙者のリスクを1とすると受動喫煙を受けた非喫煙者の肺がんリスクが約1.3倍になった。

※3:Kurahashi N1, Inoue M, Liu Y, Iwasaki M, Sasazuki S, Sobue T, Tsugane S; JPHC Study Group. "Passive smoking and lung cancer in Japanese non-smoking women: a prospective study." Int J Cancer. ;122(3):653-7. 2008

※:2017/08/24:11:21:最後のパラグラフ:国民の「健康や生命」とタバコ税収という「公益性」→国民の「健康や生命」や「生存権」と個人の「幸福追求権」やタバコ税収という「公益性」:変更。

※:2017/08/26:9:38:タイトルを短縮した。都民ファーストの会→「都民ファ」。

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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