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『らんまん』のモデル牧野富太郎 関東大震災に遭って本当に考えていた「とんでもないこと」

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:アフロ)

『らんまん』の舞台はいきなり大正時代になった

朝ドラ『らんまん』は123話でいきなり大正時代に飛んだ。しかも12年まで飛んだ。

つまり1923年である。

いまからちょうど100年前である。

関東大震災のあった年だ。

今年2023年は、関東大震災から100年ということで、9月1日を中心に、いろんな映像が流されていた。NHKも『帝都壊滅の三日間』とか、『関東大震災 復興から太平洋戦争への18年』など見応えのあるドキュメンタリーが放送されていた。

朝ドラもその一環を担わされているのかもしれない。

そうおもわせる展開である。

震災100年のドラマとしての『らんまん』

明治二十七年戦役(日清戦争)はドラマで少し話題になったが、もっと大きな明治三十七年戦役(日露戦争)は細かくは触れられず、講和後の東京市民の暴動も描かれていない。もちろん欧州大戦もスルーされ、いきなり大正12年に飛んだ。

たぶん、植物学者にとって大事な年だったのではなく、震災100年として大事だったということなのだろう。

『らんまん』の主人公である槙野万太郎(神木隆之介)は、大正12年9月1日のお昼前、根津の十徳長屋におり、そこで被災している。

倒れてきた資料に埋もれていた。妻と上の娘と孫も同じ長屋で被災している。

でもそれは、あくまでドラマの話。

「牧野富太郎自叙伝」という本

彼のモデルになっている実在の牧野富太郎は、そういう目には遭っていない。

少なくとも彼の自叙伝ではそう書かれていない。

『牧野富太郎自叙伝』というのは、いまは講談社学術文庫で読める。

牧野富太郎が自分の半生を書いたものであるが、本人が自分で書いたものだとしても、すべて事実とは限らない。

どうも牧野富太郎という人は、会って話すと楽しそうな人だけど、文章を書くとちょっと行きすぎるところがあるようで、まあ21世紀の世でもそういうのは見かけますが、書いたことをすべてそのまま鵜呑みにはしないほうがいいところがあるようにおもう。

牧野富太郎は渋谷で関東大震災に遭った

とりあえず震災の日について、牧野富太郎は、こう書いている。

いちおう断っておくが、植物学者の牧野富太郎は、ドラマ『らんまん』の槙野万太郎のモデルではあるが、そのキャラクターはまったく違う人物である。

ドラマの万太郎がいい人だからだとおもって、この本を読むと、かなりいろいろ戸惑う(早い話が落胆する)ことが多い。ということをお断りしておく。

講談社学術文庫だとまず82p。

「大震災」という項目だ。

「震災の時は渋谷の荒木山にいた。私は元来 天変地異というものに興味を持っていたので、私はこれに驚くよりも、これを心ゆくまで味わったといった方がよい」

表記は多少、読みやすいように変えてある。

荒木山とは、円山町の古い呼び名である。ここで妻が待合茶屋を営んでいたのは本当らしい。

サルマタだけの姿で標品を見ていた牧野富太郎

「当時私は猿股一つで標品を見ていたが、坐りながらその揺れ具合を見ていた。そのうち隣家の石垣が崩れ出したのを見て、家が潰れては大変と庭に出て、庭の木につかまっていた。妻や娘達は、家の中にいて出て来なかった」

ちなみにドラマ『らんまん』では最初の園子ちゃんが早世し、そのあとは女の子2人と男の子2人が大きくなっていて、つまり5人の子がいたことになるが、実際のところは「生まれた子供は十三人、現在(昭和二十二年)六人生存」とある(138p)。これはこれでなかなかにすさまじい。

「その具合を見損なったことを残念に思っている」

「のちに振り幅が四寸もあったと聴き、庭の木につかまってその具合を見損なったことを残念に思っている」

かなり不思議な人だったらしいので、そう、書いている。

つまり、自然を見るのが好きだった人として、自然現象をしっかり観察できなかったことを残念がっているのである。

あとになってから書いた文章なので、余計なサービス精神が入っている気配もある。

この文章を、現代の意識から批判したところであまり意味はない。というか、常人の常識でこの人を判じたところで意味がないのだ。

「もう一度、生きているうちにああいう地震に遇えないものか」

大正12年の震災について、現代人のほうが(たとえば先だってのNHK特集を見た人なら)牧野富太郎よりもはるかに多くの情報を持っていると考えたほうがいい。

牧野富太郎はそのあと、こう書いている。

「地が四五寸もの間、左右に急激に揺れたのだから、その揺れ方もしつかと覚えていなければならん筈だのに、それをさほど覚えていないのがとても残念でたまらない……もう一度、生きているうちにああいう地震に遇えないものかと思っている」

自然現象としての「地震」にひたすら興味が集中しており、そのあとの人の世で起こったことについてはまったく触れていない。まあ、そういう人なのだ。

「これは甚だ物騒な話であるが」

自叙伝は、まとまって書いたものではなく、いろんなところに書いたものを、あとでまとめたもののようで、重複が目立つ。

大震災についても、もういちど184pにも書いている。

「これは甚だ物騒な話であるが、私はもう一度かの大正十二年九月一日にあったようなこの前の大地震に出逢ってみたいと祈っている」

いちおう「甚だ物騒な話」という自覚はあるらしい。

でも、同じことを繰り返し書いている。

東京で大地震に遭遇しているのに、そのときの大きな揺れをきちんと観察・実感しなかったことをとても残念なことだとおもっていたのは、本当のようだ。

文久二年生まれのおもしろい人

ちなみに、次の項目で、富士山がどうか一つ大爆発をやってくれないかと期待している、とも書いている。見てみたいらしいのだ。

100年後に眺めるとかなり「とんでもないこと」であるが、当人にそういう意識はない。

天然自然が大好きな「天然な人」が、あとから大震災を振り返ると、こういうことを書いてしまう。文久二年生まれの「おもしろい人」とは、こういうものである。

また、大災害でも、それぞれの立場でまったく違う感じ方をするということだ。

当時の不謹慎な心情を正直に告白している人がほとんどいないだけである。

大地震に遭遇してもいろんな感じ方があった。

それはそれで、忘れてはいけないことだとはおもう。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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