市民が技術をもちよって小さな自然を再生する
公共事業は「やってもらう」ものなのか?
川や湿地など、公の場所を整備するのは「行政の仕事」と多くの人は思っているでしょう。でも、はっきりそうなったのは明治時代以降のこと。それ以前、堤防や用水路などの整備は民衆の普請(土木・建築工事)によることもありました。明治期に納税方法が、物や労働から、お金に変わり、公共施設の建設や維持管理が税金による公共事業になると、民衆がそこに関わることはなくなりました。民衆は少しずつ技術を失い、事業を依頼したり評価するだけの存在になりました。
公共事業は「やってもらう」ものになったのです。そうなると「やってほしいのにやってもらえない事業」「やってほしくないのに進む事業」「そういうやりかたでやってほしくはなかった事業」なども生まれます。事業はある課題に対する1つの解決方法であり、すべての課題を解決するものではないのです。
自分たちで何かをはじめることはできないか
たとえば、全国で進む流域治水ーーダムや堤防だけの治水では、気候危機の時代の豪雨を防ぐことはできない。これからは流域全体であらゆる協力をしながら治水をしていくーーがはじまって3年が経ちます。しかし、現場で実際に行われている施策は旧態依然としたものも多く、「行政はまったく変わっていない」と不満をもつ市民も多くいます。
では、行政の施策を受け身の姿勢で待つだけでなく、自分たちで何かをはじめることはできないか。そんな思いをもつ人に参考になるのが、『水辺の小さな自然再生 人と自然の環を取り戻す』(中川大介著/農文協)です。
この本は、市民が技術をもちより、それを地域にあった技術に改善し、「自然とともにある暮らし」をつくった記録です。いや、事業は継続しているので「つくっている記録」といったほうがよいでしょう。
著者である中川さんは、「治水の技術は中央集権政府を頂点とする行政機能が独占的に担うことになり、自然とかかわる機会の減っていった人びとのなかから、地域の自然の在りように即した治水技術とともに、『矛盾した状況を受け入れる』という思想が消えていった」と書いています。
自然とつきあうということは、恵みを受けるだけでなく、災厄を受け止めなくてはならないこともあります。そうした状況のなかで「自然と折り合っていく道を見つける」という試みが描かれています。
読み進めるうちに、登場人物たちの言葉に熱を感じます。たとえば、北海道美幌町の駒生川で魚道を整備した人の話がでてきます。大規模な土地改良事業により、川の底と両岸はコンクリートで固められ、川底の高さや河床勾配を安定させるための川を横断する施設がつくられました。それを見た少年がこう言いました。
「じいちゃん、これじゃ魚は上れないよ」
農業にとってはとてもよい事業でしたが、魚にとっては移動を妨げるものでした。
少年の何気ない言葉は男性を動かし、男性の熱意は地域の住民を動かしました。その結果、上れない川に小さな魚道ができたのです。
治水や利水を軌道修正する時代
著者である中川さんは「小さな自然再生」についてこう述べています。
「治水や利水を軌道修正する時代に私たちは生きている。その軌道修正を行政任せにせず、地域の自然に触れる機会の多い住民が、実践を通じて、自分たちにとって望ましい川づくりの方向性を行政機関に提言し、協働して技術を変えてゆく。その試みが、『水辺の小さな自然再生』なのだと私は思う」
小さな自然再生は自分たちの技術をもちより、変えてゆくプロセスであり、完成形のようなものはないのでしょう。行政から何かを与えられるのではなく、市民が関わり続けるのです。「終わらない公共事業」というと悪いイメージがありますが、小さな自然再生はそのほうがよいのだと感じました。それがその人たちにとっての「空間の履歴」を重ねることでもありますし、地域への愛着や誇りとなって、自然と折り合いをつけながら生き抜く力になるでしょう。
具体的に「水辺の小さな自然再生」という取り組みにおいて、技術者が勘案すべき重要な要素として、3つの点を挙げています。
・地元参画:どんな立場の人が、どれだけ参画するのか。その人たちの『熱意』の度合いは。時間の経過とともに、彼らの熱意はどのように推移するのか。参加者の広がりはあるのか。
・現地素材:どのような材料が現地で調達できるのか。不足している材料は何か。許容されるコストに照らし、どこまで現地素材に頼るべきか。
・自分の学習:自身が経験のなかから身につけた考え方を、どこまで対象化して見ることができるか。従来の枠にとらわれない自由なものの見方ができるか。その視点から、現地の条件に照らして適切な『解』を導くことができるか。
この3点は、川づくりだけでなく、あらゆる自然再生や市民普請においても基本となるものだと思います。技術をもちよって小さな自然を再生しましょう。