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杉咲花が広瀬アリスを圧倒する 月曜ドラマ対決『アンメット』が人の心を強く揺さぶるわけ

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:2023 TIFF/アフロ)

月曜のドラマ『366日』と『アンメット』

月曜のドラマはフジテレビで、9時から『366日』、10時から『アンメット〜ある脳外科医の日記〜』(制作は関西テレビ)が放送されている。

『366日』は広瀬アリスと眞栄田郷敦の恋愛ドラマである。

高校時代の同級生と、30歳近くになって付き合うことになったが、彼が事故に遭ってしまう、というのが始まりであった。

デート場所に彼が現れない『366日』

2人は高校時代から好き合っていたのだが、何度も行き違いがあって、仲良くなっていない。紆余曲折あって、やっと付き合うことになり、デートの約束をしたが、そこに彼は現れなかった。

向かっている途中、少年を助けるために橋から落ちて頭を強打したのだ。病院に運び込まれて一命は取り留めるが意識が戻らない。

そのまま、時が過ぎていく。

4話の最後に彼は意識を回復するが、脳に後遺症が残り、記憶が戻らない。

ヒロインは彼のことをおもいつづけて見守るが、彼はおもいどおりには反応してくれない、という展開である。

記憶がなくなったことが、恋愛の大きな障害となっているさまが描かれる。

脳外科医が脳に障害を負った『アンメット』

『アンメット〜ある脳外科医の日記〜』は杉咲花のドラマ。

彼女は脳外科医だけれど、1年半前の交通事故で脳に障害を負う。

ここ2年の記憶を失い、新しい記憶も1日限りで、寝て起きたら前日の記憶がなくなっている。毎日記録を残し、毎朝それを読み返して日々を過ごす。

彼女の過去を深く知っていそうな三瓶医師を演じるのが若葉竜也。

彼はミヤビ(杉咲花)が働く病院に赴任してきた。

まわりが「不連続な存在である川内ミヤビ」に不安を抱いて腫れ物にさわるように扱うなか、三瓶だけはミヤビを医師として強く信頼している。

少し謎めいている。

今クールドラマは記憶喪失者が続出

月曜の9時台と10時台のドラマが、2本とも「記憶に欠落のある人」の物語となっている。

ちょっと珍しい。

ちなみに今クールは、記憶喪失者が連続多発しており、この2本以外にも火曜の『くるり〜誰が私と恋をした?〜』、金曜の『9ボーダー』でも似たようなキャラが出てきている。

ちょっと続出しすぎである。

連続して生きる者と欠落している者

月曜9時から続けて見るから、両ドラマの違いがよくわかってくる。

『366日』で「不連続な生」を生きるのはヒロインの「恋人」である。

ヒロインそのものは連続して生きているのに、愛する人がそこを共有してくれておらず、そこに苦しんでいる。

だから恋愛ドラマになる。

『アンメット』のほうは、主人公が不連続を生きている。

毎日、記憶がリセットされる人生である。それでも懸命に生きている。

恋愛とか、人とのつながりとかだけではなく、もっと広く「生きることそのもの」を問いかけているとおもう。

連続して生きなくても人は人であるのか、という疑問が投げかけられる。

不連続を演じる杉咲花の魅力

『アンメット』のヒロイン杉咲花から目が離せない。

この主人公は、自分からは多く語らない。

黙って日記を書き続ける姿や、それを懸命に朝に読み返している姿そのもの、そこにある身体性が強く訴えてくる。

杉咲花の凄みであろう。

人当たりがよく、温和に生きている主人公であるが、実はほんとうに懸命に生きているばかりで、けっこうギリギリなのだ、ということが、ふっと現れる。

それが細かい挙措に出てくる。

杉咲花に驚く瞬間でもある。

彼女がこの役を演じているだけで、意識が連続していなくても「身体こそ連続しているのだ」ということを感じさせる。

セリフではなく彼女全体の存在で示している。

気がついたときに慄いてしまう。

すごい力である。

すでに名作ドラマの香り

共演する若葉竜也の存在感も凄まじい。

彼もまた言葉はそんなに多く用いないし、喋るとぶっきらぼうなのだが、言葉を超えて、その身体性で、見ているものを巻き込んでいく。

人の意識が途切れていても、その身体性はつながっている。

それを見るだけで理解させる力がすごい。

『アンメット』では、意識が欠落しつづける主人公も、それでも彼女は「人のおもいをつなげることができる」ということを力強く示している。

すでに名作ドラマの香りしかしていない。

自分への視点が消失する

『366日』もどうなるのか目が離せないドラマではある。

でもこの先どうなっていくのか、とても心配になる展開でもある(もと歌の『366日』があまり幸せな内容ではないのがとても気になっている)。

同じ「意識の欠落」でも、「恋人の意識の欠落(自分への視点の消失)」となると、こっちのほうが自分を否定されている気分になる。それを解消するにも、自分の力が及ばないところも(ただ祈るしかないところが)、無力感が増す。

恋人はもともと他者である、という姿が鮮明になる。なかなかつらい。

かつての掟上今日子のように

『アンメット』のほうは、自分の意識を毎朝、消失しつづける。

そのたびに自分で再構成する。

この、賽の河原のような作業が、でも自分の意識だけに向かい合えば、前向きな態度となる。

かつての掟上今日子(新垣結衣)のようにふつうに生きていける。

人は連続して生きていなくても、心持ち次第で何とかなるのだ。

人が生きる意味そのものを訴えかけてくる。

杉咲花の圧倒的な存在感

月曜9時と10時は、似たような「欠落」のドラマが展開されるが、内容は激しく違っている。

9時台の『366日』はその関係性そのものが欠落して、そのまま戻らないのではないかという怖さと一緒に進展する。

10時台の『アンメット』では、自分のなかに謎は残るが、自分の身体性を信じられれば、前につないでいける。とても楽観的な前向きな物語が形作られている。

それは広瀬アリスの演技が「受け」の型になっていくのに対し、杉咲花の所作はすべて生きることに繋がっているように見えてくる。

役者としての存在感は、続けて2ドラマを見ると、圧倒的に杉咲花ばかりが迫ってくる。

2つのドラマを見終わって(『95』というドラマが始まるあいだに)、おもいだすのは、広瀬アリスの哀しげな笑顔と、あとは、杉咲花の香り立つような身体そのものである。つまり「存在」が圧倒してくるのだ。ちょっとすごい。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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