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善と悪が分かりやすい『どうする家康』 淀君はなぜ魔物のような悪として描かれるのか

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

まもなく神の君は偉業を達成

『どうする家康』がいよいよ佳境である。

おそらくこれから大坂城の濠を埋めて、元和になってから攻め立てて、羽柴家を滅ぼすのだろう。

これにて、徳川家康(松本潤)は国内の敵をほぼ滅ぼし、戦さのない世界を構築する。

神の君、家康公の偉業である。

善と悪がわかりやすかった『どうする家康』

今年の大河ドラマはわかりやすく作られていた。

善と悪が明確であった。

戦さのない世界を作りあげる人たちが善。

それに反対する人たちが悪。

黒白はっきりした世界が作られて、わかりやすい。

時代劇の水戸黄門と同じ勧善懲悪の世界だ。

いまの世の中、わかりやすいものが善なのだ。

ちょっとどうかとおもわなくもないが、でも、それが善だ。

「悪」は信長からの秀吉・淀君

わかりやすい家康世界では、家康が善だから、秀吉(ムロツヨシ)が悪である。

信長(岡田准一)も、愛はあるが悪、というところだ。

秀吉なきあとは、淀君(北川景子)が悪である。

淀君は、秀吉の側室で、信長の姪である。あっち側の存在なのだ。

これから大坂の陣に向けては、講談などで人気の真田幸村(信繁/日向亘)も悪となるのだろう。

講談は、当時の中央政府(徳川幕府)への批判精神を抱えているから、徳川家に楯突く者をヒーローとして描く傾向がある。由井正雪とか丸橋忠弥とか。赤穂の浪士団もそうだね。

「善」は王道をめざした今川義元から始まる

『どうする家康』での、「善」の大もとは今川義元(野村萬斎)であった。

ここが今年の大河の珍しいところだ。

軽んじて描かれることの多かった今川義元を、家康にとって大事な存在として描いた。

人質となっていた今川家で家康は(当時は元康)、今川義元にかわいがられ、「王道と覇道の違い」を教えられる。

「徳をもって世を治めるのが王道」である。

義元は「王道を目指す人」として善なる存在であった。

覇道の代表は、織田信長である。

「武をもって治めるのが覇道」、それが信長から秀吉へと継がれた統治世界であった。この方法で世はおさまりそうに見えて、なかなかうまくいかない。

善なるものの中心にいたのが瀬名

ただ、今川義元はドラマ冒頭であっさり死んでしまい、そのあと、瀬名(有村架純)が出現する。

家康の最初の妻である。今川義元の縁者でもある。

彼女が「善なるものの中心」としてこのドラマは進んでいった。

瀬名の構想を一生を賭けて達成した家康

築山殿とも呼ばれる彼女の存在が、徳川家臣団の結束の中心にあった。

これもまた新鮮な見立てである。

古来、ずっと「悪女」とされてきた築山殿を、この物語でほぼ「聖なる女性」として描いている。

彼女が夢見たのは、友愛によって各大名が協力して統治する世の中である。

力ではなく、愛によって平和を守るという世界構想だ。

戦乱の世に何を寝ぼけたことを、と言われる理想である。

彼女はそれがため「敵に内通した者」として処刑されるのだが、でも、時代が過ぎて眺めてみると、家康は国内の敵をほぼ滅ぼし、戦乱の世から一転して二百年余の平穏な社会を作りあげたのだから、瀬名の野望は家康を通じて達成されたことになる。(あくまで『どうする家康』の世界観によるものだけど)

日本の長い安寧の時代をもたらしたのは瀬名

この見立ては、なかなか素敵である。

歴史事実をどれだけ反映しているのかという問題を措けば、おもしろい見方だとおもう。

「四杯の蒸気船」にて目を醒まされるまでの「泰平の眠り」をもたらす仕事をしたのは家康たちだから、当ドラマでは、それはもともと瀬名の発想だった、ということになる。

築山殿の発想によって日本は長く安寧の時代にあったのだ。(あくまで『どうする家康』の世界観によるものですが)

天正七年の瀬名の命令

彼女は、その理想世界のために殉じたと言える。

徳川軍団の聖女として、瀬名はみんなの心に残っている。

なかなかにすごい家康の物語だ。

瀬名は自刃する直前、家康と、供の本多忠勝(山田裕貴)、榊原康政(杉野遥亮)にむかって「ここにいてはいけません。平八郎、小平太、殿をお連れせよ。そして殿とともに、そなたたちが安寧な世を作りなさい」と命ずる。

短く「はっ」とだけ返答する平八郎忠勝と小平太康政。

天正七年(1579)のことであったが、これが、徳川幕府の長く平穏な日本を作り出したおおもとの一言だったのだ。

なかなか熱いシーンであった。

いまは亡きお方さまの物語でもあった『どうする家康』

徳川家康一代記『どうする家康』は「いまは亡きお方さまの物語」でもあった。

有村架純の大河だったともいえる。

瀬名が死んだのは25話で、だいたい半分あたりだったのだが、どうやら最後まで彼女の面影は引っ張られていくようである。

最後に立ちはだかったのが妖しい淀君

そして「瀬名のおもいを背負った集団」に最後たちはだかったのが淀君である。

お市の方のときの北川景子は清廉で凜としていたが、茶々、のちの淀君を演じる北川景子は妖しさたっぷりで、ずいぶんと濃厚である。

かなり怖い。

二役で母娘の違いをくっきりと表してなかなか凄まじい。

「秀頼はあなたの子だとおおもい?」

淀君は、政治的理念を語らない。

政治には口をだすが、理念は唱えない。

ただその妖しさによって世を覆う。

39話、秀吉が死ぬ直前、二人きりのときに秀吉に言い放った「秀頼はあなたの子だとおおもい?」というセリフが衝撃的であった。

史上、秀頼は秀吉の子ではないのではないかという推察は当時から言われていたことであるが、淀君が秀吉に告白するシーンは見たことがない。

ちょっと息を呑んだ。

首を振ったのち、淀君は「秀頼は、この、わたしの子……」と言った。

ちょっとほっとした。

「天下は渡さぬ。あとは私に任せよ……サルっ!」と罵る。

そのまま秀吉はくたばってしまった。

恐ろしいシーンであった。

ただ怖い「人を誑かす狐」

家康と初対面のおり(36話)淀君(茶々)は、家康にいきなり銃を向けてきた。

悪ふざけではある。

ただ奇妙な人だという印象しか残らない。

次に、家康と二人で会ったときは、本当の父だとおもっております、お慕いしてよろしうございますかとにじり寄ってきた。

見ようによっては可愛らしい。

でも、違和感に気づいたら、ただ怖い。

そこに家康の側室、阿茶の局(松本若菜)がやってきて、人を誑かす狐がいると、暗に彼女を誹り、彼女を追い払った。

そういう存在だ。

あまり、まともな人物として描かれなかった。

歴史ドラマというより魔族退治の物語

家康最後の敵として、魔物といっていいような淀君が出てきたのだ。

瀬名(有村架純)から始まった善なる集団の「王道」を目指す道は、「覇道」信長から始まった邪悪さを一身にまとった淀(北川景子)と対決することになった。

淀は、邪悪さだけをまとい、もはや人あらざるもののようである。

家康たち「善」の最終的な敵(ラスボス)として登場したのだから、一身に悪なるものを背負っている。

歴史ドラマというより、魔族退治の物語のようだ。

ひょっとして瀬名をとても聖なる存在になってしまったので、バランスとして淀は魔物のような存在にせざるをえなかったのかもしれない。

そして、それはそれで、なんだかおもしろいのである。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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