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ドラマ『SPEC』をカルト的伝説にした戸田恵梨香の「能力」 共演の有村架純との対比が鮮烈

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

ドラマの再放送に随所に戸田恵梨香が出てきて、見とれてしまったが、やはり彼女の代表作のひとつは『SPEC(スペック)』だろう。22歳のまだ丸っこさの残っている戸田恵梨香が、不思議な役を演じていて目が離せない。

関東エリアでは、TBSの深夜帯で今週いっぱい再放送している。

女性らしさをまったく出さない『SPEC』の戸田恵梨香の魅力

色気や女性らしさをまったく出さない戸田恵梨香であるが、だからこそ惹かれる。

体裁としては刑事ものであり、バディを組む「瀬文」を加瀬亮が演じている。この二人のあいだにまったく“男女の空気感”を出さない演出になっており、それを徹底しているサバサバした戸田恵梨香が、とても魅力的である。

戸田恵梨香のドラマ2本を選べと言われたら、私は「大恋愛」でも「スカーレット」でもなく、この『SPEC』とあとは『LIAR GAME(ライアーゲーム)』を挙げたい。

『SPEC』は2010年のドラマである。

ちゃんとタイトルを書くとちょっと長い。

『SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜』。

誰もあまり正式タイトルで呼ばない。この部署もふつうは「ミショー」と略して呼ばれている。

『SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜』は、刑事ものの体裁を取り、ドラマ前半はその体裁を守っているが、最後は本性をあらわし、まったく事件解決ものではなくなってしまう。

最終10話まで見ても、話がふわっとするばかりである。

事件ものではないので、すっきりとは終わらない。

変な終わりかただし、はっきり言えば、続編を見ないと落ち着かない終わりかたになっている。(見なくてもべつにかまわないのだが)。

TBSで続編の再放送はすぐにはやらないらしいので、残りは配信で見るか、TSUTAYAなどで借りるしかない。つまり有料である。

それでもいまはその気になれば、続編をすぐ見られるからまだいいとおもう。

2010年の本放送が終わったときは、ほったらかしだった。「ん? これで終わり? ちがうよね」とおもいつつ、誰も答えてくれないので、ただ、もやもやしてるばかりだった。しかもそのまま放置されていたのだ。

不親切きわまりない。

ドラマ『SPEC』のねらいのひとつは「不親切さ」にある

このドラマが徹底していることに「不親切きわまりないこと」という部分がある。

ひとつのテーマだと言ってもいいだろう。

わかりやすくて丁寧で説明的なドラマが多いなか、そんなものばっかりじゃおもしろくないでしょ、こんなのいかがでしょう、という態のドラマなのだ。

「面倒なやつ」だとおもったほうがいい。

面倒ではあるが、おもしろいことはおもしろい。

面倒さはしかたないとして付き合うか、そんなのとは関わりたくないと切り捨てるか、どっちかを選択するしかない。

ドラマ評も当時から分かれていた。

この面倒さがおもしろいという『SPEC』派(というか堤幸彦派)か、そうでないか、肯定と否定に二分されていた。

そもそもあまり「評論」してもしかたがないドラマではあるし、悪口を言うのはもっと意味がないドラマでもある。

肌に合わない人は、ほんと、ただ見なければいいんである。

「1、2、3」ではなく「甲、乙、丙」で表されている世界

もちろん続編は作られている。

そして面倒なことに、数字でナンバリングされていない。どういう順番なのか、なかなかわかりにくい。

事前知識なくTSUTAYAに行って『SPEC』が並んでる棚に行っても、どう借りればいいのかわからず、しばし困ってしまう。

いま、2020年6月に再放送されているのが、もともとの本編ともいうべき10話である。

2010年10月から12月まで、TBS金曜10時のドラマ枠で放送された。

そもそもこの本編10話が、数字でナンバリングされていない。

1話から、甲、乙、丙という「十干」によるナンバリングになっているのだ。

まあ、以前の我が国ではよく使用されていたものなので、甲乙丙丁くらいまではわかるのだが、後半になるとどれが7にあたりどれが8なのか、瞬時にはわからず、なかなか面倒くさい。

(いま試みにエクセルに甲、乙、と入力して、引っ張ったら、ちゃんと辛・壬・癸まで十干が最後まで出てきて、ちょっと感心してしまった。いちおういまでもナンバリングの一種と認識されているらしい)。

十干は「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」である。

訓読みすれば、きのえ、きのと、ひのえ、ひのと、つちのえ…となるが、音読みされることが多い。

順に、コウ・オツ・ヘイ・テイ・ボ・キ・コウ・シン・ジン・キである。

そしてドラマ10話めのタイトルではまず「癸(キ)の回」と出て、その字が反転して「起(キ)の回」となった。

「起承転結」を「起翔天結」、「前篇・後篇」を「漸篇・爻篇」と表す不思議さ

10話は続編のための「起」となったのだ。

このあと「承・転・結」と作られる。

癸が起になって、承転結と続く、などということは、とてもわかりにくい。おもしろいのだが、きわめて不親切で面倒である。

2年後にスペシャルドラマとして「翔」編が作られ、その直後に映画の「天」編が公開された。

その一年半後に、「零」編がテレビで放送され、それからすぐ「結の漸」編と「結の爻」編が映画として連続公開された。

いちおう、だいたいそれで全部である(まだ少し細かいのが残っているが、とりあえずこれだけおさえておけばまあ大丈夫である)。

「(起・)承・転・結」のはずなのに、字を変えて「(起・)翔・天・結」としてある。

音は同じ(キ・)ショウ・テン・ケツである。

「結」の字は変えないのか、とおもっていると、これは前後編に分けられていて、「結の漸」「結の爻」となった。

読み方は「漸」はゼン、「爻」はコウである。

つまり「結の前篇・後篇」の「前・後」に「漸・爻」という字を当てたのだ。

むちゃくちゃである。「爻」なんて、なかなか読めない。

ここまでくると、ちょっとなんかおかしいんじゃないか、という気がしてくる。あまりまっとうなタイトルではない。

少なくともまっとうな連中がまっとうな人に向けて作っているものではない。ナンバリングさえもが、趣味的でペダンチックで不親切である。

「零」は本編(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)の前のエピソードである。ただ、これを最初に見ればいいというわけではない。やはり公開順、本編のあとに「翔」「天」と見て「零」を見るのがいいだろう。

「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」→「翔」→「天」→(「零」)→「結の漸篇」→「結の爻篇」。

これが「戸田恵梨香のSPEC」のおすすめの見る順番である。

やれやれ。

ほんとに面倒なんだから。

刑事ドラマではない『SPEC』の真のテーマ

ただ、私はこういう説明をしているのがとても楽しい。楽しくてしかたがない。

この世界とどこか通底しているのだろう。

そして、このドラマは「奇妙なナンバリング」を面白がれる人に向けたドラマになっている。

まあ、なめているといえば、なめている。

遊んでるだけといえば遊んでるだけだ。

そして。

このドラマが扱っているのは「超能力者」である。ドラマ内では「スペック・ホルダー」と呼ばれているが、つまりは昔からSF界ではお馴染みの超能力者のことである。

時間を止めたり、未来を予知したり、人の心を読んだり、瞬間移動したり、念力でものを動かしたり、そういう「尋常ならざる能力」をもつ者たちのドラマである。

刑事ドラマではない。

刑事ドラマの要素は少しあるが、本質のところは刑事ドラマ的な作りにはなっていない。

巧みだなとおもったのは、最初の4話(甲乙丙丁)は、一見、ふつうの刑事ドラマ風の作りになっていたところだ。再放送を見直して、あらためておもった。

それぞれ殺人事件などが起こり、主人公の二人(戸田恵梨香の当麻と加瀬亮の瀬文)が何となく解決する。それぞれに超能力者が関わっているが、ドラマの基本構造はふつうの刑事ドラマと変わらない。そもそも刑事ドラマで事件を解決する人は、何かしら常人ならざる能力を持っているものだから、そこにかなり変わった能力者が出現しても、この時点ではさほどの違和感はなかった。たぶん刑事ドラマだと信じ込んで見ていた人も多かったとおもう。

ただ、5話から先、10話までとその先の起承転結篇は、「超能力者との対決(および共闘)」に終始する。

ぽかんとした視聴者もいただろう。

おそらくこのドラマの根本に流れるテーマは、「ねえねえ、いろんな超能力者どうしが戦ったら、どの超能力がいちばん強いとおもう?」という無邪気な問いではないだろうか。私はそういうメッセージをしきりに受け取っていた。

SF大好きな中学生どうしで盛り上がりそうな話題である。高校生でもいいけど、まあ、少年の話題である。

超能力を扱うドラマは真剣な悪ふざけになってしまう

「やっぱ未来予知能力じゃね?」「いや念動力でしょ」「時間止めるのには勝てないよ」そういう「SF大好き中高生」が内輪だけでめちゃ盛り上がる会話、それをもとに作られているようにおもう。

だから「SF大好き中高生」気分で見れば、めちゃめちゃ面白いドラマだ。

どの超能力が強いかなんて、どうでもいいじゃん、そもそも超能力に何があるのかわかんないから、とおもってしまうと、敷居が高くなる。

ドラマの展開も必死でふざけているばかりである。

中高生が(特に男子が)数人集まって盛り上がっているときは(それはべつにSF好きとは限らず、プロレス好きでも、お笑い好きでも何でもいいんだが)、教室の端っこのほうでめちゃめちゃテンション高くなっているが、傍から見てると、ただただ悪ふざけをしているだけにしか見えない。ときに「楽しそうにしているのを見せびらかそうとしているだけではないか」と邪推さえされてしまう。

でも当人たちはけっこう真剣なのだ。それでいて楽しい。

このドラマが醸し出している雰囲気はそれに近い(堤幸彦の世界が近いということなのだが)

センスがあって、頭もいいような連中が、何となく集まって、とてもくっだらないことでわいわいっと盛り上がっている空気。その空気が、ずっとドラマに流れている。

こういうのが苦手な人はそこそこいるんじゃないか、と想像してしまう。

ドラマ『SPEC』にすでに現れていた『ひよっこ』的な有村架純と『スカーレット』的な戸田恵梨香

そして、そういう役を演じるには戸田恵梨香と加瀬亮(あと竜雷太)がとても合ってるのだ。

おかしみを漂わせつつも、馬鹿馬鹿しいシリアスさで進めないといけない。そして恋愛につながりそうな色気はいっさい出さない。これはかなり達者な役者でないとつとまらない。

恋愛的な色気は、有村架純が一手に引き受けていた。有村架純と戸田恵梨香はドラマ内で同じ空間に居合わせることがたびたびあったが、ほぼ、からまなかった。

このドラマにおける有村架純と戸田恵梨香のポジションの違いは、のちに二人とも朝ドラのヒロインを演じるという点から見返しても、とても興味深い。

朝ドラ『ひよっこ』と『スカーレット』の世界の違いにきちんとつながっている。

戸田恵梨香が演じる当麻は、恐ろしく頭は切れるのだが、ハチミツをボトルごとごくごく飲んだり、毎日毎日ギョウザばかり食べていつもニンニクくさかったり、店の名物の親子丼をひとりで全部食べてしまったり、それでいて「革命」をカワメイと読んだり、とにかく尋常な人ではない。

加瀬亮(瀬文)は受け答えだけは常人ぽいのだが、奇妙な相方(戸田恵梨香)への対応は容赦なく、これまた身内に対してはふつうの人ではない。

超能力者への対応や、事件捜査への意欲、刑事としての誇りはしっかり描かれるが、でも彼らの“基本の演技スペック”は「なめている」ないしは「ふざけていられる」というところにある。そう感じられる。受け手の見るポイントによって違ってくるだろうけれど、私はそういうメッセージを強く受け取っていた。

そういう役者の能力で、この不思議なドラマを地上につなぎとめていた。

だって、ふつうの人間が、超能力者相手に、ふつうに振る舞っても意味がないからだ。

超能力ものをまじめにドラマで扱うかぎり、方法として「真剣にふざける」しかないだろう。

それ以外にどうすればいいのか、私にはおもい浮かばない。

女性らしさを受け持つ有村架純、女性らしさをまったく出さない戸田恵梨香

シリアスに悪ふざけを演じる役者として、戸田恵梨香と加瀬亮がやはりとてもいい。

この二人のたたずまいを見るだけでも『SPEC』というドラマには価値があるとおもう。

戸田恵梨香は主演ではあるが、ほぼずっと同じ服装である。女性らしさはあまり見せていない。だからその印象が強烈になっている。

そのぶんちょっとだけ出てくる有村架純が、ただ人を案内するだけの「はりきってどうぞ」役の女性警官なのだけど、「このドラマの女性らしい部分」のほとんどを受け持っていて、これはこれで強烈な印象に残る。

いろんな意味で「大人が全力で悪ふざけをしているドラマ」である。

それを素敵だとおもうかどうかは、人によるだろう。

見られる人はいまからでも見たほうがいい。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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