バカが富士山に登ってきた

photo by Masahiko Ishida

一度も登らぬバカ

「一度も登らぬバカ、二度も登るバカ」という言葉がある。富士登山を指すこの言葉を知ったのは小学生のころだったが、やはり一度は登っておきたいと思いつつ、すでに中年後半の年齢になってしまっていた。バカのまま死にたくはない。これは「バカな中高年の富士山敢行記」である。

登山体験は高校生の夏休みに八ヶ岳に登っただけの初心者で、体力的にも富士登山を敢行するために残された時間は少ない。しかし、江戸時代から「観光登山のメッカ」として有名な富士山である。まさかハイヒールで登るような女性もいないだろうが、老若男女が「登ってきた」と自慢げ誇らしげに語る山だ。初心者の中高年でも大丈夫だろう。

もちろん、油断したわけでもナメていたわけでもない。梅雨明け10日、と言われる夏期の天候安定期に登ろうと決心し、3カ月前から駅の階段はエスカレーターを使わず、ヒマがあれば近所の100メートル級の丘に上り下りしてきた。と、これがそもそも「バカ」である。稜線が長く単独峰の富士山は登り始めたら、ただひたすら登りが続く。持久戦なので、こんなトレーニングに意味があったかどうかよくわからない。

7月22日、関東地方の梅雨が明けた。いよいよである。「アリの行列」状態は避けたいので、25日の金曜日出発にした。おおまかにスケジュールを立てる。自宅のある横浜から富士スバルライン五合目まで、朝7時発の直行バスが出ている。

富士スバルライン五合目の標高は2305メートルだ。富士山の標高は、ご承知の通り3776メートル。すでにこの時点で、1500メートルくらいズルをしている。お得である。

ちなみに戦前日本の最高峰は、台湾にある玉山(ぎょくざん)で旧称は新高山(ニイタカヤマ)、3952メートル。太平洋戦争時、日米開戦の日にちが空母奇襲部隊を擁する連合艦隊へ届けられる。その暗号電文が「ニイタカヤマノボレ一二○九」だった。

さて、富士スバルライン五合目からは「吉田ルート」で登る。「山小屋の数がもっとも多く、途中2ヶ所に救護所があり、登山未経験の人や初めて富士山に挑戦する人におすすめのルート」である。登りと下りで別々の専用道なのもありがたい。

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富士登山オフィシャルサイトより

直行バスに乗り、富士スバルライン五合目に到着したのが午前10時10分だった。で、登り始めたのが10時30分。いろんな案内サイトなどをみると「吉田ルート」の登り標準タイムは6時間前後。この通りなら午後4時過ぎには山頂へ着くだろう。下りは3時間から4時間くらいなので、うまく行けば25日のうちに下山し、帰宅さえできそうだ。翌日、富士登山を思い出しながら、松下奈緒主演のNHK土曜ドラマ『芙蓉の人』を見よう。

と、このスケジュールが「大バカ」であった。登り下りそれぞれの標準タイムは、休息を入れない時間であり、初心者でしかも体力に自信がない中高年にとって、これはとうてい不可能なものだった。

五合目から六合目まで、だらだらした上り坂が続く。これですでに1時間かかってしまう。六合目から七合目まで1時間かける予定だったのが、2時間近くかかった。10分登って5分休むのが、次第に歩く間隔が短く休憩時間が長くなる。5分登って10分が、3分登って15分、となっていく。

六合目で木製の金剛杖を買う。1500円。ストックを持参しなかったが、頼りになる支えがないととても歩けない。この先、大げさな表現だが、この金剛杖には何度も命を救われることになる。

高山病の恐怖

五合目から七合目あたりまで、足元が不安定な火山灰の砂利道のため、ここで大きく体力を消耗した。七合目の標高はまだ2700メートル。酸素が薄く感じ、心臓がドキドキバクバクし始めて「すわ高山病か」という不安が頭をよぎる。足元のしっかりした場所で休憩を取り、鼻からユックリ息を吸い込み、呼吸を整えると幸い心臓のざわめきは収まった。

日本登山医学会によると、急性高山病の症状は「頭痛、及び以下の症状のうち少なくとも1つを伴う。消化器症状(食欲不振、嘔気、嘔吐)、倦怠感または虚脱感、めまいまたはもうろう感、睡眠障害」らしい。高度2500メートルまで急激に登ると25%の患者に上記の症状が3つ以上現れ、3500メートルではほとんどの者が上記症状を発し、その10%は重症化するんだそうだ。

富士山頂の気圧は平地の約60%であり、赤血球中のヘモグロビンで酸素と結合しているヘモグロビンの割合である「動脈血酸素飽和度が約10%低下する」と言われている。血液中の酸素が10%も低くなるわけだ。

これは酸素が薄くなるからではない。高度が上がれば気圧も下がる。富士山頂でも酸素濃度は約21%で平地と同じだが、気圧が下がれば「吸入気の酸素分圧(PIO2)」も下がる。「酸素分圧」というのは、一定体積あたりの酸素量のことで、気圧×酸素濃度だ。酸素濃度が一定でも気圧の低下で「酸素分圧」も下がることがわかる。

酸素を体中へ運ぶ血液中の赤血球は、酸素分圧が高い場所では酸素を受け取って二酸化炭素を吐き出す。しかし「酸素分圧」が低い場所では逆に酸素を放出し、二酸化炭素を受け取るように振る舞う。高所などで「酸素分圧」が低い空気を吸うと肺から血液中の酸素が吸い出されてしまう。これが高山病の主な原因となるのである。ただ、エベレストなど極端な高度では当然、酸素の濃度自体もかなり低くなる。

ちなみに、山梨県富士山科学研究所では、急性高山病に及ぼす影響などの研究を行っている。山梨大学医学部などとの共同研究から、登るペース配分や山小屋での睡眠時間などのアドバイスに活かしたり、平地と高所での気温や湿度の差から高山病を起こしやすい状態だという注意喚起することなどを目指しているようだ。

増える急性高山病患者

昨年2013年の夏期は、富士山が世界遺産登録された後、初めてのシーズンとなり、登山者数も激増した。登山者の中で高山病が原因でやむなく下山したのは何人くらいいるのだろうか。

富士山は、山梨県側と静岡県側で行政区域が異なる。そのため、遭難救助などのデータも各県警で別々のものとなっている。

2013年の夏期シーズンでは、山梨県側、吉田口の七合目救護所に具合が悪いと訴えた患者総数161人のうち、98人が高山病だったそうだ。また、山梨県警によれば、47歳の女性が四合目付近を下山中に体調不良となったり、71歳の男性が富士山ツアー登山中に急に倒れ込んで亡くなったりしている。さらに、これは高山病などの発病ではないが、21歳の中国籍の男性が七合目を下山中、バランスを崩して転倒し軽傷を負うなどしている。

富士宮口、須走口、御殿場口などを管轄する静岡県警によると、2003年から2007年までの5年間の通年の事故発生件数は87件だったものが2008年から2012年は3倍近い229件にもなっている。2012年と2013年を比べると49件から94件に約倍増し、死者数が1人から3人へ、重傷者数が3人から11人へ、大きく増えている。また、各合目別の発生件数では、登山者数の多い富士宮口の七合目が圧倒的だ。

静岡県警が2008年から2012年の五年間で救助を行った事故では、高山病が29件で疲労の33件に次いで多い。2013年では県内の事故件数94件のうち、富士山での発病は42件。そのうち32件が高山病だった。ただ、低体温症の死亡者が多いのに比べ、高山病はそのほとんどが無事救助されている。早めの手当と休養、そして登頂をあきらめて高所環境からの下山が肝要というわけだ。

さて、七合目の2700メートル付近を過ぎると、足場がしっかりした岩場になる。しかし、これが険しく岩が尖っていて登りにくく、さらに際限なくどこまでも続く。天候が良かった分、山頂まで遙かに見渡せ、その途方もない距離に呆然とする。

すでに登攀と休憩の間隔は、1分登って10分休む、になっていた。ただ、体力がないため、結果的に登頂ペースがゆっくりとなり、急激な高度変化による高山病発症、ということにならなかったのかもしれない。ケガの功名ならぬ「バカの巧名」である。

途中では多くの登山者に追い越されていった。外国人がやたらに多い。世界遺産登録の影響だろう。実感では半分近くが日本人以外である。

台湾からの中高年登山者も目立った。リュックには高雄登山会とか台湾登山愛好会のような文字が見える。山慣れしてるのか、どんどん先へ行く。さすがニイタカヤマの人々である。イタリア人の家族連れも装備が本格的で、アルプスにでも登り慣れているのか、すいすい登って行く。

筆者と同じペースの人間には、抜きつ抜かれつ途中で何度も出会い、声を掛け合ううちに次第に仲良くなる。シカゴ出身の米国陸軍の軍人は、若いのに体格が良すぎるせいでかなり大変そうだった。同じ年代の日本人男性は、高校時代に八合目まで登ったところ悪天候のため山梨県警に登頂を断念させられ、30年ぶりのリベンジだ、と言っていた。

七合目から八合目まで2時間の予定だったのが、すでに午後4時である。富士スバルライン五合目出発から5時間30分。「吉田ルート」は確かに山小屋が多い。前の山小屋を出るとすぐに山小屋が見え、すぐに大休止となる。小休止の連続の上、すぐに大休止なのでほとんど前進できない。さらに長く休むと立ち上がるのが億劫になる。大休止を頻繁にすると疲れやすくなるようだ。

本八合目、標高3400メートルに着いたのが午後5時である。金剛杖にすがりつつ、小松左京原作の映画『復活の日』の草刈正雄のようになりながら本八合目の山小屋、富士山ホテルにたどり着く。

すると、そこの若い従業員が「今日はどちらまで行かれるんですか?」と話しかけてきた。はたと気づく。午後5時から2時間かけてうまく山頂へ着いてもすでに日没だ。夜間の下山は危険だろう。

本八合目で宿泊し、山頂でご来光を見たほうがいいのではないか。この時点でそれに気づく「バカ」である。

運が良く宿が空いていた。高校時代のリベンジ男性も富士山ホテルに泊まるという。ご来光を見るためには午前2時に起床し、遅くとも午前2時30分には宿を出なければならない。カレーライスと缶ビールで早い晩飯を食い、午後6時、寝袋と毛布だけ雑魚寝状態の山小屋で寝る。山小屋に泊まるのは、高校時代の八ヶ岳以来だ。

富士山頂にオウムは鳴かなかった

翌朝、午前2時過ぎに山小屋の前に出て驚いた。ご来光目当ての登山者で大渋滞。まだ真っ暗な中、ヘッドライトが下から山頂まで続いている。前日より人がずっと多い。

列に加わって山頂まで残り2時間を登る。ご来光、つまり2014年7月26日の日の出時刻は午前4時37分だ。行列についていけば間に合うだろう。しかし、前日の疲労が残っていたのか、なかなか前に進めない。標高3700メートル近辺で登山道脇にスペースを探し、座り込んで朝日を拝むことにした。

歩くのを止めると急に体温が下がる。これが低体温症の前兆か。あわててフリースを出し、ジャケットの下に着込む。気温は5度程度だが、ほぼ無風状態で助かった。これで風が吹いていたら危険だっただろう。

その後、ご来光を拝み、富士山頂へ向かう。残り標高差50メートル程度。午前5時5分に無事に登頂成功した。

さっそく東北奥宮(久須志神社)へお参りし、登頂のお礼をする。同時に「無事に下山できますよう」と思わず願ってしまった。登山とは登頂が目的ではない。待つ人のいる場所へ無事に下山することが目的なのだ、ということを改めて実感した。一度は富士山へ登ったので少しは「バカ」が改善されただろうか。

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富士山頂は火山の火口である。噴火口の縁が円周状に切り立ち、約4キロメートル、徒歩約2時間で一周できる。これを時計回りに歩くことを「お鉢巡り」というんだが、縁はギザギザしているもののアップダウンはそれほどない。筆者は、反時計回りに東北奥宮から3776メートルの三角点がある剣が峰を経由し、一周せず浅間大社奥宮の富士宮口から下山することにした。

高度成長期に少年時代を過ごした年代にとって、富士山頂と言えば「富士山レーダー」である。気象衛星の登場と技術の発達により、富士山頂の測候所は2004年から無人化されているんだが、新田次郎の小説『強力伝』や『富士山頂』、そして石原裕次郎が主演・製作した映画『富士山頂』(1970年)などに胸を躍らせた。

「富士山レーダー」は、気象庁が1964年に設置した。当時、この工事を指揮した気象庁測器課長、藤原寛人が小説家の新田次郎である。レーダーフレームを空輸しようとしたヘリコプターが、高度のため揚力不足になり極限まで重量を減らして運んだ、などという逸話は科学少年たちを熱狂させたものである。

「鳥かご」と呼ばれた直径9メートルのレーダーフレームは、サッカーボールやカーボンナノチューブなどと同じ正多面体であり、基部を除けば正二十面体になっている。これは「ジオデシック・ドーム(geodesics dome)」といい、米国の建築家、バックミンスター・フラーと言う人が考え出した構造物だ。ちなみに、正多面体は5種類しかない。4、6、8、12、20である。これは「頂点+面−辺=2」という、オイラーの多面体定理からきているらしい。

富士山レーダーは、当時、世界で最も高い場所にあった気象用レーダーであり、最大800キロメートル先まで観測が可能だった。1999年に運用が終わり、富士山頂へ行っても見ることはできない。その後、山梨県富士吉田市にある「富士山レーダードーム館」に移設されている。はるか裾野から、かつて自分が設置されていた富士山頂を見上げている、というわけだ。

無人化された富士山測候所だが、その後、保守管理の点などから観測施設自体の存亡の危機が取り沙汰され始めた。しかし、日本最高峰で周囲に他の山がない単独峰の富士山頂は、地上からの影響を受けない「自由対流圏」にあり、一酸化炭素(CO)や二酸化炭素(CO2)、オゾン(O3)など、大気の観測に最適な場所だということで各方面の研究者や研究機関が「富士山測候所を活用する会」や「富士山高所科学研究会」を結成し、富士山測候所を利用している。3776メートルの三角点に隣接し、測候所があるんだが、その人工物が日本で最も高い場所となるわけだ。

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「富士山測候所を活用する会」による夏期観測2014。一酸化炭素とオゾンのデータを計測しているんだが、筆者が登った7月26日はどちらも低濃度になっていて海洋性の大気におおわれていたようだ。

富士登山で非日常を得る

こうして日本最高峰へ登った後、下山することになる。登ってきたのとは逆、静岡県側の富士宮口から降りた。

しかし、足の筋肉は限界にきていて、体重を支えきれず踏ん張りがきかない。登頂する、というモチベーションもないため、ともすれば心が折れそうになりつつ、5時間かけて金剛杖にすがりながらなんとか富士宮口五合目へたどり着くことができた。感謝である。

ここでその金剛杖について書いておこう。富士山の金剛杖の切断面は、富士山頂の八つの峰を表すため、正八面体で八角柱になっている。筆者が求めたものは、ツガでできた約150センチ、5尺。各山小屋で売られ、焼き印を押してもらって、それを登山の記念にする人も多い。各山小屋では、焼き印を押してもらうだけの短めのサイズも売っていたりする。

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富士山の金剛杖はツガだが、その素材は赤ガシやヒノキも多い。『勧進帳』で弁慶が義経を打擲したのも金剛杖だ。金剛杖は六角形のものもあり、素材も形もいろいろで興味深い。木曾の御嶽山や山形の出羽三山など、霊場や霊峰といわれる場所で入手可能であり、和歌山の熊野や四国のお遍路さんの金剛杖は、切断面が正四面体の四角柱になっている。これは各面が仏教における四つの修業界のような意味合いがあるようだ。

修験道の元祖、役小角も持っていたといわれる金剛杖だが、富士山のような霊山と呼ばれる高山は修業の場でもあった。「出家」という言葉があるように、古来、修業は日常社会から離れ、世俗のしがらみを脱ぎ捨てる「非日常」の境地である。

なぜ富士山に「二度も登る」と「バカ」なのか、いろいろな説があるようだが、単独峰で稜線が長い富士登山はその行程が登るばかりであり、周囲に連峰もないため景色も単調でつまらないから、という話がある。しかし、霊山という修業の場という意味では、登るばかりの単調さと変わり映えしない周囲の景色により登山に集中でき、一種の「ランナーズハイ」のような気分にさせられるのではないだろうか。

富士山の八合目から上は、神域であり霊場でもある。「非日常」世界へのとば口であり「死」と隣り合わせの世界だ。感心するのは、まさに老若男女のほとんどが、あの厳しい山になんとか登りきって無事に下山することである。霊界を通り抜けてなお、生への執着心を失わない人間こそ、愛すべき「バカ」であり、二度も三度も登ってしまう愚かな生き物なのだろう。

実際、筆者のような「一度も登らぬバカ」が富士山へ登って「バカ」でなくなったかと言うと、下界へ戻れば元の木阿弥、まったく「バカ」のままである。この原稿を書きつつ、富士山の説明を読んでいると「ああ、今度はこっちの登山道から登るとおもしろそうだ」と考えている自分の「バカ」さ加減にうんざりする。こうして「二度も登るバカ」が誕生するのだろうか。