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「トイレのにおい」。オリンピック水泳会場への汚水流入をどう防ぐか。東京とパリの対策の違い

橋本淳司水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表
セーヌ川で泳ぐことは可能だろうか(写真:アフロ)

大腸菌数が100mL当たり20000個

パリ五輪では、オープンウォータースイミング、トライアスロンなどがセーヌ川で実施される予定だが、その水質が心配されている。

パリ市の下水道は、雨と生活排水をいっしょに流す「合流式」(東京区部と同じ)。合流式は、生活排水と雨水を1本の下水管に合流させ、下水処理施設で浄化した後、河川に流す。

著者作成
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そのため豪雨などで一度に大量の雨が下水管に入ると、生活排水がマンホールなどからあふれて、下水処理場に到着する前に生活環境中に出てしまうことがある。また、下水処理場に到着しても水量が多くて処理能力を超えると、汚水が処理されないまま川へ流れることもある。

そのため豪雨時に未処理の生活排水がセーヌ川に流れ込み、水質は悪化した。

ウォール・ストリートジャーナルの報道では、今年2月に民間の調査が競技開催場所の水質調査を行ったところ、大腸菌が100mL当たり20000個検出された。これは国際トライアスロン連合が定める基準値の80倍、国際水泳連盟が定める基準値の20倍に相当する。国際環境NGO団体の「サーフライダー財団」は「競技実施は危険」との見解を示している。


東京オリンピックで実施された水質改善作戦


思い出すのが、東京オリンピック。区部の下水道が合流式であることから同じ悩みを抱えていた。

オープンウォータースイミング、トライアスロンなどが行われた東京・お台場海浜公園で、2017年に、東京都と東京2020組織委員会が水質検査を行ったところ、大腸菌数は、国際トライアスロン連合が定める基準値の21倍、国際水泳連盟が定める基準値の7倍だった。2019年8月のオープンウォータースイミングのテストイベントの際は、選手から「トイレのにおい」(アンモニア臭)がするなど、糞尿の影響を示唆するコメントが聞かれた。

そこで3つの対策がとられた。


1)水中スクリーン作戦

競技会場周辺に、汚染物質の浸入を抑制する水中スクリーンを設置(図)。スクリーンはポリエステル製で横20メートル×深さ3メートル。これを横400メートルにまでつなぐ。巨大なカーテンが、豪雨時に海に出る汚水、汚物を堰き止める。

水中スクリーンの概要図「公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会持続可能性進捗報告書」より
水中スクリーンの概要図「公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会持続可能性進捗報告書」より


2)覆砂作

2020年2月、お台場海浜公園に砂を入れた。工事は3月末まで続き、砂代は約6000万円かかったとされる。

工事の様子(著者撮影)
工事の様子(著者撮影)

この手法は「覆砂」といい、閉鎖水域の水底に砂を敷き詰め、水質や底質の改善を図る。覆砂は実際、博多湾(福岡県)、三河湾(愛知県)、津田湾(香川県)、米子湾(鳥取県)などで行われ、効果も検証されている。

だが、そもそも覆砂のねらいは、ヘドロ化した底泥を砂で覆い、栄養塩などの溶出を低減すること。底泥からの水質悪化という「下からの汚染」に対する効果は見込めるが、閉鎖水域に生活排水が継続的に流れ込むなどの「上からの汚染」の問題は残る。


3)海水循環作戦


2021年7月には海水を循環させる装置が設置された。この装置は、通常ダム湖のアオコ対策に使われている。閉鎖水域の水質悪化、水温上昇の原因の1つは、「水が動かないこと」にある。そこで、水面に浮かべたプロペラで表層の水をダクトを通して底層まで送り、大きな水の流れを起こす。高い水温の表層と、低い水温の低層が混ざることで、水温を下げる効果を狙った。

こうしたさまざまな対策を経て、大会期間中のお台場海浜公園の水質は基準値内に収まった。


パリでは巨大なタンクに一時貯留

では、パリ市ではどんな対策を行っているのかというと、約146億円(9000万ユーロ)をかけて市内に4万6000立方メートルの巨大なタンクを2基建設している。

巨大タンクは下水管に接続されている。豪雨の間は一時的にここに生活排水をためてセーヌ川への流入を防ぐ。

そして雨が収まったら下水処理場に水を送り、処理した後にセーヌ川に流す。

現在は工事中だが、5月には稼働を開始する予定。

はたしてセーヌ川の水がきれいになり、マクロン大統領は宣言通り泳ぐことができるのだろうか。


下水道は何のためにあるのか


ただし、下水道はオリンピックのためにあるわけではない。

下水道は多様な機能をもつ社会資本だ。「まちを浸水から守る」、「水環境を守る」、「衛生的な暮らしを守る」などして市民の暮らしを支えている。近年では低炭素・循環型社会の形成を図る観点から、下水再生水の活用、下水汚泥の燃料、肥料、建設資材等への再活用も図られている。

東京、パリで行われた水質改善策はいわば対症療法なもので、下水道システムの持続を考えると、もっと根本的な取り組みが必要だ。東京大会のときに会場の水質改善のために使われた巨額の費用が、下水道の持続に貢献したかといえば、ノーである。

下水道の維持管理には莫大な費用がかかり、施設更新するタイミングで自治体財政に大きなインパクトを与える。

日本全国に約47万キロの下水道管が布設されているが、このうち標準耐用年数50年を経過した管路は2017年に約1万7000km、2027年には約6万3000km、2037年には約15万kmになると予測されている(国土交通省)。下水道管路に起因する道路陥没は年間4000〜5000件発生している(日本下水道協会)。そのため今後は老朽化対策のための使用料の値上げも検討されるだろう。

日本もフランスも、いかに下水道を維持管理していくかという大きな課題を抱えていることを忘れてはならない。

水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表

水問題やその解決方法を調査し、情報発信を行う。また、学校、自治体、企業などと連携し、水をテーマにした探究的な学びを行う。社会課題の解決に貢献した書き手として「Yahoo!ニュース個人オーサーアワード2019」受賞。現在、武蔵野大学客員教授、東京財団政策研究所「未来の水ビジョン」プログラム研究主幹、NPO法人地域水道支援センター理事。著書に『水辺のワンダー〜世界を歩いて未来を考えた』(文研出版)、『水道民営化で水はどうなる』(岩波書店)、『67億人の水』(日本経済新聞出版社)、『日本の地下水が危ない』(幻冬舎新書)、『100年後の水を守る〜水ジャーナリストの20年』(文研出版)などがある。

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