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イルカはどうやって水分を摂っているのか

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(写真:アフロ)

海上を長期間漂流した記録は390日とも484日とも言われているが、いくら喉が渇いても海水を飲んではいけない、と教えられている人も多い。だが、ごく少量なら漂流当初の間のみ、飲んでもかまわないようだ。1952年に大西洋のカサブランカからカナリア諸島まで、小さなゾディアック(ゴムボート)で65日間の漂流実験をしたフランス人医師によれば、最初の22日間は少量の海水だけを飲んでも、ほぼ大丈夫だったらしい。彼は残りの日々は、雨水と捕らえた魚から水分を補給して目的地へ到達する(※1)。そして数日間、入院して帰国し、その後は長寿を全うした。

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海水を飲むと死に至る

浸透圧という言葉があるが、濃度の低い液体と濃度の高い液体があれば、エントロピー増大の法則によって均衡状態を保とうとし、それぞれの濃度を同じにしようとする力が働く。人間の血液は、浸透圧を一定に保つため、濃度も一定に維持されているが、海水を飲めば、一時的に血液中の塩分濃度が上がる。すると、浸透圧を一定に保てなくなり、腎臓で塩分を処理できず、水分を排出しないために尿も出なくなる。このまま水分補給ができなければ、血液の濃度は高くなり続け、血圧が上がり腎不全や尿毒症などになってしまう。

もちろん冒頭で紹介したものは、極限状態を模した医師による実験なので危険だ。絶対に真似をしないようにしたいし、この実験を再検証した人物から懐疑的な意見も出ている(※2)。いずれにせよ海水だけをずっと飲み続けていれば、やがて腎機能がダメージを受けて死んでしまう。このフランス人医師の漂流実験で重要なのは、シイラなどの魚やオキアミから水分を補給した、という点だ。

我々人間と同じ哺乳類のイルカやクジラは海の水をほとんど飲んでいないことが、すでに75年ほど前にわかっている(※3)。だが、バンドウイルカなどはごく微量の海水は摂取しているらしい(※4)。海の中にいるのだから、餌を食べる際などにどうしても海水が口などから体内に入ってきてしまう、ということだろう。

イルカ類は体脂肪率が高い。バンドウイルカの場合、水分の割合は体重の約37%だ。彼らの皮膚はナトリウムを透過せず、海水から塩分が入ってくることはない。逆に水の透過性があるため、体内の水分は体外へ排出される。汗腺はないが、体表からの水分の排出率は陸上の哺乳類とさほど変わらないとする研究もある。また、呼気からも多少の水分が排出されているだろう。

イルカはなぜ水を飲まないか

こうして水分が外へ出ているのだから、何もしなければイルカの血液の濃度は上がり続ける。すみやかに水分を補給しなければならないが、海の中に真水はない。海水は約3.5%の塩化ナトリウム溶液だ。では逆に、血液の濃度を下げるため、塩分を体外へ排出すればいいだろう。ペンギンや海に潜る種類のウミウやカモメなどの鳥、またウミガメなどは、塩分を排出する塩類腺という分泌腺がある。しかし、イルカやクジラには尿の濃度で調節する以外、こうした機能は備わっていない。

高い濃度の尿で塩分を排出することができたとしても、水分は取り入れなければならない。というわけで、イルカなどの鯨類、またアザラシやアシカ、マナティやジュゴンなどの海棲哺乳類がどうやって真水を補給するのかについては長い間、議論されてきた。脱水症状を避けると同時に、渇水状態に耐える生理的な機能を備え、砂漠のような海中でどこかから水分を得なければならない、というわけだ。

海棲哺乳類といっても多種多様なので、ここでは鯨類、イルカやクジラについて考えてみる。高濃度の尿を排出することで、血液などの浸透圧を調整しているのだろうか。だがクジラ類の尿の浸透圧は、陸上哺乳類とくらべ、それほど高いわけではなく、従って塩分濃度の高い尿を排出するとは限らない。だが一方、彼らの腎臓の濾過と濃縮、尿素を利用した再吸収の機能はかなり高く、取り入れた海水の塩分を体外に排出すると同時に海水から高効率で真水を得ることも可能だと言う(※5)。

ところが、話はそう簡単ではない。腎機能を利用する水分の取り入れにはエネルギーがかかる。弱った金魚を薄い塩水につけると元気になるのは、浸透圧調整の負荷が下がるからだ。金魚の体液の濃度と体外の濃度を合わせ、淡水魚の金魚が体外からの水の浸入を防ごうとすることで体力を消耗しないようにするのである。

効率的な水分吸収

腎機能に負担をかけないため、どうやらクジラ類は魚やオキアミなどの餌から主に水分を補給しているらしい。クジラ類の食べ物の実に7割が水だとされ(※5)、我々と同じように小腸や大腸でその水分が吸収されるのだ。ヒトの場合、大まかに言えば、1日の摂取水分量を約10リットルとすると、小腸で9リットル吸収され、大腸で約1リットル吸収され、大小便として約0.1リットルが排出される。考えてみれば当然だが、クジラ類も同じように食べ物から水分を得ているということになる。

クジラ類が食べ物から水分を得るのは、主に小腸と考えられている。これは彼ら(ネズミイルカなど)の小腸の機能が多くの哺乳類と異なっているからで、食べ物からより効率的に水分を吸収するような仕組みになっているらしい(※6)。イルカやクジラの先祖をたどるとカバ(など偶蹄類)との共通祖先から分かれたことがわかっている。実際、尿や浸透圧を分析してみると、クジラ類はウシやラクダとよく似ているのだ(※7)。

そろそろ梅雨も明けそうな季節だが、気温が高くなると熱中症に注意が必要となる。熱中症対策には、水分補給と同時に適度の塩分も補ったほうがいい。これも汗で体内のナトリウムが流れ出てしまい、適切な浸透圧を調節できなくなるからだ。我々の体内には「海」がある、などともいう。漂流体験をせずとも、熱中症にはくれぐれも用心したい。

※1:British Medical Journal, correspondece, "Drinking Sea-water." British Medical Journal, 1422, 11th, Dec, 1954

※2:Hannes Lindemannの実験航海。Richard T. Callaghan, "Drift voyages across the mid-Atlantic." Antiquity, 89, 345, 2015

※3:E. S. Fetcher Jr., Gertrude W. Fetcher, "Expression and localization of aquaporin-1 on the apical membrane of enterocytes in the small intestine of bottlenose dolphins." Journal of Cellular Physiology, Vol.19, No.1, 1942

※4:Clifford A. Hui, "Seawater Consumption and Water Flux in the Common Dolphin Delphinus delphis." Physiologycal and Biochemial Zoology, Vol.54, No.4, 1981

※5:Rudy M. Ortiz, "Osmoregulation in Marine Mammals." The Journal of Experimental Biology, 204, 1831-1844, 2001

※6:Miwa Suzuki, "Expression and localization of aquaporin-1 on the apical membrane of enterocytes in the small intestine of bottlenose dolphins." Journal of Comparative Physiology B, Vol.180, No.2, 229-238, 2010

※7:Naoko Birukawa, et al., "Plasma and Urine Levels of Electrolytes, Urea and Steroid Hormones Involved in Osmoregulation of Cetaceans." Zoological Science, 22(11),1245-1257, 2005

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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