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明石家さんまと大竹しのぶのドラマから見えてくる1986年の真実 「ふてほど」と徹底的に違う別世界

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:ロイター/アフロ)

1986年のドラマ『男女7人夏物語』

ドラマ『不適切にもほどがある!』の舞台は1986年だった。

1986年の世界が描かれていたが、あくまで一面だけだった。

1986年夏に放送されていたドラマに『男女7人夏物語』がある。

若者に大人気のドラマだった。

とても多くの人が見ていた。

明石家さんまと大竹しのぶの物語は男3に女4

『男女7人夏物語』の主演は明石家さんまと大竹しのぶだった。

残りの男性陣が奥田瑛二と片岡鶴太郎。

女性陣は、池上季実子に賀来千香子、あとこのドラマでしか見たことがなかった小川みどり、という人で4人。

男女7人の割合が、男3で女4という設定が1980年代的である。

38年の隔世

テレビ埼玉で2023年の夏に再放送されていた。

テレビ埼玉での再放送だけど、ネットニュースにもなっていた。

『男女7人夏物語』をあらためて全話見直すと、いろいろと隔世の感がある。

通信機器を中心とした世相は38年前のものだな、とつくづくおもう。

1986年には自動車「車載電話」が登場する

賀来千香子が演じる香里は照明の仕事でいろんな現場を飛び回っていたが、第3話、「自動車電話」で話しながら、クルマを運転している姿が描かれていた。(自動車電話が出てきたのはこの1回だけである)。

ちなみに電話を掛けた相手は奥田瑛二(役名は野上)、ただ会いたい、という内容であった。

街中で携帯電話をかける人はいない

1986年当時、街中で携帯電話をかけている人はいない。

携帯電話はすでにあったが、巨大な機械であった。ベトナム戦争で将校が前線に指示を出すときに使っていたのと同じタイプの無線機である。それは自動車には載せられたが、持ち歩いている奇人は見かけなかった。

携帯電話という存在は、まず「自動車電話」として現れたのだ。

車載電話とも呼ばれていた。クルマに備え付けられている「家電」のようなもので、コードがついている。

でも、その存在は「未来」であった。

移動しながら電話ができることじたいが輝ける「未来」だったのだ。

当時、ドラマで見かけたときも、おお、未来ぽい、という気持ちで眺めていた。はずだ。

「トレンディドラマ」の先駆けとされる

いま、このシーンを見ておもうことはまったく違う。

そしてたぶん令和の人が見たらみな同じことをおもうはずだ。

「クルマを運転しながら、電話したら、あかんがな」である。

賀来千香子は片手でハンドルを回しながら、片手で電話で話しているのだ。

ぜったいしてはいけません。そうとしかおもえない。

立っている地平がもはやまったく違う。

『男女7人夏物語』はいわゆる「トレンディドラマ」の先駆けとされるが、まだそんなにあざとく「トレンディ」ではなかった。

流行り物や先端のものを目立つほど取り上げているわけではない。

そういう部分はやがてドラマ主流がフジテレビ制作に移っていくにつれて、露骨になっていく。TBSドラマはその点では落ち着いている、というのが80年代の印象である。

遠距離への電話はとても高かった

電話が、いろいろと印象的である。

ドラマの冒頭は、明石家さんま演じる今井良介が、友人(奥田瑛二の野上)の「会社」に電話しているところから始まる。

朝起きたら、となりに知らん女がおるんや、というのを、勤務中の友人に電話で相談している。

その知らん女(大竹しのぶが演じる神崎桃子)は、起きると、電話借りるわねと言って、さんまの家の電話で、「沖縄」にかけて「網走」にかける。

これで、この女性のキャラがわかる。

当時の電話代金は遠くにかければかけるほど高くて、しかも冗談かとおもうくらい高いものだった。

公衆電話で遠距離をかけるときは、小銭を何百円ぶんもの硬貨を用意したものだし(100円玉はお釣りがでないので10円玉を恐ろしく積み上げていた)、友人の家の電話を借りるときは常識的に近隣エリアにしかかけないものであった。ちょっと長く話すと通話料金は簡単に千円を超えていた時代である。

初対面の人の家の電話で、北海道や沖縄にかける勇気は、1986年のふつうの人は持っていなかった。彼女はちょっと常識はずれというか、「いきなり距離を詰めてくる女性」として描かれている。

勤務中の会社に遊びの電話を掛ける

勤務中の会社に電話をかけて、友人を呼び出してもらって、飲みにいく約束とか、映画を見に行く約束とか、ときにはデートの約束をするのはふつうだった。

これは1986年の日常の風景である。

おそらく厳密に言えば、あまりやらないほうがいいことだったんだとおもうが、みんなやっていたし、業務に支障を来さないかぎりは、見逃されているものだった。

留守番電話が出てきたころ

留守番電話が出始めたころでもあった。

ドラマでも、桃子(大竹しのぶ)が留守番電話を設置したから電話かけてみてよ、と良介(さんま)にいきなり頼んでいた。

桃子は、かわいらしい雰囲気でぐいぐいくるタイプである。

いまのドラマだとあまり真ん中に置かれないキャラである。ここもずいぶん時代の違いを感じるところだ。

連絡せずにいきなり訪問するのが日常

連絡手段は電話しかない。あとは思念を強く送るぐらいだが、だいたい届かない。

相手が電話の近くにいないと、連絡が取れない。

だから通知せずにいきなり相手の部屋を訪ねる、ということもふつうであった。

ドラマ『男女7人夏物語』でも、たびたび「連絡せずにいきなり訪ねる」というのがおこなわれていた。だからいくつもの修羅場が起こっている。べつにドラマだから、ということではなく、現実世界でもたびたび起こっていたことだ。

電報も連絡手段のひとつ

一人暮らしをしていて、電話を引いていない、という人間もそこそこいた。

会ったときに約束しないと、そのあと連絡が取れない。直接、家まで行くしかない。ないしは電報を打つしかない。

電報は、よく打っていた。

短い文章だと150円とか、それぐらいで打てていた。

電電公社に電話して、相手の住所と文章を言えば、届けてくれて、料金はそのまま電話料金に加算された。だからたびたび使っていた。電電公社の窓口や、あと郵便局でも打てていたような気がする。

電報の人に「ゴゴ3ジ マデニ コイ」という文面を口頭で伝えていたとき、係の人が、親切にも「あのう、いま2時なので、先方に届けるのは5時くらいになるとおもいますけど、どうしますか」と聞き返してくれたりした。ええ、そうなんですか、と若者は電報はそれほど早くは届かない現実を知るのであった。

新幹線のビュッフェで電話を受ける

9話では、新幹線の電話呼び出しのシーンもあった。

懐かしい。

桃子が9号車ビュッフェまでお越しくださいという車内放送で呼び出されていた。

「ビュッフェ」というのも懐かしい。コーヒーやビールの小瓶を立ち飲みする場所だったし、ちょっとした売店でもあった。新幹線に無駄な空間があったというのが、のんびりしていた時代の風景である。

たしかビュッフェには「いま何キロで走っているか」がわかる速度計があって、子供のときはただそれだけを見に9号車へ行き来していた覚えがある。

1986年の最先端「為替ディーラー」

電話以外にも『男女7人夏物語』の1986年世界はいまとはいろいろ違う。

ちょっと羅列してみる。

池上季実子が演じる浅倉千明の仕事は為替ディーラーであった。

電話で英語を交えて交渉、7で50買います、ナインティ、ナッシング、などホワイトボードと電卓を使って進めている。

パソコンも使っていたがたぶんワープロのような使い方だったのではないか。

これぞ1986年最先端という仕事ぶりだけれど、いまから見ると何だか穏やかに見える。

コインランドリーの治安が悪い

昔ながらのコインランドリーが繰り返し出てきた。

昔のコインランドリーは空き地に誰かがおもいつきで作ったもの、というような雰囲気があって、ときと場合によってはあまり治安がよくなかった(それはドラマでも描かれている)。

また、千円札が使えず、両替機もなく、さんまは「たばこ買ってくる」と買い物をして小銭を作っていた。コンビニも、かなり探さないとない時代であった。

23区内でも運が悪いと、もっとも近いコンビニまで歩いて10分というのはざらであった。

土曜の2時以降は機械で現金をおろせない

銀行の現金支払機、いまではATMと呼ばれるが1986年当時はまだ「キャッシュディスペンサー」と呼ばれていた機械(少なくとも私はそう呼んでいた)が出てきて、それが土曜日の午後2時に機械が止まっていた。

この時代は、土曜午後2時から月曜朝9時まで機械では現金は出せなかった。

千明(池上季実子)は家の冷蔵庫に炭酸水が備えてあって、友人が「え、ソーダなんか、家にあるの?」と驚いていた。炭酸水という言葉もなかった、ということでもある。

『不適切にもほどがある!』とまったく違う1986年

あらためて、ドラマ世界を見ながら振りかえると、いろんなところに隙があり、呑気でゆるくて、発展の余地がある世界なのだな、とおもってしまう。

もちろん1986年当時はまったくそんなことは考えておらずに、みんな、いっぱいいっぱいで動いていたのだけれど。

どう考えても『不適切にもほどがある!』から見えていた1986世界と『男女7人夏物語』の1986世界はまったく違う気がする。

立場が違うと見えるものが違うということなのだろう。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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